通夜に行ったときだった。
斎場に到着すると、まずは式場へ向かった。
そして、担当の葬儀社さんと挨拶をしてから、設えの確認をする。
一通り終われば、控え室へと案内してもらい下準備を済ませる。
その後、待合室へ行き、「こんばんは。この度は、たいへんご愁傷さまでございます。謹んで読経をお勤め申し上げます」と喪主さまのところへ伺った。
60歳くらいの女性の喪主さまも、「遠いところまで申し訳ございません。今日明日よろしくお願い致します」と、丁寧にお返事をくださった。
「どうぞお座り下さい」と席もご用意してくださった。
さて、腰かけると、「お飲み物はどうしましょうか。お茶でよろしいですか。あっ、冷たい方がいいですか。温かい方がいいですか。お茶以外でもおっしゃっていただければご用意いたしますよ」と、親切にお気遣いくださる。
「お忙しいのにすみません。時間がかかりましたか」と、どんどん話も進めていく。
「もう嫌になっちゃいますよね。急なことで」と、少し笑みも浮かべておられた。
参列者の方がいらっしゃれば、「すみません。ちょっと失礼します」と、急いで対応する。
戻ってくると、「すみません。あれっ、お茶のおかわりはいかがですか。それとも別のものをご用意しますか」と、再び気を配る。
少々、動作や口調が慌ただしすぎるように感じられてくる。
私は「どうぞお構いなく」と答えるとともに、「無理をされていなければいいけれども」と思いはじめていた。
喪主は周りを気にかけなければならない立場ではある。
しかし、大切なご主人が亡くなられたのだ。
おそらくは、日常では感じることのない大きな悲しみ、苦しみを抱えているに違いない。
相当な負荷が心身にかかっているはず。
もしかすると、「気丈にしなければならない」と思いこんでいたのかもしれない。
悲しみや苦しみを強く感じないように、あえて忙しくしていたことも考えられる。
あるいは、自分の感情を表すのが難しい環境だったのであろうか。
たとえば、「人前で泣いてはいけない」と言ってくる人や、「あなたがしっかりしないとダメよ」と気持ちを否定してくる人などが周りにいて。
私の懸念が事実だとすると、やはり心配になる。
大切な方がなくなられたとき、自分の心身感覚を感じ取ることは重要である。
そのためには、周りのひとたちも安心で安全な環境を整えて差し上げることは大切だ。
悲しい時には泣いていいのだ。
辛いときには無理をしなくていい。
法然上人だって、大切な方をなくされたときには涙を流しておられる。
法然上人の伝記に、以下の御記がございます。
『真観房は上人に先立って正治2年(1200)閏2月6日、48歳で往生を遂げた。上人は真観房に臨終の念仏をお勧めになっていた時、「私を残して逝かれることよ」と涙を落された』
【現代語訳 法然上人行状絵図 浄土宗総合研究所編P511】
ありがとうございました。