自分の意見だけが正しいと言い張る人は避けるべきか。 | 日本心理教育院 www.jip.ac

 

自分の意見は正しく、それに反する相手の意見は間違っていると考えるケースがあります。このような意見の対立を論争や討論を言います。もちろんこのような意見の交換である論争や討論に感情が介入されてはなりません。

 

多くの人が対立と聞くと否定的な捉え方をします。しかし意見の衝突や対立は暴力ではありません。各自の意見を交換して論争することで自分の考えが補われたり修正されたりします。そして最終的には最も合理的なものを生み出すための過程だと見ることができます。このような過程をとおして相手の考えと自分の考えが調律され、お互い新しい観点から考え直すこともできます。

 

しかし必ず注意しなければならないものがあります。それは感情です。

 

論争や討論をするときに感情が介入されると、もう意見は必要なくなります。合理性とは関係なく自分のネガティブ感情を表出して相手を攻撃するからです。

 

 

心理障害に陥った人たちは自己合理化をする習慣がありますが、それによって自分の考えに強い信念をもっています。そしてこのような人たちが論争をすると、信念に対するものをすべて感情化させてもう論理的な討論ではなく感情の喧嘩をするようになります。それゆえに自分の意見に合わない人たちはみんなが敵になります。

 

反面、感情を排除して意見だけの対立の場合は避ける理由はありません。相手の考えと自分の考えを比べ発展させたがら学ぶものもたくだんあるからです。

 

そして他人との論争で自分の考えだけが正しいと言い張る人がいます。この場合も同じように論理的な部分に関して言い張る場合と、感情的に言い張る場合の二つのケースがあります。

 

前者の場合はより論理的な討論をすることでお互いの考えを調節する価値はあります。

 

しかし後者の場合は、もう論争をする必要はありません。どんなに論理的なものを話しても相手との考えと異なる場合は相手を理解させようとしないからです。そのためにこのような人たちと論理的な話をしようとすればするほどお互いの感情が悪くなるだけです。

 

自分の思考は自分の記憶と経験をもとに形成されたものなので、自分の考えが100%合っていることはあまりありません。そのときに論争をとおして相手の知識と情報を聞きながら自分の考えと総合して自分の考えを補完していかなければなりません。このように感情が排除された論争は自分の健康な心、健康な家庭、健康な社会をつくっていける基礎になると思います。

 

もし皆さんが相手と意見が衝突することが嫌で論争を避けているなら、すでに論争に自分の感情がある程度は介入されているからだと見ることができるということもご参考ください。

 

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