たわいもなく | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

勤めている寺の横に公園がある。

 

遊具が三つある。

 

地面は土である。

 

植栽もある。

 

反対側の横には保育所がある。

 

保育所の子ども達は、毎日その公園に遊びにくる。

 

保育所の近所は高層ビルばかりである。

 

ちびっ子たちにとって、貴重な公園である。

 

先日も公園の様子をみていた。

 

墓掃除の休憩中である。

 

「先生、きれいな落ち葉!」

 

女の子が紅葉の葉を拾っていた。

 

他の子も集まってくる。

 

「きゃー」

 

先生に追いかけられて大騒ぎである。

 

鬼ごっこのようだ。

 

楽しそうである。

 

みんなの姿に邪心は感じられない。

 

その日の夜は新年会だった。

 

地域のお寺さんたちが集まった。

 

「それではいただきましょう」

 

最長老から新年のご挨拶を頂戴し、乾杯へと進む。

 

おそれながら般若湯をいただく格好だ。

 

私は温かい烏龍茶をお願いした。

 

とにかく般若湯が不得意なのである。

 

「年始から大変なことになったね」

 

初めは世情の話となった。

 

やがて、仕事に関する話題に移っていく。

 

「そういえば、昔あるお寺で翡翠(ひすい)の磬(けい)をみたんだよ」

 

二番目の御長老がおっしゃった。

 

現在の磬は金属製が多い。

 

だから石製はめずらしい。

 

叩いて音を出す仏具だ。

 

浄土宗では本堂にて導師が座っている所の右側にある。

 

とても綺麗な音だったらしい。

 

「聴いてみたいですね」

 

皆が感心を寄せた。

 

「大鏧(だいきん)は音が変るからね」

 

しばらくして別の御長老が教えて下さった。

 

大鏧は本堂に置いてある大きなお椀状のカネである。

 

「あるお寺さんの大鏧はラからシになったようだよ」

 

50年かけて転じたようだ。

 

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」

 

毎日叩いているのである。

 

堅い金属でも変化するはずだ。

 

変らないと思っているものでも変る。

 

平家物語の冒頭はそれを諭してくれているのだろうか。

 

さて宴たけなわの頃、再び最長老がポロリとおっしゃった。

 

「たわいもない話をしながら、お酒をいただくのが一番楽しいね」

 

人事の世界は付き合いが多い。

 

関係性が気になり心労が重なる。

 

公園の子ども達はたわいもなく遊んでいた。

 

ほんとうに楽しそうだった。

 

純粋に付き合える友がいる。

 

そんな日常が幸せなのかもしれない。

 

 

お釈迦さまのお言葉です。

 

『今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀(さい)の角のようにただ独り歩め』

 

【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P22】

 

ありがとうございました。