それなりに年を重ねてくると、心のこりのこともある。
若い頃、よかれと思って行ったことでも、後になって後悔することだってあるものだ。
「父への心のこりがありまして」。
このあいだ、一周忌法要の後席で女性がお話をして下さった。
若い時は、なんとなく両親を煙たく感じていたそうである。
普通、多くの人が経験してくる道である。
そこで、大学を卒業の後、親元からは遠く離れた地で就職をした。
もちろん独り暮らしである。
仕事は順調に進む。
先輩、同僚にも恵まれる。
数年すると、よい方と出会い結婚もされた。
とても幸せだったそうである。
ただ、少しだけ心にひっかかっていることがある。
両親との関係である。
自分も年を重ねてきた。
昔、尖っていたことだって、振り返ってみれば恥ずかしくもある。
だけども、特に父親とは上手く接することができない。
今は、あえて距離をとろうなどとは考えていない。
むしろ、「気持ちを通わせられたらいいのにな」と思うこともある。
しかし、なんとなく素直になれない。
何を、どのように話せばよいのかわからない。
図らずも会う機会が少ないまま、二十年近くの時が経過してしまう。
そんな折、突然お母さまから連絡が入った。
「救急車で……」。
お父さまが家で体調を崩し、緊急入院となったそうである。
あわてて病院に行くも話が出来る容体ではなかった。
さらには、とても残念なことに、そのまま回復することなく、まもなく今生を終えることとなってしまった。
「想像以上に悲しくて、寂しいものですよ」。
往生された直後から現在まで、その気持ちが続いている。
また、「もっと話をしておけばよかった」、「感謝の言葉を伝えたかった」とも話して下さった。
とても悔やんでいるそうである。
私にも思い当たる節がある。
身に染みてくる。
お父さまとの現世での関係性は、たしかに区切りとなってしまった。
どうしようもないことである。
ただし、お父さまとの関係性が断たれたわけではないことも確かである。
法要の座では、きっと娘さまの感謝の心を笑顔で受け取られていたに違いない。
法然上人の伝記にも、高僧さまが後悔の気持ちを法要にて伝えておられる記がございます。
『かつて《選択集》を批判した三井寺の僧正公胤も、心から仏事の導師を望まれたので、人びとは思いがけない気持ちであったが、導師として様々な捧げ物を携えて来られた。その理由がはっきりしなかったが、説法の中で経典の功徳をたたえることが終わって後、《浄土決疑抄》を焼き捨てた事情を詳しく述べて、「今日の説法にみずから参上したのは、ひとえに法然上人をそしった重い罪を懺悔するためである。上人と面談した際に、私の七箇条の一つ一つについて過ちの点を直され、またわが天台宗の重大事三箇条が上人の教示によって解決できた。だから私の方こそ門弟と称するのだ。上人から知恵ある一言を聞き、愚かな私の誤った著書三巻を焼き捨てたといっても、先に犯した過ちを嘆く涙を抑えることが出来ず、後悔の思いを消すことは難しい。これによって応分の布施を捧げて廟堂に参詣し、真心からの懺悔を尽くして霊前にひざまずく。このように弟子たる私はまことを尽くしている。亡き人ひとの魂よ、私の志を納め給え」と申されて涙を流されたので、聴衆の感嘆する声が堂内に響き、人びとは喜びの涙で袖を濡らした。』
【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編p414】
ありがとうございました。