梅雨明けの月を撮る | 写真家 jin-andoの徒然日記~写真に魅せられて

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日々の出来事を、風景写真等を中心に織り交ぜながら発信しています。
将棋の藤井聡太二冠の大ファン。時々藤井聡太二冠の記事を載せます。

    7月31日、梅雨が明けた空に、月齢10.4の綺麗な月が輝いていました。綺麗な月を眺めていると、「moon river」を思い出します。

「moon river」は、ジョニー・マーサー作詞・ヘンリー・マンシーニ作曲の、1961年公開の映画『ティファニーで朝食を』で、主演女優のオードリー・ヘプバーンが劇中で歌った曲です。

 

Nikon COOLPIX P900、ISO400、f/6.3、1/500、214mm

 

COOLPIX P900については、以下の記事で紹介しています。

 

 

 

連載 「砂上の足跡」~見出しタイトル
 私が取り組んでいた「一字書」は、大分県美術協会書道部の中では少数派であった。漢字や仮名、散文の作品が大多数を占めていた。会員展で展示されている一字書は、1m四方もありとても目立つ存在である。それなりに目を引きつける魅力はあると思うが、興味のない人にとっては「書」としての位置づけがないだろうと思う。
 作品制作は専ら午後8時くらいから始まる。墨には松煙墨と油煙墨があり、私が使うのは松煙墨である。松煙は、松の木に傷をつけて「松やに」を噴出させ、その部分をそぎ切る。その後、小割りにし、障子小屋で燃やし、障子についた煤をとる。この煤を固めたものだ。松煙は、燃焼温度にむらがあって大小さまざまな粒子の煤が混在し、複雑な墨色を生み出す。濃墨では厚みのある艶を感じさせない黒(漆黒)となり、淡墨では青灰色を帯びた墨色になる。松煙墨が青墨といわれる理由がこの青である。
 私はこの青墨を2時間磨り続ける。自分が理想としてる墨色に近づけるためだ。墨を磨っていると「非人磨墨墨磨人(人、墨を磨るに非ず。墨、人を磨る)」という言葉を毎回のように思い出す。いくら高価な墨をたくさん持っていても、人は使い切らないうちに死んでしまうという自嘲する使い方が一般的だが、もっと深い意が込められているように思う。墨を磨るにはそれなりの時間が必要である。ある意味身を削られているわけである。磨っている間は、決して無駄に過ごしているわけではない。私の場合は、墨を磨る2時間のほとんどがシミュレーションの時間だ。数え切れないほど頭の中で筆が走る。書いては消し書いては消しの繰り返しだ。大げさな言い方をすれば、正に身を削る、命を削っているのだ。
 2時間も青墨を磨れば、硯の上は泥と化す。次の段階は、これを洗面器大の器に少量の水で溶かしながら入れる。出来上がった状態は、真っ黒な墨汁という表現がぴったりだ。
この墨量で5・6枚の作品が書ける程度だから、シミュレーションが大きな役割を持っているのである。墨汁が出来上がればすぐに書けるわけではない。これから墨色の確認作業段階へと進んでいく。小紙に小文字を書き、乾くまで待つ。色合いが気に入らなければ磨り足していく。納得できる色合いになったらいよいよ作品作りが始まるわけである。墨を磨り始めて約3時間。これで、やっと準備が完了。一連の作業を振り返れば、やはり命を削られていると痛感するのだった。
 数日かけて作品が完成した。やっと出来上がったという疲れと、何とも表現できない複雑な思いに支配された。早速校長先生に見ていただいた。

「思ったていたより大きくて迫力がありますねえ。これはいい。」

と気に入られた様子だった。10日後、階段の踊り場の壁に「夢」の一字書が飾られた。
校長先生と2人で作品を見あげていると

「この作品は、実によい在籍記念になりましたね。記念というよりあなたの生きた証ですね。」

としみじみとおっしゃった。私はただただ頷くことしかできなかった。平成12年3月、卒業式を間近に控えた午後のことだった。(この作品は、今でも別府中央小学校の壁に飾られている。)


つづく

 

私が撮影した 写真の販売をしております。
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