映画「砂の器」 | Jinkhairのバイカーへの道

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こちらは香川県坂出市にある理容室「Jinkhair(ジンクヘアー)」のブログです。店主が好きな「80年代HR&HMのアルバム紹介、ライブレポ」や「カメラ」「バイク」のことなど、日々の出来事などを気ままに書いております。

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震災の少し前、テレビドラマで「松本清張スペシャル」があり、広末涼子演ずる「ゼロの焦点」が放送されました、次週あの名作「砂の器」がテレビドラマでリメイクされるというので楽しみにしていましたが、震災が起き、当然ながら番組は飛びましたが、あれ以降放送されたのでしょうか?


37年前に公開された映画「砂の器」に関してはこれまで何人かの方にお勧めしてきましたが、今回記事としてちゃんと残しておこうと改めて書かせていただきます。

これを読んで少しでも興味を持ち、観ていただければ嬉しいです。

ちょっと長いですが(笑)


この映画が公開されたのは昭和49年、もう37年も前になります。
Jink Hairのロックな日々-砂の器DVD

実は僕もこの映画を見たのはわずか3年くらい前の事で、HR、HM関係のホームページをされているある方が絶賛されていたので、それじゃ一丁見てみようか、と重い腰を上げてみたわけです。

それまで僕も多くの映画ファン同様、観ると言ったら洋画ばかりで、日本映画というものにはあまり関心がなく、一種バカにしていた向きがありましたが、今から37年も前にこれほどの作品が撮られていたとは、ある意味衝撃的でもありました。


原作は日本を代表する社会派推理小説家、松本清張。僕も中学の頃、推理小説に凝って横溝正史や森村誠一などは読み耽っていましたが、松本清張は当時ちょっと取っつきにくく、同小説、同映画の事は知ってはいましたがずっと未見のままでした。


映画は序盤、中盤、推理小説ならではの謎解きと丹波哲郎 扮する今西刑事らの地道な捜査の場面が割と淡々と続きます。



Jink Hairのロックな日々-丹波哲郎扮する今西刑事

純粋に推理小説として見た場合突っ込みどころは結構あります。

しかし映画を最後まで見てしまうと、そんなことどうでも良くなるような力がこの映画にはあります。


映画のクライマックスシーン、今では失われた日本の原風景、その美しい四季の風景をバックに悲劇の父子が彷徨うあまりにも過酷で悲しくも美しい放浪の旅、このシーンは本当に涙なくしてみる事はできません、そしてバックに流れるピアノ交響曲「宿命」、この音楽のまた素晴らしいことと言ったら・・・。

映像と音楽が混然一体となって、観る者に激情とも言える深い、深い感動と郷愁を呼びさまします。

原作ではたった二行しか語られていなかったシーンを映画では大きく膨らませることによって、原作者松本清張をして「映画が小説を超えた!」と言わしめることとなったのです。


この映画を重くしているテーマの一つはずばり「らい病」です。

現在は「ハンセン氏病」と言われているこの病気の事、ある一定の年齢以上の方はご存じだとは思いますが、若い方にこの映画を薦める際はまずここから説明しなくてはなりません(笑)

かつては不治の病と言われ、何より顔や手足が奇形する伝染病であることから非常に忌み嫌われ、ひとたび病人が出ると家族の縁を切られ、収容所に隔離され、家族とも二度と会うこともないまま収容所で一生を終える事を余儀なくされた悲しい歴史を持った病気です。

映画「ベンハー」でもチャールストン・ヘストン演ずるベンハーの母親と妹が宿敵メッサラによって投獄され、その後らい病を発病し洞窟で隠れ住んでいたところをベンハーが救出するという場面がありました。

この映画ではその後、キリストが処刑された後奇跡が起こり病気は綺麗に治ってしまうんですが・・・。


本作では主人公の父親がこのらい病にかかったせいで主人公は悲しくも過酷な運命に翻弄されることになってしまうのですが、あまり書きすぎるとなんですので、ってもう書き過ぎかも?(笑)


2004年にTBSでスマップの中井正広主演でテレビドラマとしてリメイクされたことがありましたが、現代版としてのリメイクでしたので時代考証的にも、またあまりにも重いテーマ故か、この「らい病」というテーマは変更されました。

そのため映画を踏襲はしているものの、元々の原作、映画が持つ重みは多少軽減されてしまったように感じます。




この映画に関わった人の多くがすでに鬼籍に入られています。

丹波哲郎 緒形拳 笠智衆 渥美清 加藤嘉

丹波哲郎と言えばどうしても「Gメン75’」の鷹揚なイメージが強いのですが本作では出張費を気にしながら地道な捜査を続けるリアルな刑事の姿を好演しています。

加藤嘉さん、僕も「ああ、脇役ばっかりやってるこんなおじいさんいたなぁ」

位の印象でしたが、こんなすごい演技をする人だったんですね。

まさに鬼気迫る演技とはこれを指すんじゃないでしょうか。

緒方拳、この人の温かい演技はこの映画の中では救いです。


そのほかにも若手の音楽家をクールに、またその陰影を演じきった加藤剛

まだ若く、がむしゃらな演技が微笑ましい森田健作

日蔭の女を好演した若く美しかった島田陽子

そしてなんと言っても、一言のセリフもないのに、そのまなざしだけで圧倒的な印象を残した子役の春日和秀君。


この映画の中には「悪い人」は一人も出て来ません、なのにこのような痛ましい事件が起こった。


この映画では誰が犯人だとか言うことは重要ではないんですが、最後まで犯行の動機は(ハッキリとは)明らかにはなりません。

最後に関係者が一同に会して謎解きする金田一耕助シリーズ(これはこれでとても好きですが)や、崖の上で犯人が回想シーンつきですべてを告白してくれる2時間サスペンスドラマと違って、見る者に「それ」は委ねられています。


この辺がよくわからなくて「犯人の動機がハッキリしない」などという的外れなレヴューも目にしますが前述の(考えなくてもいい)2時間ドラマ等に慣らされてしまっているのでしょうか。


僕は初めてこの映画を見た後、取りつかれたように何回も繰り返して観ました。
Jink Hairのロックな日々-父子の放浪

結果、何をしていてもこの映画の情景や音楽が頭から離れず、ついには役者のセリフまで覚えてしまいました(笑)



僕にとって「おススメ映画」は何本かありますが「絶対観て欲しい、いや観るべきだ!」と断言できるのはこの映画のみです。


まさに日本映画の最高傑作、金字塔と言っても間違いないでしょう!

これほどの名作でありながら僕同様、未見方が多いのも事実です、もちろん古いということもありますがテーマがあまりにも重くナーバスなため現在ではテレビで放映することも難しいのでしょうか。

実際映画化の際もハンセン氏病関係団体から映画化について強い反対と抗議があったそうですが、プロデューサーや監督の粘りと映画の最後にハンセン氏病についてのテロップを入れるという事でようやく了承を取り付けたというエピソードもあります。


ですので、少しでも多くの人にこの映画を見ていただいて日本映画を再認識してもらうことが僕の使命?と思い、折に触れ、この映画をお勧めしております。


どうですか?見たくなりましたか?(笑)




2021年2月9日
前回の記事より10年たって追記です。
あれから若き天才音楽家、和賀英良を演じた加藤剛さんも亡くなりました。
前回ではこの映画に興味を持っていただくために大まかなあらすじ、登場人物、時代背景などを紹介しました。
なのでネタバレになると思い、物語の詳しい部分は書きませんでしたが、ここではこの映画の最も謎の部分を私なりに解明しようと思います。

~ここよりネタバレ注意!~

「最大の謎」それは加藤剛演ずる「和賀英良」が何故緒形拳演ずる「三木元巡査」を殺害したのか?
そう、動機です。
捜査会議で捜査一課長が「元巡査の登場によって順調満帆のこれまでの音楽家人生、その素性がばれることにより危うくなるから殺害したのか?」との問いに丹波哲郎演ずる今西刑事は即座に「いえいえ!三木巡査はそんなことをする男じゃありません」と否定している。つまり和賀の素性をバラスような人物ではないと言い切っている。
そして「三木は和賀にその父、本浦千代吉に会うよう、強く求めたに違いありません」と続けるのだ。

ここで思い出して欲しいのだ。
本浦父子と三木との出会いについて…
本浦父子は千代吉の病状が悪化する中、さ迷うように三木の駐在する亀嵩村に行きつく。
通常なら「自分の管轄外に追い払う」のが常であったが「真面目で面倒見の良い三木巡査は決してそのようなことはしなかった」
二人を保護し、本籍地を照会して千代吉を隔離し病院入れる手続きを取り、秀雄(後の和賀英良)は自分たちの養子として引き取ることを決意した。
しかし、その後、秀雄は三木家を飛び出し、行方知れずになってしまう。

客観的には三木巡査がその責任感と面倒見の良さで二人を救ったかのように映るだろう。実際にあのままでは二人は野垂れ死んでしまったかもしれない。
しかし、幼い秀雄にとっては三木は自分と父を引き裂いた張本人と映ったのではあるまいか?
もちろん秀雄とてそれがやむを得ない事だという事は理解していただろうが、子供心に強く心に残ったのは違いない。
あのまま三木家の養子として暮らせば安全で食べ物にも困らない、三木夫婦が優しい人たちだという事はわかっている。
しかし、自分と父を引き裂いた人の世話になることは断じて許せなかったのだ、それはずっと父千代吉と過酷な旅を続けてきた秀雄の子供なりの「意地」ではなかったか。

三木家を飛び出した秀雄は大阪にで、新世界の自転車屋の丁稚のような事をしながら苦学し、今の地位を手に入れた。
そこへ思いもかけない三木の訪問である。
そして三木は父、千代吉に会えと言っている。
「秀雄!なんでそんなこというだらか!あんな思いをした父と子だよ!俺にはわからん!秀雄!来い!俺はお前に縄、縄付けてでも連れて行くからな!」
回想シーンで三木は和賀にこう迫った。
和賀(秀雄)はどんな気持ちだっただろうか?
もちろん、困ったことになったとは感じただろう。しかしそれが殺害に至るだろうか?
いくら「三木が縄付けてでも」と言っても相手は老人だ、強く断るか、今は忙しいから今度行くから、とかいくらでも対処はあっただろう。
鈍器で頭を殴って殺害、とは相当な怒り、憎悪がなくてはできない行為だ。
和賀はこう感じた。
「父に会えだと!? もともと俺たちを引き裂いたのはあんたじゃないか! 俺はその後苦労して今の地位を手に入れた!それを今になって会えだと? 勝手なことを言うな!」
と激情に駆られて三木の頭を思いきり殴りつけたのだ。

しかし、三木にも事情があった。
警察官としての任務と責任感から本浦父子を保護した。良かれと思って千代吉を病院に送り、秀雄を養子にしたのに秀雄は家出をして行方不明になってしまった。

病院の千代吉からは何年も何十年にも渡って
「秀雄はどこだ、秀雄に会いたい!」と手紙が届く。
三木はずっと自責の念に苦しんでいたのだ。
そこで偶然に伊勢のヒカリ座で現在の秀雄のことを知る。
即座に駆け付け、今の秀雄の状況などは二の次に千代吉に会ってくれと懇願したのは致し方ないだろう。

10年前にも書いたが、ここにはいわゆる「悪い人」はいない。
しかしこのような悲しい、やるせない事件が起こった。

「和賀は父親に会いたかったんでしょうねぇ~」
と現千葉県知事森田健作の吉村刑事が問うと
「そんなことはわかっとる!いま彼は父親に会ってる!」
と怒ったように今西刑事が答える。

和賀(秀雄)がどのような辛い人生を歩んだとしても、苦労して地位を手に入れたとしても、自分の状況を考えない三木に父に会えと言われたとしても、人を殺めたというのは断罪されなければならない。
演奏会の終了まで逮捕を待ったのは本浦父子を思いやった今西のできる限りの恩情ではなかったのだろうか。