40年ほど前、私は演劇学校に通っておりました。そこでは演技訓練の他、音楽、声楽、日本舞踊、バレエなどの盛りだくさんの授業がありました。

当然、同時代のリアルタイムの演劇や映画をたくさん観たものです。

特に自分たちのまる写し、まるで鏡を見ているような、その場にいるような錯覚さえ起こした映画が1980年の「フェーム」です。

映画フェームの登場人物たち

これは芸能学校に通う生徒たちの日常生活を描いたものです。アメリカの若者たちです。

 

私は外国人に対して少なからず抵抗感があります。なぜなら日本で目にする外国人は悪い奴が多いからです。はっきり言うと外国人は嫌いです。これも差別なのか。でもあからさまに悪い人を嫌いだというのは当たり前のことではないでしょうか。犯罪を差別にすり替えてはいけない。

ただしこれまで私が出会ってきた、見てきた外国人の中で立派な人もいました。好きな人も素敵な人もいました。例えばクロンボの音楽家ルイ・アームストロング。あの人きっと優しい人だと思います。

ちなみに差別用語というのは、外国人による日本政府と官僚が決めたものです。彼らは縦の関係と規制が大好きなのです。私は昔ながらの「クロンボ」「めくら」「びっこ」などを今でも使っています。洗脳された人たちは顔をしかめますが、昔から日本人が普通に使っていた言葉を規制するのはおかしいのです。その昔、その言葉を発した日本人は、見下したり差別したりする意識はありません。言われる方も卑下されたとは思いません。例えば座頭市という映画で「おめくらさんなのに、一人でよくここまで来なさったねぇ」などというようなセリフがあります。こういう言葉を規制するということは、遠回しに「チョウセンジン」とか「バカチョン」だとかを抑えるためにあるのです。

同様に「性」に対しても、恥ずかしいこと、隠すこと、子どもには見せないことなど巧みに抑制させて洗脳してきました。だからオッパイとか尻のラインがいいなどと発言すると、洗脳された人は、その人をたしなめるようなことがあります。「性」というのは数千年前から抑制され、押さえつけられ、支配の道具に利用されてきたのです。

そのため現在でも「性産業」は年間何兆円も稼いでいるのです。

「性」は恥ずかしいという刷り込みを解いて下さい。「性」とは尊い神聖なものなのです。

江戸時代は性に対して大らかであり、子どもは長屋の皆で育てていました。

縄文時代は一夫多妻ではなく「多夫多妻」でした。子どもの父親がわからなくても、皆の授かりもの、宝なので村の皆で育てていました。もちろん育児ノイローゼなんてゼロです。

だから性的に誉めたり発言したりすることは、ごく普通の当たり前のことだったのです。

ただし外国人の発言には注意しなければなりません。日本国内で起きている性犯罪の全ては日本名を持つ半島人によるものです。

 

話を戻します。ジャズのルイさんは大好きですし、私がフランスに旅行した27才の時、あるデパートで私が店員に無視され続けていたことに対して、本気で店員に怒ってくれたフランス人の太った70才くらいのおばさんがいました。フランス語なのでよくわからないのですが「このお兄ちゃんがさっきからずっと待っているのになんであんたたちは無視をするのさ!今すぐお兄ちゃんに接客してあげなさい!」というような感じだと思います。あのおばさん、フランス人の「マダム」今でも鮮明にはっきりと覚えています感謝しています。外国人のことを本気で嫌いになりそうになったとき、私はおばさんのことを思い出すようにしています。優しくて温かい気持ちにさせてくれます。マダム、ありがとうございました。あなたは素敵な人です。

 

そして「フェーム」に出てきた「ココ」役の「アイリーン・キャラ」。この人も黒人の女性なのですが、とってもかわいい。なんかすごい細身なんです。たとえ幻影だとしても40年前に彼女が私の前に居たのなら、私は放ってはおかない。必ずアタックします。相手も合意なら結婚もしたでしょう。人間本気になったら黒人も差別もなくなるものだと思います。

さて、あれから40年経った現在でも、時々DVDで観ているのが1983年の「フラッシュダンス」という映画です。ダンサーを目指す孤独な女の子の奮闘物語です。

当時20才だった演劇青年の私は、クラスの仲間数名と(女性もいた)映画館に行きました。びっくりした。たまげた。それまでダンスといえば「クラシックバレエ」しかなかったのです。「モダンバレエ」は上級者がやるもので、日本ではダンスと言えば「クラシックバレエ」だけのことでした。それが、街の道路の上で汚い服着てロボットみたいな動きをしている。傘持って道路の上を滑っている。背中でコマみたいにくるくる回っている。なんだこれは!?と観ている全員の目が点になりました。

実はこれが初めて日本にお目見えした「ブレイクダンス」だったのです。ストリートダンスともいいます。現在のヒップホップだのなんだのというダンスの始まりでした。

ホントたまげました。こんなダンスがあるなんて。その部分の動画がありましたので貼り付けておきます。

この映画が公開された後に、ジャズダンス教室があちこちにできました。若い女性を中心にハイレグのレオタードで踊るのが流行りました。

そして「マイケル・ジャクソン」が自身の楽曲でムーンウォークなどを取り入れてブレイクダンスは日本だけでなく世界にも広がるようになりました。

さて、この映画「フラッシュダンス」の主題歌を歌っていたのがアイリーンキャラです。

私の妄想の恋人です。

映画には出演しておりませんでしたが、この曲は大ヒットになりました。

少しへこんだ時などに、今でも聴いています。元気が出てくる。あの頃の若さや高揚感を思い出す。そして頑張るぞと思えてくる。私の心の青春映画です。

アイリーン・キャラが歌う「ホワット・ア・フィーリング」の動画、よろしければご鑑賞ください。了