役所に行った。
戸籍抄本をとるためである。
「ご用意できましたら番号をお呼びいたします」
朝だったからであろうか。
待つことなく対応してくれた。
椅子に座り、買っておいた缶コーヒーを飲む。
「会社をいくつも経営しているんだ。こっちはひまじゃないんだよ」
すると、向こうから大きな声がきこえてきた。
70才くらいの男性が怒っていた。
「書類を全てお持ちいただかないと」
職員さんは丁寧に説明していた。
「だから昨日電話をしたんだよ」
男性は一度で手続きを済ませたかったらしい。
そのため、用意するものを事前に確認したかった。
だが、誰もその電話には出なかった。
「そうでしたか。申し訳ございませんでした」
職員さんは謝っていた。
「こんな手続きに時間を費やしているわけにはいかないんだよ」
仕事に時間を使いたいのであろう。
「他には必要ないんだね」
男性は念をおしていた。
「次に来たときに、あれが足りない、なんて言い出されたらこまるんだよ」
嫌みなことも口にしていた。
(そこまで言う必要ないでしょ)
そう思ったが声に出す勇気はなかった。
まったく職員さんが気の毒である。
来所者は毎日沢山いるに決まっている。
時には電話に手が回らないこともあろう。
(そんなことも想像できないんですか)
経営者なのに不思議である。
それに、一度目で出なければ、時間をおいてかけなおせばいい。
(会社経営よりも、よっぽど簡単ですよ)
こちらも嫌みをぶつけてやりたくなる。
(全てが自分の思い通りにならないと気が済まないのかな)
勝手な推測だが、あながち外れでもないであろう。
こういう人たちをみるにつけ、例えばしばらく墓掃除をしてみればいいと考える。
春や夏は、雨が降る度に草が伸びてくる。
こちらの予定などお構いなしに生えてくる。
秋は大法要がる。
事前に落ち葉を掃いて墓地を綺麗にしておく。
ところが、前夜に強風がふいたなら……。
当日の朝、急いで一からやりなおす。
こちらの都合など関係ない。
つまり、世の中は思い通りにならないことばかりだと理解できるはずなのである。
この理は、2500年も前から解説され続けている。
今でも多くの方はご承知のはずである。
お釈迦さまのお言葉です。
『「苦しみは識別作用に縁って起こるのである」と、この禍いを知って、識別作用を静まらせたならば、修行者は、快をむざぼることなく、安らぎに帰しているのである』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P161】
ありがとうございました。