初心に帰る方法 | 日本心理教育院 www.jip.ac

 

私たちが生きていく上で葛藤が生じ大変だと感じるとき、「初心」という言葉をよく使います。初心は何かを始めるときにもっていた心です。そのように心に決めて何かを始め、良い経験であれ、悪い経験であれ、いろんな経験を積むようになります。

 

経験を積みながら問題が起り失敗をしたのであれば、もう一度試行錯誤をし経験を繰り返しながら習慣がつくられ始めます。もし度重なる失敗の中で試行錯誤を繰り返すのであれば、果たして自分の習慣の中に正解があるのでしょうか? もうすでに失敗が繰り返される習慣の中には正解はあるはずがありません。

 

ならば果たして正解はどこで見つけなければならないのでしょうか?

 

最初の心の持ち様に帰ること、つまり「初心に帰れ」という言葉をよく使うのですが、果たしてもうすでに習慣がつくられた状態で初心に帰るのが簡単なのでしょうか?

 

最初は試行錯誤するのは誰もが経験することです。ところでなぜ初心に帰るのが大変なのでしょうか? それは何かを新しくつくっていくことは難しくはないのですが、すでにつくられた習慣をなくすことはとても難しいからです。

 

すでにつくられた無意識の習慣をなくすことは可能でしょうか?

 

それで初心に帰るとき必要なことは、習慣をなくすよりは新しい習慣をもう一つつくるほうが有効です。失敗と試行錯誤の中でつくられたものであっても大切な自分の経験であるためなくしてしまうのは良いことではありません。補完できる新しい習慣をつくって以前の習慣に取って代わるようにするのです。そうすれば、新しい習慣をもって初心に帰りもう一度努力することができる力をもつことができます。

 

失敗を経験した人たちに「初心に帰れ」という話をよくします。しかし初心に帰ることが何なのか正確に分かっていない状態で帰ることは不可能に近いです。もうすでに失敗する習慣がつくられているため最初にもった心を再びもつことはできません。自分がもっている習慣をなくし、出発点に帰ろうとしてはいけません。

 

たとえば、始めたときの習慣Aがあり、今まで経験してきてつくられた習慣Bがあります。このときに習慣Aはどこにあるのでしょうか? 新しい習慣ができても既存の習慣はなくならないまま各自の記憶の中に入っています。必要なときに記憶の中に入っている習慣をもう一度引き出す努力を少しだけすれば、もう一度以前の習慣を引き出すことができるのです。

 

ところで多くの人は、習慣を再び引き出そうと努力をせずに安楽な習慣に甘んじようとします。努力をしてもう一度最初の習慣に帰らなければならないのに、そうするとまるで人生が後退しているかのように感じるため帰ろうとはしません。間違った試行錯誤の中でつくられた習慣もまた自分の生きてきた大切な経験であり、最初にもっていた習慣もまた自分の大切な経験です。

 

記憶の中に入っている最初の習慣を引き出そうとすると努力が必要です。努力するためには何よりも強い意志がなければなりません。意志とは「しようとする思い」と「努力するという覚悟」です。強い意志がつくられた後で初めて努力することができるようになり、実践できるようになるのです。そのように強い意志をつくると、意外に早く初心に帰ることができるようになります。

 

習慣をつくるときによく使う事例があります。日本では自動車の運転をするときはハンドルが右側についています。初めて自動車免許を取得するときは緊張し意識的に記憶をたどりながら苦労しますが、運転が慣れてくると、意識して考えなくても習慣的に運転ができるようになります。方向指示器をつけたり、ハンドルを回したり、ブレーキを踏みながら速度を調節したり、この全ての動作が習慣として定着しています。そのように日本でAという運転習慣をもったまま外国に行きます。例えば韓国は運転席が左側にあります。そうするとどうなりますか? 確かに運転することができる習慣はありますが、左側に位置したハンドルに対する習慣がないため慣れるまでは一定期間緊張し意識するようになります。そうして時間が経ち、韓国での運転習慣Bがつくられるようになると、既存にもっていた日本での運転習慣Aはどこにいくのでしょうか? なくなってしまったのでしょうか? 日本に帰ってきてまたハンドルを握ったときすぐに習慣Aが出てくるでしょうか? もう一度慣れようとする努力をしてみると、意外にAという習慣がすぐに出てくるのです。そうかといってまたBという習慣がなくなったのでしょうか? つまりこの人にはAという習慣とBという習慣の二つができたことになります。

 

つまり以前の習慣に再び帰る努力を一度してみると、二つの習慣を両方とも自分のものにすることができます。他人は一つしかもっていない習慣を二つ持つことができるようになります。

 

このように試行錯誤の中で最初の習慣に帰り、新しい習慣をつくっていくのです。そのように新しい習慣をつくってまた問題が生じたとしても出発点に帰って習慣をつくる経験をしているため、すぐに新しい習慣をつくることもできるようになります。つまりこのように私たちのどんな経験であれ大切な経験になり得る理由がここにあるのです。自分の経験をベースにして試行錯誤のとき挫折するのではなく、いつでも新しく人生をつくっていける能力を養うことができます。

 

経験による資産は誰のものでもない自分自身だけのものです。皆が各自の大切な経験、大切な資産をもっています。「初心に帰れ」とは全てを捨てて出発点に戻ると言う意味ではなく、最初に始めるときにもっていた自分の習慣に再び帰るだけなのです。そうなると、最初に始めたときの習慣と、試行錯誤の中でつくられた習慣をとおして新しい習慣をつくり出すことができるようになります。

 

そのように自分の能力を一つずつ増やしていくのがまさに初心に帰る方法です。

 

この事実さえ正確に分かるだけでも自分自身のためにすべてが可能になります。なぜならまた別の試行錯誤を経験しても出発点に帰ってもう一度つくっていくことができる能力をもっているからです。すると自分が経験してきた試行錯誤が自分にどれだけ大きな能力をつくってくれるのでしょうか? それゆえ経験がすなわち自分に貴重な資産になるのです。

 

ところでほとんど人は、習慣Aから習慣Bにいく方法も知らず、新しい習慣をつくる努力をしません。するとただ試行錯誤の中に留まっているだけでなく、自分にできることがないという結論に辿り着きます。初心にどうやって帰るのかという言葉ばかりが繰り返し、自分自身に再び習慣をつくっていける能力と大切な経験を持っていても何もできることがないのです。

 

たとえば結婚生活をしていて問題が生じると、結婚する前に自分がもっていた初心、習慣に帰ることから始めなければなりません。実際に本人が努力をしなければ、現在生じた問題を解決するどころか次第により大きな問題を引き起こすしかありません。努力というのは楽なことではありません。安楽に留まろうとすることは、今の試行錯誤をつくり出した習慣に留まることです。

 

努力は不便さや不自由さを伴いまるで人生が後退するかのように感じますが、一歩後ろに下がってこそより遠くに飛ぶことができるのです。決まったところで飛び跳ねるとより遠くに飛ぶことはできません。二歩前進のための一歩後退、これがまさに初心に帰れの意味です。では、いざ努力をするときは自分が他人よりも遅れているかのように退歩したかのように感じますが、その努力は時間が経つと他人よりも二歩三歩前進している自分自身を発見することができます。

 

初心に帰る方法を正確に知り、強い意志をもって努力を始めさえすればいいのです。今は問題が起きていて大変でもその試行錯誤の経験が自分の新しい能力をつくる原動力になるということを忘れてはなりません。私たちはみんな失敗の経験をもっているとしても、間違って生き方をしたのではありません。その経験をもって新しい能力をつくり、十分に幸福な人生を生きていけることが可能だからです。

 

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