(前回の記事の続きです。)
自衛隊はシビリアンコントロール(文民統制)のもとで運用されるべきものである。
災害派遣の命令を出すべきなのは、防衛大臣など文民であり、内閣の長たる総理大臣、つまり政府である。
それなのに岸田文雄は、能登半島地震は1月1日16時10分に発生しているのに、その翌日の午前9時過ぎにやっと開いた非常災害対策本部会議で、「部隊を最大限動員し、住民の安全確保を最優先に救命救助活動に全力を尽くしていただきたい」と述べただけで、具体的な指示を出さなかった。
こんな抽象的な指示では、中部方面隊は自分たちの隊区だから全力で救命救助に取り組むだろうが、その他の部隊は動きようがない。
前回の記事で、最初の3日間だけでも東部方面隊や陸上総隊から部隊を投入すべきだったと書いた。
地理的には東部方面隊の新潟県や長野県の部隊の方が能登半島に近いし、陸上総隊直轄部隊なら、能登空港までひとっ飛びで行けるからである。
だから、岸田文雄なり木原稔なりが、ひとこと「最初の3日間は東部方面隊や陸上総隊からも部隊をヘリで入れろ」と指示を出していれば良かったのだ。
【輪島朝市の跡地で捜索活動を行う自衛隊】
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240320/18/jiroumaru/c5/02/j/o0855056015415380888.jpg?caw=800)
(フリー画像:防衛省・自衛隊, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons)
例えば、陸上総隊直轄部隊の一つ、第1空挺団がヘリコプターで駆けつけてくれていたら。
1月2日に、中部方面隊隷下の第10師団の3つの普通科連隊が出動していたが、その夜の時点で、そのうちの名古屋市の第35普通科連隊と三重県津市の第33普通科連隊は道路途絶で目的地に入ることができずに「態勢整理中」となり、金沢市の第14普通科連隊だけが輪島市と珠洲市でかろうじて「活動中」だった。
だが第1空挺団ならば、空を飛んで、1月2日のおそらくは午前中に来れていたのではないか。
能登空港は被災地のまっただ中にあり、滑走路に深さ10センチほどの亀裂が4~5ヵ所できたということなので、固定翼の飛行機の離発着は無理だったが、ヘリコプターなら1月2日からすでに離発着は可能だったと、ジャーナリストの奥山俊宏さんは『月刊日本』2024年3月号で伝えている。
前回の記事で紹介したCH-47JA(チヌーク)やUH-1J(ヒューイ)の他にも、第1空挺団はUH-60JA(ブラックホーク)という多用途ヘリコプターも所有している。
(参考画像)
【多用途ヘリコプター UH-60JA ブラックホーク】
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240320/19/jiroumaru/70/49/j/o1280102415415399573.jpg?caw=800)
(陸上自衛隊のHPよりダウンロードしました。)
【パラシュートで降下する第1空挺団】
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240320/19/jiroumaru/bd/44/j/o1233086915415399638.jpg?caw=800)
(陸上自衛隊のHPよりダウンロードしました。)
奥山さんは、陸上自衛隊の運用について、現在の隊区にこだわりすぎる「隊区主義」はもうやめたほうがいいと主張している。
そのためには、方面隊の司令部(方面総監部)の役割を軽くし、代わりに、陸上総隊が各師団・旅団の運用を直接取り仕切る形にしたほうがいいとのこと。
さらには、自衛隊の装備や態勢の見直しも必要だろう。
能登半島は陸自の「空白地」だから過少な部隊投入になったのは仕方なかったという声があったそうだ。おそらく防衛大臣の木原稔や馬鹿なネトウヨが言っているのだろう。
ならば、そうした地域に陸自の駐屯地を新設する方向で検討するべきだと、奥山さんは言う。
たしかに私などもそうするべきだと思うが、奥山さんの次の意見を読めば、その重要性が理解できるはずである。
(『月刊日本』2024年3月号の記事から引用)
特に、能登半島のように原子力施設がある地域では、核セキュリティの観点からも、そして、原子力事故に対処するセーフティのための観点からも、自衛隊の駐屯地を近くに置くべきです。警察力で太刀打ちできない特殊部隊やテロリストの急襲に対応できるようにしておくセキュリティは米国など国際社会からの要請でもありますし、原発の暴走を抑え込む最後の砦が求められるような事態に備えておくセーフティ上の必要性もあります。自衛隊は原発構内で活動するつもりはないそうですが、福島第一原発では2011年3月、現に陸上自衛隊の消防ポンプ車が放射線に被曝しながら原子炉への注水を担いました。
(引用、ここまで)
そして、奥山さんが最も大切だと以前から思っているのは、自衛隊法の改正だという。
日本列島は1990年代に地震多発期に入った。それ故に自衛隊の災害派遣への期待は大きくなってきている。それに合わせて法制度も改正したほうが良い。
一つの例として、自衛隊の主任務についての部分である。
(再び引用)
たとえば、自衛隊法第3条では、自衛隊の主たる任務は日本を防衛することであり、災害派遣は必要に応じて行う、とされています。しかし、現実に防衛出動は一度もない一方で、災害派遣はたくさん行われているわけですから、災害派遣も主たる任務に格上げすべきです。それが現実に合っています。そのように改正すれば、災害派遣のための装備、訓練、教育、研究も充実することになるでしょう。
また、自衛隊法第83条2項では、自衛隊は知事の要請があり、かつ「事態やむを得ないと認める場合」に、部隊を派遣することができる、と定められています。これではまるで自衛隊にとって災害派遣はボランティア活動であるように読めてしまいます。災害対策基本法では、国は「組織及び機能の全て」を挙げて防災に関し「万全の措置」を講ずる責務を有すると定めていますので、大規模な災害では知事の要請を待たず、総理大臣や防衛大臣の責務として、国家の主体的な行動として、自衛隊を動かすことを明文化すべきです。
(引用、ここまで)
奥山さんの話を聞く『月刊日本』編集長の中村友哉さんも、
―― 災害による犠牲者を1人でも少なくするためには、政府や一部の専門家だけでなく、国民全体で災害対策について議論していくことが重要だと思います。
と応じたが、私もその通りだと思う。
しかし、「素人は黙ってろ」という声も多いそうだ。おそらく軍事オタクの連中だろう。
最後に、奥山さんは次のように述べている。
(再び引用)
しかし、文民統制の原則からすれば、自衛隊をどう動かすかは、いわば素人としての文民の政治家が判断するべきことですし、それは、私たち国民による民主的な統制の下にあります。専門家による助言や補佐を軽視するべきではありませんが、一方で、それに常に従わなければならないわけでもありません。
歴史を見れば、専門家の判断や前例にこだわり過ぎて、戦略や戦術を誤った事例は多々あります。ひとの生き死にに関わることですから、その当事者になり得る素人がオープンに議論することを妨げられるいわれはありません。
海外の多くの国々とは異なり、日本は世界有数の災害大国です。そういう国の自衛隊が、他国の軍隊や州兵と同じであっていいはずがありません。いつ私たちが自衛隊に救助される側になるかもわかりません。そういう意味でも、「こういうふうに自衛隊を活用すべきだ」ということについて、国民的な議論をしていく必要があると思います。
(引用、終わり)
たしかに、私たちも自分の命に関わることなのだから、自民党政権などに任せっきりにせず、積極的に考えるべきなのだろう。
(参考文献)
『月刊日本』2024年3月号
自衛隊法の問題点 災害派遣を主たる任務に格上げすべき
ジャーナリスト 奥山俊宏