このような記事があった。東芝の失敗を原発の失墜に結び付けるのは強引すぎると思う。
今回の東芝の損失は、どう見ても、東芝のガバナンスの欠如によるものであり、原発のせいではない。原発の市場が縮小していることはそれなりに理解しており、海外に活路を見出すか、保守に専念するかは選択肢である。東芝は、見誤るというか、チェックしない体質なんでしょ。誰かがこれって言ったら何にも考えずに突き進む体質なんでしょ。途中で、ちょっとやばいとか疑問を言おうものなら、はずされちゃうような会社なんでしょ。経営幹部は、無理だと思っているのに何とかしろって言うし、何とかなってもなんで何とかなったんだろうと不思議に思わない会社なんでしょ。
ただそれだけ。原発の失墜とは関係ない。
相変わらず、表面だけを見る本日2017年2月15日の天声人語だ。時短を行うのに、最後は効率化を考えるみたいな結論、バカじゃないの?
日本人が時短ができない理由は、まじめだからだと思う。欧米人は何かと言うと働かなくてもよい理由を探す傾向がある。(言い過ぎだろうか、私の経験上だが。当然そうでない人もいるけど、根っこはそんな感じに思える。)
なので、人より働いていないと不安になる。内容よりも時間を気にするのも、体面を気にする日本人ぽい。
欧米人は、自分の仕事が終わるととっとと帰る。周りが何をしていようと帰る。それは日本人的には美しくないように思える。
ある時より、チームワークを宝物のように大事にする日本人は、ほっておくよりみんなでなんとかすることを重視する。
不可能な作業量を何とかこなすことに美を感じるのだ。欧米人はできんものはできん、できなくても無理な業務を分担させた管理職が悪いって言う気がする。
オリンピックとかでもよく思うのは、余力のない日本人は余裕がないのでここ一発に強くない。そういう精神的な面や、あたかも時間を長くやっている奴が会社に貢献していると思う体質が、本当の問題なのだ。
それを効率化って、本当に普通の会社を知らんな。効率化してもその分仕事が増え続けるだけなのだ。それが企業のコスト削減だし、そのくせ時短を推進しようとしていることの矛盾が川柳になっているのに、まるで理解していない。お粗末な話だ。
本日の朝日新聞に、記載があった。
1992年のPKO参加にあたり、政府は「戦闘」を「国や国に準ずる組織(国準)の間の争いの一環で人を殺傷または物を破壊する行為」と定義したそうだ。昨年施行の安全保障関連法でも「現に戦闘行為が行われている現場では実施しない」と明記されているそうだ。
南スーダンでは昨年7月に大統領派と副大統領派の間で武力衝突があったそうだが、副大統領派を国準と判断せず、戦闘行為ではないと判断したそうだ。この判断は正しいのか?より細かい定義をしていく必要があるのではないか?ゲリラ的な散発の攻撃なのか、継続的な建物が破壊されるような攻撃なのかにもよるだろうし、日々判断となるに違いない。撤退には時間がかかるだろうし準備も必要だが、備えができていればよいのだが。
日本の悪い癖で、行く時の基準は決めるが撤退時の基準を決めずに玉砕するのが日本の伝統・お家芸なので、その点が心配だ。無駄死ににならないようにしてほしい。
シリア内戦は、検討する必要がないという政府説明はちょっと信じられない。少なくとも防衛省は議論しているはずだ。参加することになってから検討するなんて、そんな政府はない。
稲田防衛相がこの回答ができるとは思わないが、参加するとしたらどういう条件のもとになるかという議論はしているだろう。はっきり言って、今のところ、ISとの間で停戦合意がなされていない場所なのであり得ないのは確かだと思うのだが。

調べてみると、2011年12月20日当時の民主党政権により、南スーダンPKO参加が野田内閣により閣議決定されている。当初、南スーダンの独立問題が発端で国連のミッションが開始されており、その当時の南北スーダンの国境紛争の方が状況としては激しく、その時参加を決定した民進党がPKO参加について抗議をすることはできない。そのため、PKO参加そのものに対する踏み込んだ議論にはならず、稲田防衛相の不手際を追及するのみとなっているようだ。

結局、民進党は自民党と基本的な考えに差がなく「てにをは」をつついているに過ぎない事例である。