慰安婦問題の記事を書いた元記者への嫌がらせが後をたたないそうだ。子どもの実名や顔写真まで公開されているそうだ。私は他人のブログや2Ch的なものに興味が無いので全く知らないのだが、個人を非難することに意味を感じない。あの記事を書いたのは個人だが掲載したのは新聞社である。また、誤報を訂正しなかったことも含め責任は新聞社にある。個人は私情を書く不出来な記者かも知れないが、それだけである。
実名をさらさず無責任に家族に影響を与えることは言論ではない。ヘイトスピーチですら顔をさらすがそれよりもあくどい。
雇用している大学を批判するのもよいが、大学は選択できるし主張方針はそれこそ自由である。罷免要求はお門違いである。
元記者は過ちを犯した。過ちを犯した者に対して、氏素性も知れない者達が非難をし生活を破壊する。たぶん元の記事を読んだわけでもなく、被害を受けたわけでもなく、慰安婦問題すら考えたことが無い輩がやったことだと思う。それを無視できなくなっているネット社会が怖い。特異な意見が多数の意見に見えてしまう。彼らは、自分が影響を与えることに喜びを感じる愉快犯だ、ネット放火魔である。騒ぎを起こし人があわてたり対応したりするのが楽しいし自慢なのだろう。
そんなことする暇があったら危険ドラッグの販売店や使用者でも掲載してくれ。その方がよほど社会の役に立つ。
私も匿名で書いているので、大きなことは言えないが、影響度もないので。

ところで、今日2014年10月7日の朝日新聞は間違いを犯した。これらの攻撃が文春の今年始めの記事から増加していると書いた。時期的にそうかも知れないが、確実ではないのに記載してはならない。文春は、低俗な雑誌なので、あたかも大発見のようにプライバシーを侵害したり、簡単に国賊とか売国奴とかの言葉を使う。正義をかざすが部数を伸ばしたいだけで徴収をあおりたてる戦前のメディアのようなものだから、読めない。
朝日新聞はもう一つミスを犯している。このネットの動きに対して各紙も非難をしていると書いているが、朝日だけじゃないですよという情けない言い訳のように見える。
と言うように朝日新聞のおっかなびっくりな対応が見られるのは今だけだろう。ちなみに天声人語もこのねただったが、天声人語はしばらくこの関係のねたはやめたほうがいい。あまり変わってないなと思わせる。
ある週刊誌を読んだ。サンデー毎日のちょっと前の。
そこには、朝日新聞を批判し反省を促しつつも、バッシングの行き過ぎを指摘し、危険な兆候を感じるというものだ。
同じ意見である。
記事中には伏せてはいるが読売新聞と思われる新聞社が、販売攻勢をかけているともあり、何だか変な気分だ。
前にも書いたが、それでも朝日がましなので朝日新聞を私は読む。そう言えば、読売の正力氏は、A級戦犯容疑者でもある。彼もCIAに協力して米国より政策を展開したと言われる。結果として、戦後の米国寄り政策は成功だったとしても、彼らには戦争に導いたという反省はない。口ではメディアにも責任がといいつつ、まったく犠牲者を出したことは悪いと思っていない。自己正義に酔っている。
朝日は、反動で、極端に自虐的な方向となり、慰安婦問題の記事も飛び付いたようだ。当時、GHQのせいだが国民皆自虐思考的な時期である。でも、まさか、自分で悪事を働きました的な講演をして稼いでいた人たちがいたとは驚きだ。こういうものは需要と供給、需要があったのであろう。
裏を取らない朝日新聞は反省すべきだが、それだから何もかも無かったことにはならない。
戦争により、諸国を巻き込んだことを、若い世代に引き継げているか?日本の正義のみを伝えていないか?慰安婦に限らず、犠牲となった人たちはいないのか?その反省の最大の象徴が、憲法第9条。
国内の議論はあってよい。報道は真実を競い合えばよく、つまらんバッシング目的の記事は要らん。朝日新聞もたまに読売の挙げ足とったり文春に突っ込んだり、一流紙のやることではない。だから2流紙程度のものなのだ。プライドが高いという何の価値の無いものも持っていて、ただの感想を絶対的なものとして書いたりする。それらをひっくるめて、朝日新聞を読む、これからも。
他人にお薦めしたいわけでもなく、個人的な意見なので誤解のないように。
2014年10月5日の天声人語。集団的自衛権の閣議決定について、国民安保法制懇とか言う団体が意見書を出したそうだ。
私もそうだが、反対しているわけではなく、手続きが正しくないと言っている。個人的には反対だが、国民の多数が賛成ならばそれはそれである、文句は言うがしかたがない。それが民主主義ってもんだ。
それを、勝手に閣議決定できめるとは、これを独裁というのだ。