観音崎公園 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

久里浜で仕事があった。

 

「せっかくだから海がみたい」。

 

帰り道、すぐに高速道路へは向かわずに景色のよい海岸を探すことにした。

 

「あれっ」。

 

しばらく走ると、覚えのあるような、ないような景色が観えてきた。

 

ナビをみてみると観音崎公園と書かれている。
 

「歩いてみよう」。

 

海岸脇の駐車場に車をとめた。

 

食堂のある建物の横を通りすぎると砂浜に着いた。

 

「来たことあるような、ないような」。

 

海を左手に、さらに遊歩道を進んでみる。
 

すると、すぐに複雑なかたちをした岩場があらわれた。

 

「あっ」。

 

間違いない。

 

もう三十年以上も前だが、一度来たことがあった。

 

母方のおじいちゃんと、おばあちゃんと遊びにきたところだった。
 

でこぼこした岩場でおじいちゃんと貝殻を探した。

 

お昼には、おばあちゃんがつくってくれたおにぎりを食べた場所だ。

 

そのときに写真が家にある。
 

懐かしかった。
 

岩に腰かけて、東京湾を眺めながら昔を思い出す。

 

おじいちゃんは、やさしかった。

 

あれは小学校二年生か三年生くらいだったと思う。

 

おじいちゃんと、おばあちゃんと、母と、街のラーメン屋さんに入った。

 

「どれにしようかな。これにする。やめた、これにする」。

 

私は、注文を決めかねてモタモタとしていた。

 

「いい加減にしなさい」。

 

母は大きな声で私をしかった。

 

もちろん私が悪い。

 

お店に人に迷惑がかかるからだ。

 

しかし、おばあちゃんは「ゆっくり決めていいのよ」とかばってくれた。

 

おじいちゃんは、「ごめんなさい。もう少し待っていただけますか」と店員さんに伝えてくれた。

 

運動会の徒競走で一番になったときも、おじいちゃんは家族で一番よろこんでくれた。

 

ご褒美だといって、おもちゃもいっぱい買ってくれた。

 

それから……。
 

寄り道をしたおかげで、今は浄土にいる二人との思い出にふれることが沢山できた。
 

そういえば、ここは「観音崎」だ。

 

おじいちゃんと、おばあちゃんが再び導いてくれたのかな。

 

法然上人の御教えに、以下のようなお言葉がございます。
 

『もし阿弥陀仏をのみ名をとなえ、礼拝し、心に忘れることなく、浄土への往生を願えば、阿弥陀仏はすぐさま、仮のすがたに身をやつした仏や観音・勢至両菩薩を、その人のもとにつかわして、心にかけて護って下さる。』

【春秋社 法然全集第一巻 大橋俊雄先生著p276】

 

ありがとうございました。