久里浜で仕事があった。
「せっかくだから海がみたい」。
帰り道、すぐに高速道路へは向かわずに景色のよい海岸を探すことにした。
「あれっ」。
しばらく走ると、覚えのあるような、ないような景色が観えてきた。
ナビをみてみると観音崎公園と書かれている。
「歩いてみよう」。
海岸脇の駐車場に車をとめた。
食堂のある建物の横を通りすぎると砂浜に着いた。
「来たことあるような、ないような」。
海を左手に、さらに遊歩道を進んでみる。
すると、すぐに複雑なかたちをした岩場があらわれた。
「あっ」。
間違いない。
もう三十年以上も前だが、一度来たことがあった。
母方のおじいちゃんと、おばあちゃんと遊びにきたところだった。
でこぼこした岩場でおじいちゃんと貝殻を探した。
お昼には、おばあちゃんがつくってくれたおにぎりを食べた場所だ。
そのときに写真が家にある。
懐かしかった。
岩に腰かけて、東京湾を眺めながら昔を思い出す。
おじいちゃんは、やさしかった。
あれは小学校二年生か三年生くらいだったと思う。
おじいちゃんと、おばあちゃんと、母と、街のラーメン屋さんに入った。
「どれにしようかな。これにする。やめた、これにする」。
私は、注文を決めかねてモタモタとしていた。
「いい加減にしなさい」。
母は大きな声で私をしかった。
もちろん私が悪い。
お店に人に迷惑がかかるからだ。
しかし、おばあちゃんは「ゆっくり決めていいのよ」とかばってくれた。
おじいちゃんは、「ごめんなさい。もう少し待っていただけますか」と店員さんに伝えてくれた。
運動会の徒競走で一番になったときも、おじいちゃんは家族で一番よろこんでくれた。
ご褒美だといって、おもちゃもいっぱい買ってくれた。
それから……。
寄り道をしたおかげで、今は浄土にいる二人との思い出にふれることが沢山できた。
そういえば、ここは「観音崎」だ。
おじいちゃんと、おばあちゃんが再び導いてくれたのかな。
法然上人の御教えに、以下のようなお言葉がございます。
『もし阿弥陀仏をのみ名をとなえ、礼拝し、心に忘れることなく、浄土への往生を願えば、阿弥陀仏はすぐさま、仮のすがたに身をやつした仏や観音・勢至両菩薩を、その人のもとにつかわして、心にかけて護って下さる。』
【春秋社 法然全集第一巻 大橋俊雄先生著p276】
ありがとうございました。