御先祖のお墓 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

ある日の午後、八王子市の霊園でお勤めをした。

 

(ゆっくり帰ろう)

 

まもなく夕方となる。

 

以後、仕事はない。

 

そこで、勤めている寺へのんびりと戻ることにした。

 

多摩丘陵を緩やかに下る。

 

安全運転を心がける。

 

多摩川まで来ると関戸橋を渡った。

 

聖蹟桜ヶ丘駅付近の橋である。

 

渡れば府中市となる。

 

(知らない道を走ってみよう)

 

甲州街道は使い慣れている。

 

たまには普段通らない道を通ってみたくなった。

 

早速、鎌倉街道を右に曲がる。

 

裏道を慎重に進む。

 

勘をたよりに道を選択する。

 

(あれっ?)

 

しばらくすると、住宅地の中にお墓が数基建っているのがみえた。

 

おそらく「みなし墓地」である。

 

都会では珍しい。

 

地方では田畑の中などにお墓が建てられているのをみかける。

 

一般的には「みなし墓地」と呼ばれている。

 

現在は墓地をつくるとなると「墓地埋葬法」に従うこととなる。

 

これにより墓地を運営できる者は限定された。

 

しかし、法律ができる前から守られていた墓所はある。

 

村の人々で管理していた墓所や、自宅の敷地内に建てていたお墓などである。

 

古からの霊域を法律が出来たからとして移動するわけにいかない。

 

順序が逆である。

 

だから、現在は「みなし墓地」として認められているのだ。

 

田畑や自宅にて御先祖をお守りする。

 

その土地を開いて下さった御先祖様をその土地でお守りする。

 

御先祖様への気持ちがとても感じられる。

 

近頃、葬送についての課題が報道されることがある。

 

多くはお墓についてである。

 

しかし、調べてみると、これは今に始まった課題ではない。

 

それぞれの時代においても悩みはあったようだ。

 

「みなし墓地」にも時にはテーマが現れるようだ。

 

御先祖様を大切にしたい気持ちはある。

 

だが、様々な事情で思うようにはお祀りできないことはある。

 

大きな要因は人々の生活事情が変ることであろう。

 

(皆が納得できる埋葬方法はないだろうか)

 

仕事柄、頻繁に考えているが解答がみつからない。

 

無い頭では本当に難しい。

 

 

法然上人行状絵図に記された文面です。

 

『法然上人の住房の東の崖の上に、西側の展望が開けるすばらしい土地があった。ある人がこの土地を相続し、自身の墓地と定めていたのを、上人が京都に帰って来られた後の昨年十二月、所有者がその土地を上人に寄付した。所有権を示す書類などを寄進状にそえて献上したので、上人は「源空に譲り給わったのは、三宝に回向されたのと同じである。御仏よ、お受けください」と言って、火中に投げ入れられた。ところで、いま上人が往生なされた際、この土地に廟堂を建て、石の唐櫃を造り、ご遺体をお納めすることになった。云々。現在、知恩院とよぶ寺院がこれである』

 

【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編P407】

 

ありがとうございました。