比較して、どっちがましだとか、バカじゃないの?
無理矢理も甚だしく、目を引きたいだけの記事である。どうせなら、甘利氏と舛氏でしょ。ベッキーは、石田純一、比較され過ぎてて目新しくない。
ベッキーは、タレントだし、別に税金使っているわけじゃない。舛添氏の方が申告
だが、論点が異なる。
ベッキーは、情に訴える必要があり、舛添氏は法の不備への責任転嫁あわよくば納得感が目的である。だから違って当たり前。

ある意味では両方できレースなのは同じかな。
政治資金法は、政治家が政治家のために作ったザル法なので、結果は違法性なしに決まっている。品格の問題なので品格のない、舛添氏には、意味がないことは自明だった。都民次第の問題だ。
ヘイトをヘイトする集団も嫌いだ。

ヘイトデモをしようとした集団が、
ヘイトデモをやめさせようとする団体に囲まれデモを中止した。

何かすごい違和感がある。
ヘイトスピーチやヘイトデモがいいと思っているわけではない。
ただね、やめさせる側の集団が強すぎるというのも何かどうなのって感じ。
よく集まるよね。暇な人たちだ。
私は無視するのが一番と思っているし、
はけ口をなくした方がもっと困るかなと思っている。

ヘイトを失くすのは、相互に理解することが重要で、
集団の力を使ってやめさせることがいいとも思わない。
ヘイトがあるのにないように抑え込むことは、より過激な集団を生み出す可能性がある。
日本人の潔癖さは両方につながり、極化しやすいので注意した方がよい。

もうちょっと言うと、私がおかしいと思う方もいるだろうが、
ヘイト禁止は、ヨーロッパの変な法律だと思っている。
こんなことを禁止する法律があることが問題の根深さを物語っている。
日本もヘイトがないわけじゃない。でもね、ヨーロッパの方がよっぽどひどいと思う。
ユーゴスラビアの崩壊でも、おかしいでしょ、ちょっと前まで同じ国民だったのに、
民族が違うからって集団殺戮するような民族の集りなんだよ、ヨーロッパは。
そういう民族間の殺戮の繰り返しなんだ。だから、ヘイトに神経質なのだと思う。
米国はいうにおよばない。なんと言おうと、差別がいまだに残っている米国がヘイト禁止だって言ったら、
まず国内なんとかしてこいってことだ、お笑い草だよ。

だから、やっていいって言ってるんじゃない。新たな過激なヘイトを生み出さないか不安なんだ。
ヘイトな人たちがヘイトを叫べば、ヘイトな人たちがいることがわかるので、意見を交換できるが、
頭から否定されると頑なになるのが人の心理。それが積もり積もっていかなければよいのだが。

後は、ヘイトが勢力を拡大するのは、社会不安があるから。
だから社会不安をなくすことが一番よい。それがなくせないので禁止になる。
人っていうのは、余裕があれば優しくなれるのだ。
中学校の部活の休養日を設定するらしい。
教師の負担が重すぎるからだが、発想がなぜ制限に向かうのか。
部活って、楽しいし、苦しいけど友達がいたり、
やれるだけやりたいのに、教師が足りないからできないって、
生徒から見たらどうなんだろう。
確かに部活は参加自由の自主活動だが、そういう建前で、
必要なことをやらない日本的行政が本当に嫌になる。
部活辞めたら行き場をなくす子もいるかもしれない。
教育に力を入れるとか言っていて、教える内容を偏らせるだけで、
教師の負担を軽くするために部活を縮小させるという。
部活による教師の負担を軽くするならば、
部活専門の講師を雇えるようにするとか補助するとかの発想にならないのか?
今でも、専門外の部活の担当になり、何も教えられない場合だってある。
怪我をしたり、練習の指導やアドバイスが本当にできているのか疑問である。
自分の学生時代の根性論を押し付ける教師もいる。
全ての教師が怪我に適切に対応できるとも思えない。
であれば、そこにスポーツインストラクター的な人間が必要なのではないか?
一時的に、部活の休養日を設定するにしても、本当の解決は部活しやすい方向に持って行ってほしい。
それが、スポーツ振興ってもんじゃないの?
優秀に見える人間だけを特別に鍛えてオリンピックに勝つのが目的なら、
そんなことに税金使う必要はない。一部の団体だけでやればよい。

コンピュータは一番がよいが、スポーツは何位でもよい。だれもが楽しめることの方がよい。