彩りの街 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

羽田空港近くの公園に行った。

 

戌の刻ごろである。

 

真冬の夜だ。

 

しかも海辺に吹く風は冷たい。

 

見渡す限り誰もいない。

 

岸壁から海をのぞきこんでみる。

 

(満タンだな)

 

潮位はかなり高かった。

 

大潮だろうか。

 

(おちつくな)

 

海は暗い。

 

波の音だけがきこえる。

 

都心方面を眺めてみる。

 

東京タワーが電飾されている。

 

レインボーブリッジは光っている。

 

建並ぶ高層ビルは皓々と輝いている。

 

綺麗である。

 

皆さん仕事をしているのだろうか。

 

それとも仲間と楽しんでいるのだろうか。

 

いずれにしても縁の遠い世界である。

 

普段は寺に勤めている。

 

一掃除二勤行が仕事である。

 

社会的には世間さまから離れた所となる。

 

にもかかわらず溺れそうになりながら、なんとか浮いている。

 

情けない。

 

世間の流れはとてもはやい。

 

そして強い。

 

私などでは完全に飲み込まれてしまう。

 

(上空も明るいな)

 

彩られている都会をみながら思う。

 

昔、お釈迦さまはたいへん幸福だった。

 

家の池には美しい蓮の花が咲いていた。

 

部屋にはお香のよいかおりがただよっている。

 

着物は最上級の布でつくられている。

 

その他に、春、夏、冬用の家もあった。

 

お手伝いさんにも立派な食事を提供した。

 

たしかにうらやましい暮しぶりである。

 

ところがお釈迦さまはその生活から離れた。

 

ご存じの通りである。

 

いわゆる「四門出遊」だ。

 

お釈迦さまは釈迦族の太子だった。

 

お若いとき、王宮の東西南北の各門にて「生老病死」をみた。

 

四苦である。

 

これをごらんになった太子は、世をいとう心がうまれた。

 

お釈迦さまは、こうして王宮を後にして出家沙門となった。

 

今の社会はお釈迦さまが幸福だった頃の暮しと似ているのではなかろうか。

 

そして、なおその生活を洗練させる方向を目指している。

 

(世間の思いと教えはすれ違っちゃうよな)

 

考えてみれば、仏さまの思いとは真逆である。

 

(そろそろ帰ろうか)

 

無い私のあたまではこれ以上思考がまわらない。

 

夜も遅い。

 

あすも仕事だ。

 

寺のある街中に向けて車を走らせる。

 

 

お釈迦さまのお言葉です。

 

『他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解しがたい真理をみよ』

 

【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P172】

 

ありがとうございました。