坊主をしている。
寺の仕事である。
「いつもなにをしているのですか」
よくこんな質問を受ける。
お客さんからも、知り合いからもきかれる。
「いつも」とはお経を読んでいないときのことらしい。
確かに、坊主となれば読経が連想されるだろう。
しかし、修行中でもなければ、終日お経を唱えることは稀だ。
普段は、お経を読んでいない時間の方が長い。
だから、なにをしているのか想像がつかないのだそうだ。
まずは掃除である。
お堂、客間、墓地、などを綺麗にしておく。
お堂には、仏さまがいらっしゃる。
私の勤める寺の仏さまは阿弥陀さまである。
本堂は、阿弥陀さまの御国である西方極楽浄土となる。
西方極楽浄土は完璧な世界である。
となれば、本堂はいつでも清浄に保たれていなければおかしい。
客間はお客さまの控え室である。
整頓しておくのは寺に限らない。
墓地は、御遺骨が埋葬されている。
掃き清めておくのはあたりまえである。
事務作業も多い。
寺では寺務と書くこともある。
例えば、行事案内の手紙を作成する。
次に、手紙を折り、封筒に入れて、郵便局でスタンプを押し、送付する。
帳簿の管理もする。
これが一番苦手である。
宗教や仏教のことは学校で習う。
しかし、財務も含めて運営実務は教わらない。
修行に簿記の時間はない。
寺に入ってから実地で学ぶしかない。
お客さまからの相談を整理することも少なくない。
「お墓のことでちょっと……」
世の中では様々なことある。
それぞれの事情を伺い決まりに従って説明していく。
お墓や儀式に関しては法律がある。
墓地埋葬法である。
一応のことは理解しているつもりである。
しかし、相談内容は多様である。
専門家に確認することは日常茶飯事だ。
お坊さんで、なおかつ弁護士をなさっている方もいる。
私などは坊主だけで手に余る。
世間にはとんでもない秀才がいたものである。
昨日は、パソコンの調子がおかしくなった。
この問題を解決するために、オペレーターに電話をした。
午前中を全て費やしてしまった。
「いつも」何をしているか。
だから、ようするに私は「バタバタ」しているのである。
お釈迦様のお言葉です。
『諸々の出家修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱められ、その不快なことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P202】
ありがとうございました。