ある日の午後、八王子市の霊園でお勤めをした。
(ゆっくり帰ろう)
まもなく夕方となる。
以後、仕事はない。
そこで、勤めている寺へのんびりと戻ることにした。
多摩丘陵を緩やかに下る。
安全運転を心がける。
多摩川まで来ると関戸橋を渡った。
聖蹟桜ヶ丘駅付近の橋である。
渡れば府中市となる。
(知らない道を走ってみよう)
甲州街道は使い慣れている。
たまには普段通らない道を通ってみたくなった。
早速、鎌倉街道を右に曲がる。
裏道を慎重に進む。
勘をたよりに道を選択する。
(あれっ?)
しばらくすると、住宅地の中にお墓が数基建っているのがみえた。
おそらく「みなし墓地」である。
都会では珍しい。
地方では田畑の中などにお墓が建てられているのをみかける。
一般的には「みなし墓地」と呼ばれている。
現在は墓地をつくるとなると「墓地埋葬法」に従うこととなる。
これにより墓地を運営できる者は限定された。
しかし、法律ができる前から守られていた墓所はある。
村の人々で管理していた墓所や、自宅の敷地内に建てていたお墓などである。
古からの霊域を法律が出来たからとして移動するわけにいかない。
順序が逆である。
だから、現在は「みなし墓地」として認められているのだ。
田畑や自宅にて御先祖をお守りする。
その土地を開いて下さった御先祖様をその土地でお守りする。
御先祖様への気持ちがとても感じられる。
近頃、葬送についての課題が報道されることがある。
多くはお墓についてである。
しかし、調べてみると、これは今に始まった課題ではない。
それぞれの時代においても悩みはあったようだ。
「みなし墓地」にも時にはテーマが現れるようだ。
御先祖様を大切にしたい気持ちはある。
だが、様々な事情で思うようにはお祀りできないことはある。
大きな要因は人々の生活事情が変ることであろう。
(皆が納得できる埋葬方法はないだろうか)
仕事柄、頻繁に考えているが解答がみつからない。
無い頭では本当に難しい。
法然上人行状絵図に記された文面です。
『法然上人の住房の東の崖の上に、西側の展望が開けるすばらしい土地があった。ある人がこの土地を相続し、自身の墓地と定めていたのを、上人が京都に帰って来られた後の昨年十二月、所有者がその土地を上人に寄付した。所有権を示す書類などを寄進状にそえて献上したので、上人は「源空に譲り給わったのは、三宝に回向されたのと同じである。御仏よ、お受けください」と言って、火中に投げ入れられた。ところで、いま上人が往生なされた際、この土地に廟堂を建て、石の唐櫃を造り、ご遺体をお納めすることになった。云々。現在、知恩院とよぶ寺院がこれである』
【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編P407】
ありがとうございました。