今の寺に勤めはじめてから15年以上になる。
入った当初は明治時代の建物だった。
地盤は安定している。
そのため関東大震災を耐えることができたようだ。
近くに米国の施設がある。
「だから東京大空襲の被害を免れることができた」
総代さんが教えて下さった。
もちろん、その都度手入れはしているはずだ。
しかし、100年となれば老朽は仕方がない。
入寺してから数年で、お堂と庫裏を建替えることとなった。
(仏像の修繕もこの折りに)
建築中はお寺で儀式は行えない。
ならば、本尊さまが不在でも許される。
「それはよろしいですね」
役員さんも賛同して下さった。
本尊さまは江戸時代に像造された。
約350年前である。
震災、戦災だけではない。
明和の大火、廃仏毀釈もおくぐりになった仏さまである。
話は変る。
先日、ご年配の男性が往生なさった。
お檀家さまである。
長い間、ご病気だったそうだ。
「なかなか伺えなくて」
稀に墓参にいらしても、すぐにお戻りになっていた。
看病をなさっていたのだから当然である。
「気持ちはあったんです」
仏さまにもお墓にもお参りにしたい。
ご主人もその思いを強く持っておられた。
しかし、病を患ってからは難しかった。
荼毘にふしているあいだ、奥さまが教えてくださった。
(ん~)
お話をきいているあいだ、不思議な感覚があった。
全身が神妙な感じとなっていた。
(なんだろうか)
身体がグーッとしている。
「そういえば、昔ね」
続いて奥さまは仏像のこと語ってくださった。
「主人のお父さんがね」
つまり義理のお父さまのことである。
そのお父さまは、大東亜戦争のとき、本尊さまを避難させて下さったそうなのだ。
都心では空襲の被害にあうかもしれない。
そこで、本尊さまをリヤカーに乗せて八王子までお連れ下さった。
八王子にはお仕事用の作業施設をお持ちだったとのことだ。
「そうだったんですか」
初めて知った。
とても驚いた。
(このことだったのか)
いつのまにか神妙になっていたことも理解できた。
お父さまの霊験が、ご主人さま、奥さまへと伝わり、私にも現れていたに違いない。
誠にありがたいことである。
また、仏さま法力の大きさも改めて伝わってきた。
日本霊異記の記録です。
『聖武天皇の御代に、和泉国和泉群(大阪府の南部)の珍努の上の山寺に、聖観音菩薩のご本体の木像を安置して、敬い供養していた。ある時、失火があり、その仏殿を焼いてしまった。その折、かの菩薩の木像は焼けている仏殿から二丈ほど外に飛び出て、うつぶせになったので、焼け損なうことがなかった。この三宝の仏像は木で作られたものであるから、仏としての色や形、それに感情などがあるわけではない。しかし目には見えないけれど、恐るべき不思議な力をもっておられることがほんとうによくわかる。これは不思議なことの第一に推すべきものである』
【講談社学術文庫 日本霊異記(中) 中田祝夫先生訳P255】
ありがとうございました。