師匠は心のなかにいる | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

かれこれ十五年前から、最低でも年に一度、身体のメンテナンスをしてもらっている。

 

健康診断ではない。

 

靴の中敷きを調整してもらっているのだ。

 

きっかけは、テニスの練習でひどい捻挫をしたことだった。

 

「うわぁ。やってしまった」。

 

捻って瞬間、嫌な感触が身体に走った。

 

かなりの痛みとともに、絶望感も大きかった。

 

「どうしよう」。

 

三日後に大切な試合が控えていたのだ。

 

前にも捻挫をしたことがあったので、三日などで治らないことはよくわかっている。

 

あきらめるしかない。

 

ただ、何も手を施さないままでは納得がいかない。

 

「駄目でもともとだ」。

 

丁度その頃知り合ったスポーツトレーに何か手立はないかと連絡をしてみた。

 

そこで紹介してくれたのが、中敷きを調整してくれる先生だった。

 

急いで電話をしみると、運良くすぐに診ていただくことができた。

 

私の足を触ったり、足裏にテープをはったり、歩く姿を観たりする。

 

その後、「試合なんだよね」と言いながら色々な種類のテープを巻きはじめた。

 

程なくすると「歩いてみて」と軽い感じで指示がでた。

 

「あれっ」。

 

びっこを引きながら歩いていたのに、普通に歩ける。

 

痛みもない。

 

「じゃあ走ってみようか」。

 

「えっ」と思いつつも、恐る恐る走ってみる。

 

「嘘みたい」。

 

いつものように走れるではないか。

 

そんな魔法のような凄技に心底感激すると共に、猛烈に感謝もした。

 

先日も、メンテナンスをお願いに伺った。

 

「よろしくお願いします」。

 

「調子はどうかな」。
 

先生は、もともと優しい声なのだが、いつにも増して静かだった。

 

「何かありましたか」。
 

すると、お師匠さまが少し前にお亡くなりになられたとのことだった。
 

お師匠さまは、この中敷き調整技術を開発された方なのだそうだ。
 

先生は、そのお師匠さまの技に魅入られ、勉強を始めたそうである。

 

「言葉は少ない人だったのでね」。

 

現場で師匠の手技を観察し、追いつけるように努力をされたそうだ。
 

「まだまだ教えていただきたいことはあったけれども、長く一緒にいたからね。思い出すと涙がでてきちゃう」。

 

寂しさが滲み出てくる口調だった。

 

「でも、教えてもらったことは全部僕に詰まっている。だから師匠はたしかに心の中にいるんだよ」。

 

窓の外を眺めながめる顔は穏やかな表情をしていた。


法然上人の御教えに、以下のようなお言葉がございます。

『また法蓮房信空が「古来の高徳の僧にはみな遺跡が残されております。それなのに上人は寺院を一つもお建てになっておりません。ご入滅の後はどこをもってご遺跡とするべきでありましょうか」と申し上げた。上人は、「遺跡を一か所の堂塔に定めてしまえば、私がこの世に残す教法は広まらない。私の遺跡は諸国に満ちあふれているはずだ。なぜならば、念仏をおこし盛んにすることは、この私が生涯をかけて教え勧めたことである。だから念仏を修する所は、身分の上下を問わず、漁師の粗末な小屋までもが私の遺跡となるのだ」とおっしゃった。

【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編p399】

ありがとうございました。