友人に誘われて、社会人テニスサークルの練習に混ぜてもらった。
初めて会う方たちとの練習は、やはり緊張する。
ネガティブ思考な私は、「怖い人はいないかな」とか「ずっと1人ぼっちになってしまったらどうしよう」とかと考えてしまうから。
コートに着くと、早速皆さんがボールを用意したり、ストレッチをしたりと準備を始めていた。
私も急いで支度を始めなければならない。
そこで恐る恐るコートに入っていくと、「こっちこっち」と友人が声をかけてくれた。
私は、「こんにちは。今日はよろしくお願いします」とまずは挨拶をした。
すぐに友人も「紹介します。テニスの試合をまわっていた頃からの友人です」と皆さんに伝えてくれた。
そして、皆さんからは「よろしくね」と優しい返事がかえってきた。
ようやく「ホッ」と一安心できた。
さて練習が始まり、自分の打つ順番が来るのを待っていると皆さんが気さくに話しかけてきてくれた。
「いつからテニスをしているんですか」とか、「どこに住んでいるのですか」とか、「何のお仕事をしているのですか」などと。
一つ一つ答えていくと「えっ、お坊さんなの」と40代くらいの女性の方が真剣な表情をされた。
そして、「ちょっときいてもいいですか」と、静かな声で質問をされてきた。
列から外れて話しをうかがうと、主旨は「3回忌以降も法要を勤めた方がよいですよね」といったことであった。
それというのも、いわゆる「本家」の方々があまり祖父母の仏事に積極的ではないのだと。
ご親族やご家族の課題、本家の方々と菩提寺との関係については、私が何かものを言える立場にはない。
だから、そのことを伝えたうえで、「ご供養は昔から大切なこととされていますよ」とだけお伝えした。
その証として、古い経典に、「お釈迦さまは天界にいる亡きお母さまのために、そこまで行って法を説かれた」と書かれていること。
[参考 大正新脩大蔵経テキストデータベース・増壹阿含経巻第二十八]
また、比叡山の恵心僧都源信上人も「年に2回、仲間のお墓の前に皆で集まってお念仏を唱えて供養しましょう」と記していること。
[参考 横川首楞嚴院二十五三昧起請八箇條]
さらに、法然上人も「たとえば地獄に落ちてしまった人々にお念仏を唱えたとしましょう。そうしたら、阿弥陀さまは必ず地獄にいるその人々を救って下さります。それくらいお念仏のご供養は尊いのですよ」と、教えて下さっていることなどもお話した。
[参考 法然上人のご法語1 浄土宗総合研究所編P183]
女性は、「そうですよね。もう一度家族に相談してみようかな」とおっしゃり、少し気持ちの整理が進んだようにも感じられた。
そして、「ごめんなさいね。練習に戻りましょうね」と、一緒に小走りで順番待ちに戻った。
お役に立てたかな……。
それにしても、テニスコートでご供養の話をするのは、ちょっと不思議な感覚だった。
法然上人行状絵図に、以下の記がある。
重源上人は、治承4年(1180)に東大寺再建の為の大勧進職(主に寺社・仏像の建立・修繕などのため寄進を募る職)の役に任命されたており、法然上人を大変敬っていらした高僧である。
『重源は法然上人の勧めに従って念仏を信仰するあまり、もといた醍醐寺の山上において、死者のために臨時に修する無常臨時の念仏を勤めるように人びとに勧めて、これを後世まで勤める規則とした』
【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編p477】
ありがとうございました。