友人の坊さんが話してくれた。
「お檀家さんが中東に行くんだよ」
心配そうな口ぶりであった。
そのお檀家さまは自衛官なのだそうだ。
令和二年一月十日、防衛省から発表があった。
『「中東地域における日本関係船舶の安全確保に関する政府の取組について」(令和元年12月27日閣議決定)を踏まえ、防衛大臣が準備を指示していたところ、準備完了時期の目途が立ったため、本日、防衛大臣が、中東地域における日本関係船舶の安全確保に必要な情報収集活動の実施を別添のとおり命じました』
自衛官は令和二年一月二十日から十二月二十六日まで活動されるとある。
今回の派遣は、イランとアメリカとのあいだで起きた課題が発端とされているようだ。
イランは一九八〇年にイラクから軍事攻撃をされた。
この争いは八年を経て終わった。
しかし、イランはここから核兵器開発を決意した。
今後、他国から攻められることを防ぐ目的があったのかもしれない。
アメリカ、イギリスなどはこれに反対し経済制裁を行った。
もちろんイランはだまってはいなかった。
反発するべく、ホルムズ海峡を封鎖することとした。
原油輸送の要所を閉じたのである。
こうなると、お互いに苦しい状況となる。
そこで、米英仏独中露とイランが交渉することとなった。
結果、二〇一五年、イラン核合意を結ぶこととなる。
イランは核開発を大幅に制限する。
米英など各国は経済制裁を解く。
これで一応の安定を回復した。
ところが、二〇一八年にアメリカがイラン核合意から抜けた。
そして、経済制裁を再開すると表明した。
とうぜん、この動きにより中東地域の情勢が不安定になる。
こうして今回、自衛隊が派遣されることとなった。
愚かな頭ながら、一応、私はこのように理解している。
しかし、本当の事情はもっと難解であり、私などには正確にわかるはずもないであろう。
わかることは、何らかの経緯で自衛隊員が中東に向かうことになったことだけである。
どんな危険があるのか想像もつかない。
私が向かうことになったらと考えれば、怖くなるばかりである。
日本への石油輸送を護ってくださるのである。
ただただ、隊員皆さまに感謝し、無事を願うばかりである。
あたりまえだが、争いはもともと存在しているものではない。
対立は人間関係からうまれる。
お互いの意見の相違、誤解などから発展してしまう。
事は簡単にはいかないのだとは思う。
しかし、課題がおきたときには、上手い落としどころを話合いでみつけて行きたいところである。
お釈迦さまの御教えに、以下の御言葉がございます。
『究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳p37】
ありがとうございました。