浄土で再会 | 「ゆるりと仏教」いも掘り坊主の与太話

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「念死念仏 常途用心」
仏さまの御教えを、拙僧のエッセイとともに紹介しています。
ほとんど与太話(^_^;)ですが、法話らしきものも書いています。
つたない文章ですが、笑ってもらえたり、うなずいてもらえたりしたら嬉しいです。
毎週水曜日に更新しています。

仕事柄、法要後の会食にお招きいただくことが多い。

 

大変有り難いことである。
 

参列者の方々の雰囲気を感じたり、ご意見をうかがえたりする貴重な機会だからだ。

 

実は、「今日の読経はきちんと勤められていたのだろうか」とか、「法要に納得していだけたのだろうか」と、毎座気にかかっている。

 

できるだけ有意義な時間を過ごしてもらいたい、と思っているのだ。

 

ならば、「質問してみればいいではないか」と考えたこともある。

 

ところが、これがなかなか難しい。

 

どのような言葉でたずねればよいのかが、思いつかないのだ。

 

その点、故人さまを偲びながら、美味しいご飯を共にいただいていると、心の境界がだんだんと緩やかになってくるのを感じる。

 

すると、ときに「法要をどのような想いで主催されたのか」とか、「参列してみて何を感じたのか」などを話して下さることがあるのだ。

 

このあいだの男性は、「兄と両親が浄土で再会できたんだよ」と話してくださった。

 

法要は、85歳で往生されたお兄さんの四十九日忌だった。

 

男性は葬儀を勤めてから数日後に夢をみたそうだ。

 

お兄さんがご両親と仲良くお話ししている夢を。

 

「兄貴は嬉しそうだったよ」と、笑顔で教えて下さった。
 

また、夢ではお兄さん達と少しの時間だったがお話が出来たそうである。

 

そこで、「俺はまだこちらにいるから、もう少し待っていてね」と伝えたそうだ。

 

有り難いことに、「お経をちゃんと唱えてもらったから、無事に極楽に行けたんだと思っているよ。ありがとうね」とも話して下さった。
 

ちなみに、四十九日の法要では、「兄貴と俺の子供たちや孫たちをしっかり護ってくれよ」と、しっかりとお願いをしておいたそうである。
 

その日の夕方は、「きちんと勤められていたようでよかった」と、ホッとしながらお堂と庫裏の掃除をすることが出来た。
 

うれしい言葉をもらって、あまり浮かれてはいけないけれども。

 

 

法然上人の御教えに、以下のお言葉がございます。

 

法然上人が、臨終が近づいた尼僧・聖如房さまに宛てたお言葉です。
 

大切な方と西方極楽浄土で再会できることは、間違いないことです。
 

『人間は誰であっても、いつまでも生き残ることの出来る身ではありません。私もほかの人も、人より後に死ぬか先に死ぬか、という違いがあるだけなのです。その命の切れ目のことを思いましても、またいつまで生きるか定まらない上、たとえ長く生きると申しましても、この世は夢まぼろしのようなるもので、どれほども長くはないでしょう。ですから、ただ必ずや同じ阿弥陀仏の浄土に生まれ合わせて浄土の蓮台の上で、この世でも憂鬱なことや前世からの関わりを一緒に語り合い、お互いに来世で教化し合い助けることが、本当に大事なことでありますと、初めから申しておきました。』
 

【現代語訳 法然上人状行絵図 浄土宗総合研究所編p192】

 

 

ありがとうございました。