墓石に刻まれた名前 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

勤めている寺には江戸時代の墓石がある。

 

いわゆる方形だけでなく、舟形の墓石もある。

 

舟形には尊像が彫刻されている。

 

観音様やお地蔵様が中央に彫られているのだ。

 

子供の供養のために造られた墓石が多い。

 

もちろん、大人のための墓石もある。

 

300年近く祀られている。

 

尊いことである。

 

さて、先日、墓掃除の休憩中に舟形墓石に意識が向いた。

 

(あれっ?)

 

四六時中目にしているのに、今更ながら気がついたことがあったのだ。

 

真ん中に尊像が彫られている。

 

左右には戒名と命日が記されている。

 

しかし、名前、つまり俗名が明記されていないのだ。

 

(どうしてだろう)

 

あちらこちらの舟形墓石も確かめてみた。

 

風化されて文字が読めないものもあった。

 

だが、それらを含めて、名前が記してある舟形墓石はみつからなかった。

 

少なくとも今の寺にはなかった。

 

(位牌はどうだろうか)

 

掃除後、命日が江戸の年号となっている位牌をみてみる。

 

(ない……)

 

すべてを確認したわけではない。

 

だが、確かめた位牌には名前が明記されていなかった。

 

(なぜ?)

 

もちろん、お寺の過去帳で命日を調べれば名前はわかる。

 

だが、これではお参りの人は困る。

 

墓石や位牌をみただけでは、誰のための供養碑なのかわからないからだ。

 

恥ずかしながら不思議に思った。

 

そこで……。

 

無い頭で、しばらく考えてみた。

 

江戸時代の人々は、年齢を重ねるにつれて名前が変った。

 

例えば、松尾芭蕉の幼名は「金作」とある。

 

本名は「宗房」らしい。

 

極楽往生は人生の一大事である。

 

もちろん、戒名が授けられる。

 

娑婆での名前を改めた格好となろう。

 

だとすれば、墓石には戒名だけを記すこととなる。

 

(なるほど)

 

勝手に納得してしまった。

 

学問的には間違いかもしれないが……。

 

人は時とともに変る。

 

ならば名前も変える。

 

昔の人は諸行無常を自覚していた。

 

それゆえ、名前も変えていったのかもしれない。

 

江戸時代が幕をおろしてから約150年が経った。

 

現代は変った。

 

生涯名前は変らない。

 

更には、マイナンバー制度も取り入れられた。

 

社会制度には必要なことなのであろう。

 

しかし、人は変ることは自覚的でいたいものである。

 

 

法然上人のお言葉です。

 

『阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまむ 永き眠りに なりもこそすれ(あみだぶ〈南無阿弥陀仏〉と十声の念仏を称えて眠りましょう。長い眠り〈死〉にいつつくとも限らないから)』

【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所訳P339】

 

ありがとうございました。