身軽でいたい | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

九年前、東日本大震災と原発事故があった。


あの日、私は寺の近くの高層ビルにいた。

 

買い物をするためだった。
 

廊下がゆらゆらと揺れ始めた。

 

「おや」

 

そんなことを感じるやいなや、どこからか亀裂音がきこえてきた。

 

天上からは砂埃が落ちてくる。

 

「おかしい」
 

とても立派で堅固なビルである。
 

それが大きく揺れたのである。

 

「ビルが壊れるかもしれない」

 

鼓動が激しくなった。
 

こういうときは、一瞬、思考と行動がとまるものだと初めて感じた。

 

オフィスからは大勢の人たちが出てきた。

 

「外へ出ろ」

 

そう指示する人や、避難する人たちの流れのお陰で外に出ることができた。
 

道路まで行くと、手をとりあう女性達の姿があった。

 

道や歩道に座りこんでいる人もいた。
 

その後の余震でも、墓地から見える高速道路の外灯が激しくしなった。

 

近くのマンションが明らかに揺れているのがわかった。
 

映像では東日本太平洋側の光景が写し出されていた。

 

到底信じられるものではなかった。
 

原子力発電所からは煙が出ていた。

 

放射能が飛び散る現実が目の前に迫った。
 

震災は人の力が及ばないことがある。

 

人のつくったものには危うさがある。

 

頭ではわかっていたが、これ程身に染みて理解したことはなかった。
 

自分の生活が多くのものに依存していることにも気がついた。
 

「いつでも動きがとれるよう、出来るだけ身軽でありたい」

 

必要以上に依存しているものがないか見直した。
 

以後、随分と捨ててきたつもりだった。

 

ところが……。
 

人は慣れてきてしまうようだ。
 

この度の感染症流行に直面した際、再び抱えているものの多さに驚いた。
 

もう少し心身を軽くしておきたい。
 

多くの人がそう思ったのではなかろうか。


鴨長明さまの方丈記に、以下の記があります。

『今、私は山中で寂しい独り住まいをしている。たった一間の小家だが、心の底から満足している。だから、たまたま京の街に出る機会があって、自分が浮浪者同然の姿になっていることを恥ずかしく思うものの、ここに戻って来ると、街の人々が俗事にとらわれて、安らぎを失い、あくせくしている姿を気の毒に思う。 とは言っても、みずぼらしい小家の住人の言葉を、たんなる負け惜しみぐらいにしか思わない人が多いだろう』

【角川文庫 ビギナーズクラシック方丈記 鴨長明さま著・武田友宏先生編 P142】

ありがとうございました。