写真家 jin-andoの徒然日記~写真に魅せられて -4ページ目

写真家 jin-andoの徒然日記~写真に魅せられて

日々の出来事を、風景写真等を中心に織り交ぜながら発信しています。
将棋の藤井聡太二冠の大ファン。時々藤井聡太二冠の記事を載せます。

【別府温泉ガイド・別府八湯】  堀田温泉 ― 谷あいの湯煙が、旅人を導く

 江戸時代から続く湯治場の面影

 堀田温泉は、江戸時代に湯治場として開かれました。 湯布院・日田・太宰府へ向かう旅人たちが、 長旅の疲れを癒すために立ち寄ったといいます。

その歴史は、今も湯の中にそっと息づいています。 湯に浸かると、 体の奥にある疲れがゆっくりほどけていき、 「昔の旅人もこの湯に癒されたのだろう」と思うと、 湯の温もりがより深く感じられます。

堀田は、歴史の静けさが湯とともに流れる温泉です。

 

 谷あいの湯煙は、静けさそのもの

 堀田温泉の周辺には、 田んぼや谷あいから湯煙が絶えず立ちのぼっています。

湯煙が風に揺れ、 白い筋となって空へ伸びていく様子は、 見ているだけで心が静かに整っていきます。

湯煙の向こうに広がる山の影、 その影が湯気に溶けていくような瞬間があり、 堀田ならではの“静かな深さ”が感じられます。

 

 素朴でやさしい湯は、旅人の心をそっと整えてくれる

 堀田温泉の湯は、 熱すぎず、柔らかすぎず、 ちょうどいい温度で体を包み込んでくれます。

湯に浸かると、 体がゆっくりほどけていくのと同時に、 心の奥にある重さがすっと軽くなるような感覚があります。

華やかさはありません。 けれど、静けさと温もりがあります。 そして、湯煙が旅人を導くように漂っています。

堀田は、素朴でやさしい湯が心を整えてくれる温泉です。

 

 効能

  

一般的効能 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
泉質的効能 慢性皮膚病、慢性婦人病、きりきず、糖尿病

  

 

 堀田温泉は、 旅の途中でふと立ち寄ると、 湯煙の中で心が静かに整い、 湯の温もりが体を包み、 風が旅の疲れをそっと吹き流してくれます。

別府八湯の中でも、 “素朴で深い温泉情緒”を感じたい方には、 ぜひ訪れていただきたい場所です。

 

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【別府温泉ガイド・別府八湯】
 浜脇温泉 ― 海辺に息づく、別府最古の湯の記憶をたどる旅

 海と湯が寄り添う、浜脇ならではの風景

 浜脇温泉の魅力は、海のそばに湧く湯であることです。 朝、海風が湯気をやわらかく揺らすと、潮の匂いがふわりと混じり、 まるで海そのものが湯を温めているような感覚に包まれます。

海辺を歩くと、波の音が一定のリズムで耳に届き、 そのリズムが湯の温もりと重なって、心がゆっくり整っていきます。 温泉街というより、海辺の生活に湯が溶け込んだ町といった雰囲気が漂います。

 

 

 素朴でやさしい“生活の湯”

 浜脇温泉は、観光地としての派手さよりも、 地元の人々が日常的に使う「生活の湯」としての温もりが際立っています。

共同浴場の前には自転車が並び、 湯上がりの地元の方々が海風に吹かれながら談笑する姿が見られます。 その光景は、旅人である私にも不思議な安心感を与えてくれます。

湯に浸かると、 熱すぎず、柔らかすぎず、ちょうどいい温度が体を包み、 呼吸が自然と深くなるのを感じます。 湯の中で静かに心がほどけていく、そんな時間が流れています。

泉都ピア浜脇

 

 夕暮れの浜脇は、映画のワンシーンのようです

 夕暮れどきの浜脇温泉は、格別の美しさを見せます。 海辺の空が薄紫から群青へと変わる頃、 湯気がその色をまとって静かに漂い始めます。

湯上がりの肌に海風が触れる瞬間、 遠い昔の旅人の影がふと立ち上がるような、 懐かしい気配が胸の奥に灯ります。

 街灯がぽつりと灯り、 濡れた路面に光が反射して揺れる様子は、 まるでフランス映画のワンシーンのようです。 浜脇の夕暮れには、静けさと余韻が深く息づいています。

 効能

【泉質別適応症】自律神経不安定症、不眠症、うつ状態、 【一般的適応症】筋肉若しくは関節の慢性的な痛み又はこわばり(関節リウマチ、変形性関 節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫などの慢性期)、運動麻痺における筋肉のこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下(胃がもたれる、腸にガスがたまるなど)、軽症高血圧、耐糖能異常(糖尿病)、軽い高コレステロール血症、軽い喘息又は肺気腫、痔の痛み、自律神経不安定症、ストレスによる諸症状(睡眠障害、うつ状態など)、病後回復期、疲労回復、健康増進

 

 

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【大分県・絶景】千年の沈黙に触れる時~臼杵石仏で出会った“深い静寂”

 古園石仏 ― 光が触れる大日如来のまなざし

 参道を抜け、木々の影がゆっくりと薄くなると、 谷の奥にひっそりと古園石仏が姿を現します。 その中心に座す大日如来は、まるで岩壁そのものが呼吸しているかのような静けさをまとい、 訪れる者をただ黙って迎え入れてくれます。

 近づくほどに、その表情は不思議な変化を見せます。 遠くから見れば堂々とした威厳があり、 しかし数歩進むと、頬のあたりに柔らかな温度が宿り、 さらに近づくと、千年のあいだ風雨に耐えてきた岩肌の質感が、 人の肌のようにどこか温かく感じられる瞬間があります。 その変化は、光の角度や雲の流れによってわずかに揺らぎ、 まるで大日如来が、訪れた者の心の状態を映し返しているかのようでした。

 かつて頭部が落ち、台座に置かれたまま長く祀られていた時代がありました。 その姿を知る地元の人々は、修復後の大日如来を見て、 「戻ってきてくれた」と静かに涙を流したといいます。 その物語を思いながら見上げると、 大日如来のまなざしは、ただの仏像ではなく、 長い時間を経てなお人々の祈りを受け止め続けてきた“存在”として迫ってきます。

 岩壁に刻まれた衣のひだは、風の流れをそのまま形にしたように滑らかで、 指先の丸みは、彫り手が最後にそっと息を整えてから刻んだような繊細さがあります。 凝灰岩という脆い石に、これほどの精緻さを刻むことができた理由は、 今も謎のままです。 しかし、仏の前に立つと、 「技術」や「歴史」という言葉では届かない、 もっと深いところで彫られたものだと感じられます。

 光が雲間からこぼれると、 大日如来の頬がわずかに明るくなり、 その瞬間だけ、仏が呼吸をしているように見えることがあります。 逆光の中で輪郭が淡く浮かび上がると、 千年の時間がふっと近くなり、 自分がその長い流れの中にそっと置かれたような感覚になる。

 古園石仏の前に立つと、 言葉は自然と少なくなります。 祈りでもなく、感動でもなく、 ただ“静けさの深さ”だけが胸に満ちていく。 その静けさは、訪れた者の心の奥に、 ゆっくりと沈殿していくようでした。

 

 ホキ石仏第一群(堂ヶ迫) ― 岩壁に宿る藤原様式の気品

 

 谷の奥へ進むと、岩壁がふいに開け、ホキ石仏第一群が姿を現します。 ここは臼杵石仏の中でも、もっとも“静かな迫力”を感じる場所です。 岩壁に穿たれた四つの龕に、如来三尊像や地蔵菩薩像が整然と並び、 その佇まいは、まるで千年前の祈りがそのまま空気に残っているかのようでした。

 近づくほどに、彫りの繊細さが際立ちます。 藤原様式特有の柔らかな曲線が衣のひだに宿り、 指先の丸みは、彫り手が最後にそっと息を整えて刻んだような静けさを帯びています。 凝灰岩という脆い石に、これほどの精緻さを刻むことができた理由は今も謎ですが、 仏たちの前に立つと、その謎はむしろ“美しさの一部”として胸に響いてきます。

 堂ヶ迫の仏たちは、光の変化によって表情を変えます。 曇りの日には輪郭が淡く浮かび、 晴れの日には衣のひだが細やかに影を落とし、 夕方には頬がわずかに橙色を帯びて、どこか人間的な温度を感じさせる。 その変化は、まるで仏たちが訪れた者の心に合わせて、 静かにまなざしを変えているかのようでした。

 岩  壁に耳を寄せると、風がわずかに通り抜ける音がします。 その音は、仏たちの沈黙をより深くし、 この場所がただの史跡ではなく、 “祈りの時間が積もった空間”であることを静かに伝えてくれる。 堂ヶ迫の前に立つと、言葉は自然と少なくなり、 ただ仏たちの気配だけが、ゆっくりと胸に満ちていきました。

 

 ホキ石仏第二群(九体阿弥陀) ― 岩壁に広がる極楽の気配

 

 谷の風が少し冷たくなるころ、岩壁の向こうにふわりと広がる気配があります。 それが、ホキ石仏第二群――九体阿弥陀が並ぶ荘厳な空間です。 第一群の繊細さとはまた違い、ここには“静かな広がり”があります。 岩壁いっぱいに刻まれた阿弥陀たちは、まるで光の層のように並び、 訪れた者を包み込むような柔らかさを帯びていました。

 九体の阿弥陀は、それぞれわずかに異なる表情を持っています。 目を閉じているもの、遠くを見つめているもの、 口元にほんの少し微笑を宿すもの。 その違いが、岩壁に刻まれた“祈りのリズム”のように感じられ、 静けさの中にゆるやかな流れを生み出していました。 近づくほどに、衣のひだが細やかに影を落とし、 指先の丸みが柔らかい光を受けて淡く浮かび上がる。 その光景は、まるで阿弥陀たちが極楽の入口をそっと示しているようでした。

 この第二群は、光の変化がとくに美しい場所です。 曇りの日には輪郭が淡く溶け、 晴れの日には衣の線がくっきりと浮かび、 夕方には頬が橙色を帯びて、どこか人間的な温度を感じさせる。 その変化は、仏たちが訪れた者の心に合わせて 静かに表情を変えているかのようでした。

九体阿弥陀の前に立つと、 谷の音がふっと遠ざかり、 ただ岩壁の奥から立ち上がる“深い静寂”だけが残ります。 その静けさは、祈りというよりも、 時間そのものがゆっくりと沈んでいくような感覚でした。

 

 蓮の季節 ― 石仏の里がもっとも華やぐとき

 臼杵石仏の参道を抜けると、ふいに視界が開け、 一面に広がる蓮畑が淡い光をまとって揺れています。 初夏の臼杵は、仏たちの静けさと蓮の生命力が同じ呼吸をしているようで、 この季節だけは谷全体がやわらかな色に染まる。 朝の光が花びらに触れると、薄桃色がふわりと浮かび上がり、 水面にはまだ眠りの残るような静かな影が落ちていました。

 

 蓮  畑の向こうに古園石仏の屋根が見えると、 花の華やぎと仏の静けさがひとつの風景として結ばれます。 蓮はただ美しいだけではなく、 どこか“仏のそばで咲くことを選んだ花”のような気配があり、 その存在がこの地の祈りの深さをそっと語ってくれる。 写真を撮るなら、朝の柔らかな光か、 夕方の橙色が混じる時間が良い。 花びらの縁が光を受けて淡く輝き、 水面の影が静かに沈んでいく。

蓮の季節の臼杵石仏は、 ただ花を見る場所ではなく、 “色彩の静けさ”に心を浸す場所です。 花の揺れ、風の匂い、水面の影―― そのすべてが仏たちの表情と重なり、 訪れた者の時間をゆっくりと整えてくれました。

 

 

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