仕事の帰り道、寄り道をして城南島海浜公園に行った。
潮風にあたりたくなってしまったのだ。
公園からの景色は素敵である。
羽田空港、航行する船、レインボーブリッジ、東京タワー、スカイツリーなどがみえる。
着陸する飛行機は、公園に降りてくるかのように通過していくので間近にみえる。
迫力満点だ。
それにしても、飛行機は上空をひっきりなしに過ぎていく。
山手線と同じくらいの間隔なのではないだろうか。
驚きの往来数だ。
そいえば、飛行機が通過した後にきこえてくる奇妙な音にも驚いた。
頭上を通過した後、数秒すると空が「シュルシュルシュルー」と鳴るのだ。
上空には何もないのに音がする。
ポルタ―ガイストのようで怖い。
自宅に戻り急いで調べてみると、飛行機の後方で発生した乱気流の音だとわかった。
「おぉ」。
これまた驚きだ。
飛行機をひとしきり観察した後は、岸壁に寄りかかり海面をぼんやりと眺めた。
夕方の海風心地よい。
しばらくすると、老年の方に声をかけられた。
「今日は大潮ですね」。
言われてみれば、海面の高さが壁越しに自分の立ち位置と同じところにある。
本当にただぼんやりとしていただけではないか……。
「夏休みですよね。私にも、あの子たちのような時期があったんですよね」。
その方は、五十メートルくらい離れたところで釣りをしている親子をみながら、そうささやいた。
「昔は今みたいに物がなかったけれども、いろいろ楽しく遊びましたよ。波乗りは廃材の板でするんです。喉が渇くと畑に行ってスイカ泥棒をしたこともありました。すごく叱られてね。両親が線香花火を買ってきてくれたときは嬉しかったな。なつかしいな」。
優しい表情でそんなことを話してくれた。
とても大切な思い出なのであろう。
別れ際、「今は本当に便利になったね。だれでも飛行機に乗って遠くまでいかれるしね」と、遠くを見つめながら静かにつぶやかれた。
ちょっと誇らしげな目をされていた。
ご老人はどのような気持ちで声をかけてくれたのだろうか。
戦後の日本を支えて下さった年代の方にちがいない。
だとすれば、幸せそうな家族、立派な建物、便利な乗り物などを前に感じ入るところがあったのかもしれない。
そう思うと、とても温かい気持になってきた。
お釈迦さまの御教えに以下のお言葉がございます。
『欠けている足りないものは音をたてるが、満ち足りたものは全く静かである。愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、賢者は水の満ちた湖のようである』
【岩波文庫 ブッダのことば 中村元先生訳P155】
ありがとうございました。