見切り横断 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

大田区の臨海斎場からの帰り道だった。


芝浦あたりの交差点の停止線で車を止めた。
 

信号が赤になったのだ。
 

交差点は、片側二車線どうしが交わっている。

 

右折レーンも四方にあった。
 

さて、停止線で止めた後、フロントガラス越しに正面奥の横断歩道をみた。

 

そこで待っている人が気にかかったのだ。

 

余程急いでいたのだろうか。

 

かなりはみ出して待っている。

 

いや、正確には、まだ信号が赤なのにソロソロと進んでいる。

 

三十才くらいの男の人だった。
 

「気が早い人だな」

 

私は一人つぶやいた。

 

すると、その直後、その人はいよいよ横断歩道を普通の歩調で渡り始めた。

 

堂々と歩いていた。

 

まだ歩行者用信号は赤である。
 

「危ない」
 

私は再び一人車内で声を出した。

 

なんと、右折レーンから来た車が、その人の直前を横切って曲がったのだ。
 

車の右折を許可する矢印信号は青だった。
 

完全に歩行者の見切り横断である。
 

事故にならなくてよかった。
 

それにしても、どうして、たった十秒か十五秒を待てないのだろうか。

 

おおいに不思議である。

 

さらに驚くべきことに、その人は歩道を横断した後、普通に歩いていた。

 

数十秒を惜しんでいたのである。

 

渡り終えれば走っているくらいで当然だろう。
 

いったいどんな意図があったのだろうか。
 

身勝手にも程がある。


自分が怪我をするだけなら自業自得である。

 

しかし、まきこまれた運転手は大迷惑である。

 

あの人にとって、この世は人並み以上に生きづらいことであろう。

 

世の中、我慢しなければいけないことは多くある。

 

それなのに、あの程度の忍耐力しかないのである。

 

心穏やかに生活できるはずがない。

 

情けない。

 

 

お釈迦さまの御教えに、以下の御言葉があります。

『忍耐・堪忍は最上の苦行である。ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。他人を害する人は出家者ではない。他人を悩ます人は〈道の人〉ではない』

【岩波文庫 ブッダの真理のことば・感興のことば中村元先生訳P36】

ありがとうございました。