以前に、ブラックホークダウンていう映画の話を書いた。米国のソマリアでの作戦の失敗から救出までを描いた映画である。
ずっとひっかかっていることがある。
2機目のヘリが落ちたとき、生きているか死んでいるかそのときは不明の乗員を確保するために2名のレンジャーが自主的に降下を志願する。
映画を見る限り、救援の見込みはなく、自分達が死ぬ可能性は高い。彼らには妻子もいる。でも降下し、乗員を一名救助できた。直接は救助できなかったが、捕虜となり助かった。彼はイラクで亡くなったそうだ。救助に降りた2名は殺害された。遺体は引き回された。
なぜ降りたのか?どうみても救助は来ない。生き残れるという甘い読みだったのか?
米軍は支援できなかったのか?補給すらできなかったのか?短時間だったのだろうか?
私には、降下を許可したことが理解しがたい。
その後、昼間の作戦はなくなった。米軍はこの2名の死について調査しただろう。結果としては英雄的行為となり、彼らの名前は輸送艦の名前となっている。
それが米国である。
本人の意思を尊重し、作戦について分析を行う。英雄的行為に賛辞を送る。米国民は何のために世界で戦うのか改めて考えたろう。日本であれば、下手をすれば迷惑な奴らとか自業自得と言われネットで無責任な非難が起こりそうだ。
そう言ったことを含め、今の日本に米国のような対応が可能だろうか?怒りで戦線を広げないだろうか?冷静に分析できるのか?非常に心配である。大衆は精神的に耐えられるのか。怒りで泥沼化しない歯止めが必須である。
集団的自衛権というが、米国が困るような戦争に日本が役に立つわけがない。機雷除去も燃料補給も急がなくても、そのとき決めればよい。
機雷除去なんて架空の例に過ぎない。南シナ海の中国がおいたら困るなぁ。でもこれは自衛権だなぁ。

2人の死は私に疑問を抱かせたまま。私は解決できないでいる。
最近、ロヒンギャ族の報道が多数ありました。
普通に見て、そこに明らかに存在し生活しているのに認められない人々がいることが不思議である。
日本が何をすべきか?中国は少数民族を抑圧する傾向がある。日本も全くないわけではないが、はるかに寛容だ。だから、日本に来る方々もいらっしゃるだろう。我々は受け入れることはできる。過疎地の労働力として頑張っていただくことも可能かも知れない。ロヒンギャ特区的なことも可能かも知れない。
だが、ロヒンギャ族の方々は最後に何を望むのだろう?それは今はわからないが、最終的には彼らの地位向上まで視野に入れなければならないだろう。ミャンマーに戻って独立を目指すかも知れない。その時日本はどんな立場をとるのか?
今の彼らは助けなければならないが、どのように助けるかは考えていかねばならない。
どうも、クレージー安倍氏とは意見が合わない。
安倍氏の政治家の責任とは、「時局に合わせて法の解釈を変えることだ」そうだ。
私の感覚では、解釈を変えるのではなく、法を改定もしくは立法することが政治家の責任だと思うのだが。法というものは、ものにより異なるが、憲法のような根本となる法は解釈が変わらないように作るべきだ。
今、集団的自衛権の是非は論じられていない。手続きの妥当性を問われている状態に戻った。
憲法は変えることができることも憲法で決められている。ならば憲法を変えるべきだろう。多くの人が憲法違反と言うが、憲法改定はだめだとか、集団的自衛権の行使に反対がすべてではない。推進派でも憲法違反と言っている。それが普通の解釈なのだろう。彼の一族は普通ではないのだな。

何て言うか、これを認めたときに、我々が法を守る義務はなくなる気がする。すべて拡大解釈し例外にすればよい。少なくともそんな主張はできる。
秩序を取り戻すという人が秩序を乱してはいけない。訳のわからん政治家の責務なんて、自己満足でしかない。現政府は安倍氏の自己満足政府なのだ。