花鳥風 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

海辺の道を散歩した。

 

厳密には運河沿いの道かもしれない。

 

少し前にみつけた。

 

人事の中にいることが多くなると、潮風にあたりたくなる。

 

人気のないところで自然に触れたくなる。

 

山でもよいのだが、気軽に行かれる距離にはない。

 

遊歩道は木々がおおいかぶさるように茂っている。

 

ただし、眺めは良好である。

 

運河の向こうにはモノレールが走っている。

 

さらにずっと遠くには富士山がみえる。

 

足もとにはカタバミの黄色い花が綺麗に咲いている。

 

水路の中央には鳥が群れていた。

 

近くに浄水場がある。

 

その還水口付近には小魚が集まりやすい。

 

これをおめあてに鳥があつまる。

 

ブラブラと1km程進むと開けた公園になる。

 

公園の対岸は羽田空港である。

 

大きな写真機を構えている人がちらほらといる。

 

航空機を写すのであろう。

 

(なにかいるかな?)

 

時折足をとめる。

 

公園の岸から海中をのぞきこむ。

 

(ずいぶんと潮が引いているな)

 

その日は、法面に近い海底部分は露出していた。

 

ゴツゴツとした岩肌がみえた。

 

(きれいだな)

 

潮の流れが影響しているのだろうか。

 

海水はいつになく透き通っていた。

 

(いっぱいいるな)

 

黒い魚影がちらほらとみえる。

 

模様から推測するに黒鯛だと思われる。

 

(こんなにいるのに……)

 

釣りをするときには別の公園に行く。

 

しかし、この公園から、さほど離れてはいない。

 

釣りの公園にだって魚は沢山いるはずだ。

 

それなのに、未だ釣れた例しがない。

 

余程センスがないのであろう。

 

昼間なので月はない。

 

しかし、花鳥風は楽しめた。

 

世間さまに入っていくと色々なことがある。

 

人事の世界での考え方や、ものの見方があるようだ。

 

一掃除、二勤行の寺勤めの身である。

 

それでも世間からの影響は多くある。

 

人事から離れた感性を養いたい。

 

そう思えば、物理的に距離をおくことは有効なのではなかろうか。

 

私のようなものでは頭で考えてみてもわからない。

 

もちろん、花鳥風月も過ぎては事を失するに違いない。

 

 

お釈迦さまのお言葉です。

 

『賢者は、両極端に対する欲望を制し、感官と対象との接触を知りつくして、貪ることなく、自責の念にかられるような悪い行いをしないで、見聞することがらに汚されない』

【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P176】

 

ありがとうございました。