ミッキーマウスの腕時計 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

小学校の頃、夏休みになると伊豆へ行った。

 

毎年、知人宅へ遊びに行ったのだ。

 

その家には、お兄ちゃんがいた。

 

自分より一回りも年上だった。

 

頭がよくて、料理が上手い。

 

運動神経抜群で、優しい人だ。

 

よく遊んでもらった。

 

トランプ、スケードボード、オセロ、ローラースケート、花火などだ。

 

なかでもドライブに誘ってくれるのが一番嬉しかった。

 

私の家には免許を持っている人がいなかった。

 

だから、車に乗れるのが新鮮で楽しかったのだ。

 

車種は、ホンダシティーだった。

 

伊豆の海岸線を走る。

 

車内では、井上陽水や安全地帯の曲が流れる。

 

右手はハンドルをにぎる。

 

左手はマニュアルシフトノブにおいてある。

 

左手には、ミッキーマウスの腕時計がされていた。

 

ダイバーズウォッチだ。

 

彼女とお揃いなのだと教えてくれた。

 

「かっこいい」

 

大人の雰囲気に憧れた。

 

地味な自分とは全く別の世界に生きている。

 

あるとき、家の近くの時計屋に行った。

 

母親の買い物の帰りにたまたまよったのだ。

 

「あっ」

 

ミッキーマウスのダイバーズウォッチをみつけた。

 

お兄ちゃんの時計と似ていた。

 

欲しくてたまらなくなった。

 

駄目もとで母親にねだった。

 

「じゃあ、誕生日にね」

 

予想外の答えに、驚いた。

 

腕時計は、宝物となった。

 

学校に行くとき以外はつねにはめていた。

 

お兄ちゃんに近づいたような気分になれた。

 

大人に近づいたようで心地よかった。

 

ところが、数ヶ月後……。

 

友達の家に行ったときだった。

 

玄関の呼び鈴を押し、友人が出てくるのを待つ。

 

なにげなしに通路の手すりに左手をかる。

 

「あっ」

 

すると、その瞬間、手首から時計が離れてしまった。

 

マンションの三階だった。

 

地面は、アスファルトだ。

 

時計が壊れてしまった。

 

下には誰もいなかった。

 

それだけはよかった。

 

「これは無理だね」

 

時計屋さんでも直せなかった。

 

つい最近、十五年近く使っていた三代目の腕時計が壊れた。

 

それでミッキーマウスの時計を思い出したのだ。

 

 「もう一度、ミッキーマウスの腕時計を買うのもいいな」

 

 哀愁に浸かる心の声がしてくる。

 

一方で現実的な意見もきこえてくる。

 

「袈裟を着たときにはつけられないよ」

 

なかなか 決断ができない。

 

 

無量寿経に、以下の御教えがあります。

 

『人々は、家族とともに過ごした日々を追い求めたり、逢瀬のぬくもりが忘れられなかったりする。心は暗闇に閉ざされ、愚かな想いばかりが胸いっぱいに渦巻いている。よく現実を見据えて、散り乱れた己の心を正したり、熱心に仏道を歩んだり、まして世間の営みから離れることなどできない。そしてあてもなく彷徨ううちに時ばかりがいたずらに過ぎ、とうとう命尽きようとしても、ついぞ覚りの境地を得ることができない』

 

【現代語訳 浄土三部経 浄土宗総合研究所編P135】

 

ありがとうございました。