梅雨だ、豪雨だ、洪水だ、河川氾濫だ、土砂崩れだ、避難指示だ、命を守る行動だ、とかなんとか。

これみんなヤラセですからね。お人よしの日本人は、政府も県庁も気象庁も国土交通省もマスコミも皆ツルんで日本人を殺害しようとしているなんて夢にも思わないのでしょうね。

ですが気付き始めた人が増えているとも感じます。

 

お人よしは縄文時代からの日本人の特性です。縄文人は、渡来人の悪意を知らずして、水脈、鉱脈、すべてを聞かれるままに教えてしまい、挙句に殺され、追い払われ、単一民族としては絶滅してしまいました。

縄文人は戦わないくせに、身体能力はずば抜けて高く、異星人や宇宙のエネルギー体(神様)とも繋がっている、渡来人からしたら恐ろしい存在です。

それなので聖地を徹底的に破壊して、その上に社や鳥居を立てて、縄文の神様を封印して、渡来系の神様を祀るようにしました。

皮肉にも、縄文の聖地は、形を変えてずっと大切に残されるようになったのです。

たとえば「諏訪大社」。もともとの縄文の神様は、その土地に根付く土地神様「ミシャグジ神」です。そしてミシャグジ神とともに封印されていたのが地球そのものの護り神「イワナガ姫」です。

政権闘争に敗れた出雲族が諏訪に移って、両神様を封印した上にタケミカヅチのなんとかいう自分たちの神様を祀ってしまったのです。それが現在まで続いています。

諏訪大社の神職さんたちは、未だに封印の儀式をやっているようですが、もう終わりにしなければならない。日本が再生するには、隠された嘘を膿出しする必要があります。

諏訪大社の主祭神はミシャグジ神とイワナガ姫です。そのついでにタケミカヅチも祀ってやればいいのです。多くの神社がこのように変わっていくのではないかとも思います。

諏訪大社には今年中に行く予定でおります。

何もかも差し出したお人よしの縄文人。それが民族絶滅に繋がりました。同じことを繰り返してはいけない。私たちは縄文人のように光だけしか知らなかった人たちではない。

縄文の遺伝子を受け継ぎ、闇の存在も体験もしています。それなので再び民族絶滅の道を辿ってはならないのです。

 

これまでの天気予報は、「このようにしてやる」という計画が先にあります。それに沿って多くのバカ者たちが司令通りに動きます。ジェット機で空中にアルミを散布して、そこに電磁波を当てます。アルミに水分が付着して雨雲作ります。これ以外にも方法はいっぱいあるはずです。計画通りの予報をマスコミが国民に発信し、その通りの事象を発生させ、自然災害の名のもとに洪水や土砂崩れで殺害していくのです。

明るく可愛げに話すお天気お姉さんや、日本人らしく振る舞うアナウンサー、権威丸出しの官僚や学者に騙されてはいけない。縄文人と同じ轍を踏んではならない。

ところが去年あたりから、予報がはずれだします。これは縄文の神様たちの封印が解かれたことも関係があります。瀬織津姫やミシャグジ神、イワナガ姫。その他にも宇宙の意識体や異星人たちが日本を護っているからです。

昨日見た雨雲レーダー。九州全体が覆われていました。これが関東に来るのか、弱体化させられるのか。当初の予定では翌日の関東は雨でした。ところが本日は曇り。たまに恵みの雨。晴れ間も見える。雨雲レーダーを見ると、雨雲がすっかりなくなっていました。

台湾の東では、相変わらず海に電磁波を照射して台風を作ろうとしています。

1~5まで連続でご覧ください。

綿あめのようにぽつぽつと膨らんでいきます。それが大きくなっていきますが、これまでのように日本直撃にはならない。東に流されてしまう。

こんな世界はもういらない。オリンピックで東京に爆弾を落とすのも止めろ。岡山に首都移転なぞさせない。ネオ縄文時代は各地域から始まる。了

ここ数日、私の嫌いな外国人や帰化人たちのことを強く意識していたせいか、私の周りに、目に付くところに次々とそれらが現れるようになりました。

余計にイライラとしてしまい、しばらく悶々として過ごす羽目になりました。

この嫌な心地よくない状態から、早く抜け出したいと、どうしたものか考えていました。

そして、これは私の中の負の感情が表に出て来ているのに違いないと考えるようになりました。私の中の闇の部分、怒りとか憎しみとかのマイナスの感情、低い波動。

もちろん奴らがしたことを思うと、とても許せるものではありません。

しかし、いつまでも根に持ち、怒りを自分の中に持ち続けることは自分自身にとっても世界や地球にとってもよくないと思うようになりました。

ここはいつもの通り、自分の中の負の感情を捨てることにしました。過去の出来事を忘れたり、逃げたりすることではありません。被害に遭われた多くの日本人に対しては慰霊の気持ちを抱き、外国人どもの悪事も客観的な出来事としてとらえ、その中の登場人物にならないようにします。そして怒りとか憎しみとかいった生の負の感情を捨てることにしました。

うんと重い鉄の塊にして捨てます。ぽっかり空いた身体の場所は黄金の光で満たします。

この繰り返しで、嫌な出来事や人物に遭うことや接触することや意識することが減っていくのです。

 

そして次に、嫌なことに意識を向けたり考えたりするのではなく、自分の楽しいと思うことやワクワクすることを想像します。

自分の、こうなりたいという明るい楽しい未来を想像します。妄想でもいい。

楽しい場面や嬉しい場面を想像して、思わずニヤリとしてしまったら大成功です。

最後に大笑いして心身ともに浄化します。自然の中に入って浄化する方法もありますが、上質な笑いは身近にもあります。

「カトちゃんケンちゃん光子ちゃん」というお笑い番組がありました。そのDVDの宣伝用のダイジェスト動画を紹介します。2分強です。ご覧になってみてください。了

 

40年ほど前、私は演劇学校に通っておりました。そこでは演技訓練の他、音楽、声楽、日本舞踊、バレエなどの盛りだくさんの授業がありました。

当然、同時代のリアルタイムの演劇や映画をたくさん観たものです。

特に自分たちのまる写し、まるで鏡を見ているような、その場にいるような錯覚さえ起こした映画が1980年の「フェーム」です。

映画フェームの登場人物たち

これは芸能学校に通う生徒たちの日常生活を描いたものです。アメリカの若者たちです。

 

私は外国人に対して少なからず抵抗感があります。なぜなら日本で目にする外国人は悪い奴が多いからです。はっきり言うと外国人は嫌いです。これも差別なのか。でもあからさまに悪い人を嫌いだというのは当たり前のことではないでしょうか。犯罪を差別にすり替えてはいけない。

ただしこれまで私が出会ってきた、見てきた外国人の中で立派な人もいました。好きな人も素敵な人もいました。例えばクロンボの音楽家ルイ・アームストロング。あの人きっと優しい人だと思います。

ちなみに差別用語というのは、外国人による日本政府と官僚が決めたものです。彼らは縦の関係と規制が大好きなのです。私は昔ながらの「クロンボ」「めくら」「びっこ」などを今でも使っています。洗脳された人たちは顔をしかめますが、昔から日本人が普通に使っていた言葉を規制するのはおかしいのです。その昔、その言葉を発した日本人は、見下したり差別したりする意識はありません。言われる方も卑下されたとは思いません。例えば座頭市という映画で「おめくらさんなのに、一人でよくここまで来なさったねぇ」などというようなセリフがあります。こういう言葉を規制するということは、遠回しに「チョウセンジン」とか「バカチョン」だとかを抑えるためにあるのです。

同様に「性」に対しても、恥ずかしいこと、隠すこと、子どもには見せないことなど巧みに抑制させて洗脳してきました。だからオッパイとか尻のラインがいいなどと発言すると、洗脳された人は、その人をたしなめるようなことがあります。「性」というのは数千年前から抑制され、押さえつけられ、支配の道具に利用されてきたのです。

そのため現在でも「性産業」は年間何兆円も稼いでいるのです。

「性」は恥ずかしいという刷り込みを解いて下さい。「性」とは尊い神聖なものなのです。

江戸時代は性に対して大らかであり、子どもは長屋の皆で育てていました。

縄文時代は一夫多妻ではなく「多夫多妻」でした。子どもの父親がわからなくても、皆の授かりもの、宝なので村の皆で育てていました。もちろん育児ノイローゼなんてゼロです。

だから性的に誉めたり発言したりすることは、ごく普通の当たり前のことだったのです。

ただし外国人の発言には注意しなければなりません。日本国内で起きている性犯罪の全ては日本名を持つ半島人によるものです。

 

話を戻します。ジャズのルイさんは大好きですし、私がフランスに旅行した27才の時、あるデパートで私が店員に無視され続けていたことに対して、本気で店員に怒ってくれたフランス人の太った70才くらいのおばさんがいました。フランス語なのでよくわからないのですが「このお兄ちゃんがさっきからずっと待っているのになんであんたたちは無視をするのさ!今すぐお兄ちゃんに接客してあげなさい!」というような感じだと思います。あのおばさん、フランス人の「マダム」今でも鮮明にはっきりと覚えています感謝しています。外国人のことを本気で嫌いになりそうになったとき、私はおばさんのことを思い出すようにしています。優しくて温かい気持ちにさせてくれます。マダム、ありがとうございました。あなたは素敵な人です。

 

そして「フェーム」に出てきた「ココ」役の「アイリーン・キャラ」。この人も黒人の女性なのですが、とってもかわいい。なんかすごい細身なんです。たとえ幻影だとしても40年前に彼女が私の前に居たのなら、私は放ってはおかない。必ずアタックします。相手も合意なら結婚もしたでしょう。人間本気になったら黒人も差別もなくなるものだと思います。

さて、あれから40年経った現在でも、時々DVDで観ているのが1983年の「フラッシュダンス」という映画です。ダンサーを目指す孤独な女の子の奮闘物語です。

当時20才だった演劇青年の私は、クラスの仲間数名と(女性もいた)映画館に行きました。びっくりした。たまげた。それまでダンスといえば「クラシックバレエ」しかなかったのです。「モダンバレエ」は上級者がやるもので、日本ではダンスと言えば「クラシックバレエ」だけのことでした。それが、街の道路の上で汚い服着てロボットみたいな動きをしている。傘持って道路の上を滑っている。背中でコマみたいにくるくる回っている。なんだこれは!?と観ている全員の目が点になりました。

実はこれが初めて日本にお目見えした「ブレイクダンス」だったのです。ストリートダンスともいいます。現在のヒップホップだのなんだのというダンスの始まりでした。

ホントたまげました。こんなダンスがあるなんて。その部分の動画がありましたので貼り付けておきます。

この映画が公開された後に、ジャズダンス教室があちこちにできました。若い女性を中心にハイレグのレオタードで踊るのが流行りました。

そして「マイケル・ジャクソン」が自身の楽曲でムーンウォークなどを取り入れてブレイクダンスは日本だけでなく世界にも広がるようになりました。

さて、この映画「フラッシュダンス」の主題歌を歌っていたのがアイリーンキャラです。

私の妄想の恋人です。

映画には出演しておりませんでしたが、この曲は大ヒットになりました。

少しへこんだ時などに、今でも聴いています。元気が出てくる。あの頃の若さや高揚感を思い出す。そして頑張るぞと思えてくる。私の心の青春映画です。

アイリーン・キャラが歌う「ホワット・ア・フィーリング」の動画、よろしければご鑑賞ください。了