勤めている寺の横に公園がある。
遊具が三つある。
地面は土である。
植栽もある。
反対側の横には保育所がある。
保育所の子ども達は、毎日その公園に遊びにくる。
保育所の近所は高層ビルばかりである。
ちびっ子たちにとって、貴重な公園である。
先日も公園の様子をみていた。
墓掃除の休憩中である。
「先生、きれいな落ち葉!」
女の子が紅葉の葉を拾っていた。
他の子も集まってくる。
「きゃー」
先生に追いかけられて大騒ぎである。
鬼ごっこのようだ。
楽しそうである。
みんなの姿に邪心は感じられない。
その日の夜は新年会だった。
地域のお寺さんたちが集まった。
「それではいただきましょう」
最長老から新年のご挨拶を頂戴し、乾杯へと進む。
おそれながら般若湯をいただく格好だ。
私は温かい烏龍茶をお願いした。
とにかく般若湯が不得意なのである。
「年始から大変なことになったね」
初めは世情の話となった。
やがて、仕事に関する話題に移っていく。
「そういえば、昔あるお寺で翡翠(ひすい)の磬(けい)をみたんだよ」
二番目の御長老がおっしゃった。
現在の磬は金属製が多い。
だから石製はめずらしい。
叩いて音を出す仏具だ。
浄土宗では本堂にて導師が座っている所の右側にある。
とても綺麗な音だったらしい。
「聴いてみたいですね」
皆が感心を寄せた。
「大鏧(だいきん)は音が変るからね」
しばらくして別の御長老が教えて下さった。
大鏧は本堂に置いてある大きなお椀状のカネである。
「あるお寺さんの大鏧はラからシになったようだよ」
50年かけて転じたようだ。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」
毎日叩いているのである。
堅い金属でも変化するはずだ。
変らないと思っているものでも変る。
平家物語の冒頭はそれを諭してくれているのだろうか。
さて宴たけなわの頃、再び最長老がポロリとおっしゃった。
「たわいもない話をしながら、お酒をいただくのが一番楽しいね」
人事の世界は付き合いが多い。
関係性が気になり心労が重なる。
公園の子ども達はたわいもなく遊んでいた。
ほんとうに楽しそうだった。
純粋に付き合える友がいる。
そんな日常が幸せなのかもしれない。
お釈迦さまのお言葉です。
『今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀(さい)の角のようにただ独り歩め』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P22】
ありがとうございました。