知恵を求める人のためのブログです。

普通は、宗教は「自ら探し求める」ものです。

 

人が自ら宗教に足を踏み入れるのは

大抵、問題や悩みを抱え、

 自分ではどうにもならなくなった時に、

「自ら」救いを求めて門を叩く場合が多いものです。

 

この場合、日本では、

 高野山や比叡山などの仏教施設や禅などに行くことがあります。

 キリスト教の教会に向かうこともあります。

 

 神社に行き、神に救いを求め祈ることもあります。

 

公に受け入れられている「宗教」です。

 

ですが、

 仏教や禅などでは、

「心のやすらぎ」「いやし」「落ち着き」などが得られることもあります。

 

一方、神社で祈りをする人は大勢いますが、

 大抵「願いが叶わない」ことが多いものです。

 にも拘らず、大勢の人が祈願をしに神社に行っています。

 

祈りが聞かれないのは、

 キリスト教も同じです。

 

カトリックやプロテスタントなどの教会は、

 日本の寺と同じように、

  救いや癒しの場となってることが多いものです。

 

今、世界中の人が「祈り」「願い」を神に祈っています。

しかし、

現実はどうでしょうか?

 大勢の人が祈っているのに、

 それが叶わないのはなぜでしょうか?

 その「神」は一体何をしているのでしょうか?

 もしかして、その神社には「神」はいないのでは?

 あるいは、神そのものが「存在していない」のでは?

 

 あるいは「存在してはいるが、理由があって聞かない」のでしょうか?

 

寺社では、大抵「宗派」を意識し、

 誰が建立したかなどを尋ねたりします。

 これは、

 その宗派の考え、教えを意識している訳で、

 日本人はとりわけ「有名な開祖」が「好き」です。

 

一方、神社では、

 神より、

 ○○にご利益があるということで参拝することが殆どです。

 大抵は、

 利己的な祈り、願いです。

 

 家内安全、五穀豊穣、交通安全、健康長寿などは代表的な「祈願」です。

 コロナの時には「疫病退治」などもあったかも知れません。

 

 現実は、どれも「叶わない」のです。

 

日本では、

 仏教、つまり、寺には「救いを求めて

 神社には「願いを求めて

 参拝することが多く、

 その殆どが、

  それらの宗教の信者ではありません

 

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空海は、

高野山に真言宗の、いわば「聖地」を作り、

 大乗仏教の密教を極め、それを真言密教として完成させました。

 

空海は語学にも才能があり、加えて、持ち前の努力で、

唐での修行で、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ねた時、

初めて会ったにも拘らず、

 即座に密教の奥義伝授され、大悲胎蔵の学法灌頂、金剛界の灌頂を受けたことは有

 名です。

 いわば、いきなり弟子のトップに指名されたのです。

 おそらく、空海に関しての情報は恵果和尚に伝えられていたと思われます。

 空海と会うなり、

 ずっと空海が来るのを待っていたとさえ言われたようです。

 

穿った見方をしますと、

 恵果和尚は、

 空海に会うまでは死ねない、死なないと考えていたようにも伝えられています。

 これは、

 イエスの誕生を神殿で待っていた、

  シメオンと女預言者アンナ

 と類似しています。-ルカ2:25-38)

 

空海はいわば、仏教を極めた「天才」であり、

高野山の表参道には、

 戦国武将の墓が多く見受けられます。

これは、

 弥勒菩薩は、釈迦(しゃか)が滅した56億7千万年後に仏となりこの世に現れ、

 釈迦の教えで救われなかった人々を救済する

 という考えに基づくもので、

 

 空海(弘法大師)は入定に際し、「われ、閉目ののちは兜率天に往生し、弥勒慈尊

 の御前に仕え、五十億余年ののち、必す慈尊とともに下生せん」と弟子たちに遺言

 したことに由来します。

 

戦国武将たちは56億7千万年後のこの日のために、弘法大師御廟前の参道で

いわば、席取りをしているのだと言う人もいます

 

密教の分野に限っては、

当時の仏教の頂点に君臨していたと言われる最澄でさえ、空海に対して弟子としての礼を取っていました。

 

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他にも、

 仏陀の誕生やイスラム教のモハンマドについていも、

 イエスの誕生に、似たような記述があります。

 

(もしかすると、

 これも、聖書に記されている、神に敵対する悪魔の策略かも知れません)

 

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禅の門を叩いた例として、

スティーブ・ジョブズと川上哲治は有名です。

 

スティーブ・ジョブズが熾烈な開発競争の中で、

 「心」に悩みを抱え禅の「無心」の境地に達することで、

  いわば、自分をリセットし様々なアイデアを生み出そうとしたことは有名です。

 

また、

川上哲治は、野球の試合で勝つために、

 監督として選手との向き合い方や自身の野球観などを、

 いわば、アイデアを生み出す境地として、

 更には、「常に冷静」に、「心の落ち着き」のために、

「無心」という禅の境地を求めて禅を行ったことも有名です。

 

「無心」になるということは、

いわば、あらゆる「欲望」「思い煩い」などを「心から払い除け、心を空っぽ、無の状態」にすることで、

物事の「本質」のみに「思考を集中」させることにあります。

 

ですから、完全に心の中が「空っぽ」になる訳ではありませんし、

実際、有り得ないことです。

もし、いると言う人がいれば、

 その人は「眠っている人」です。

 

スティーブ・ジョブズも川上哲治も、

こうした「境地」を求めて「禅」の門を叩いたのです。

 

今「禅」の門を叩く人は「悩み」を抱えた人が殆どです。

外国人は興味本位で、禅を体験するということもあります。

何か「新しい発見」を求めて、そうした体験をするのです。

 

今、世界では、

 東洋思想というより、

 日本の思想、伝統などが注目されていることは、

 日本人の歴史から見る「精神性」に「価値がある」と考える人が多くなったためな

 のです。

 

禅とは宗教というより、

深い「黙想」「瞑想=目を閉じて静かに考えること」なのです。

ですから、文字通り「心を無にする」訳ではありません。

 

「欲望」や「思い煩い」を心から「取り除く」というのは、

 聖書の掲げる精神と合致するものです。

 

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聖書では、

イエスが例え話しの一つとして、

「汚れた霊は,人から出て来ると,休み場を捜し求めて乾ききった所を通りますが,どこ

 にも見いだせません。(参考:悪霊は水を嫌う)

  そこで,『出て来た自分の家に戻ろう』と言います。

 そして,着いてみると,それは空いていますが,きれいに掃かれ,飾りつけられていま

 す。

 そこで,出かけて行って,自分より邪悪な七つの異なった霊を連れて行き,彼らは中に

 入ってそこに住みつきます。

 こうして,その人の最終的なありさまは最初より悪くなります。

 この邪悪な世代もそのようになるでしょう」-マタイ12:43-45

と言われました。

 

ものみの塔は、この聖句を用いて、

禅を否定しています。

 

しかし、

これは「心を無にする」ということを「表面的に捉えた」もので、

正しく「理解」していません

 

「心を無にする」のではなく、心を「霊的な事柄で満たす」ことで「汚れた霊」が再  

 び住むことがないようにと言う「解釈を付け加えています

 

「心を無にする」つまり、本当に「空っぽ」にするなら

 ものみの塔の主張は正しいかも知れません

 

ですが、

ものみの塔でも、

 思いを集中させ、真理を理解するために、

 黙想したり、物事を深く考えることを推奨しています。

 

これは、

 禅と同じことなのです。

 

ですから、

 ものみの塔の言うことは「矛盾しているのです。

 というより、

 理解」していないのです。

 

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では「心を無にする」というのは、

「欲望や思い煩い」を打ち払うことを指しており、

 文字通り無にしている訳ではないのです。

 

 は「思考を明敏」にさせる一つの手段なのです。

 

 それには、「欲望や思い煩い」を除くことで「心の安寧」をもたらす効果もありま

 す。

 

ですから、

は、必ずしも聖書の考えに反している訳ではありません

 

思いを集中させる効果もあるのです。

 

ただ、

が行われている場所が、

 寺であるという点が問題なだけなのです。

 

ですから、

 寺などの宗教施設以外の場所で、

 例えば、

 家で「禅」を行うことは、むしろ「推奨」されることなのです。

 

ヨガも似たようなものですが、

ヨガを行う時使われる「ことば」が仏教用語もしくは仏教の思想に起因しているものもあり、

また、

ヨガの「姿勢や呼吸」などの説明が、言葉が仏教的であること、

 

これらを別の「言い方」に「変えれば」、

禅と同じように「益、効果」のあるものです。

 

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話しを宗教に戻しますと、

日本人は神と仏を上手く使い分けていると言えるかも知れません。

結婚式は神前で、葬式は寺で、

願い事は神に、救いは寺に、と言う具合にです。

 

他の形で宗教に足を踏み入れることもあります。

旧統一教会やものみの塔は、

 勧誘により「導かれる」のです。

 つまり、

 誰かに促されて入信する場合です。

 

この違いは明白です。

 

救いを求めて宗教に「すがる」のは、自発的、能動的であり、

勧誘」により入信するのは、他力的、受動的です。

 

勧誘には、大抵「思惑」があるものです。

 

旧統一教会では、多額の寄付を集めることであり、その勧誘の仕方と寄付の問題が明らかにされています。

ものみの塔では、信者を獲得することであり、その指導に問題があることが明らかになっています。

 

これら二つの組織は、

(旧統一教会は宗教とは言えません。詐欺集団です)

共に、神と悪魔あるいはサタンという言葉を用いて

信者を「いわば牛耳っています

 

一度信者になると、

 この二つの言葉が頭から離れず、

 あたかも、

 洗脳、あるいは、催眠術のように、

 信者を「縛っている」のです。

 

そのため、

 聖書に記されていても、その適用が間違っていても「従ってしまう」のです。

 

例えば、

 寄付に使い方に関して明確に聖書に記されていますが、

 ものみの塔の寄付の用い方は「聖書に反するもの」です。

 

 寄付の使い方の原則はローマ15:26であり、自分たちのために用いるためのもの

 ではありません。

 宣教活動のためでもありません。

 したがって、

 寄付で王国会館を建設したり、

 特別開拓者や巡回監督やそれ以上の立場の人や協会の支部で働く人や世界本部で働

 く人や統治体などの人のためのものでもないのです。

 

 ものみの塔は「自分たちの欲望を満たそうとしている」ことは明白です。

 

 宣教活動に関しても、(最近ものみの塔はこれを一部修正しましたが)

 イエスの命令があります。-マタイ28:18-20

 イエスは宣教をするようにとは言っていますが「勧誘」するようにとは言っていま

 せん

 加えて、

 月に何時間奉仕(宣教活動)をしなさいなどとも言っていません。

 

 旧統一教会やものみの塔の活動は、

 宣教ではなく勧誘なのです。

 

勧誘」には「すべて思惑」があるのです。

又、

神や悪魔という言葉を用いられた時

それによって何をさせられようとしているのか「はっきりと自覚」しなければなりません。

 

これら二つの組織が、

悪魔という言葉と使う時には、

「自分たちの思惑と異なることをさせない」という意図があるのです。

 この「自分たちの思惑」とは、

 「自分たちの欲望」のことです。

 

○○することは、神のためである」という言い方もします。

これも、同じです。

 

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人間がすることで、

神に喜んで貰うことは出来ますが、

神は人間に何かをしてもらう必要は「全くない」のです。

 

ですから、

人間がすることで、

「神のためになる」などということはないのです。

 

例えば、

 信仰に於ける忠実、忠誠などは「自分自身」のことです。

 宣教活動は「イエスの命令」に従っていることであり、特段誉められることでもあ

 りません。

 当然のことなのです。

 

ペテロが言ったように「クリスチャンが立派なことをする」ことで、

神が栄光を受けられるようにするということに関しても、-ペテロ(一)2:11-12

 神はそれを必要としている訳ではありません

 

 そうすることは「クリスチャンの務め」なのです。

 

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勧誘の際、用いる手段の一つとして、

 不安を煽る

ということをするものです。

 

旧統一教会もものみの塔(エホバの証人)も「同じ」です。

 

不安を煽っているので、

○○しないと「地獄に落ちる」「永遠の命を失う」「ハルマゲドンで滅ぼされる」「神に喜ばれない」

「信仰を否定する」

○○すると「悪魔の影響を受ける」「世の影響を受ける」「世のものとなる」「世の友となる」「悪魔に倣うことになる」

などという「ことば」に「踊らされる」のです。

 

このような「ことば」に踊らされた「信仰」は、

 信仰の正しい「動機」ではありません

 ただ、「脅しに従ってだけ」と言えます。

 

以前にも、申し上げましたが、

「世のものとならない」ということを実践する方法として、

「世を避ける」のではなく

「自分の信念を貫く」ことだと。

 

 世の人々と同じ社会活動をしながら

 クリスチャンとしての立場、精神を示すことなのです。

 世を避けることではないのです。

 

もし、

上記のような「ことば」で操られている人は、

そうではなく、

信じて確信している事柄について「自分の信念を貫く」ことです。

(確信していることが重要です。

 確信するとは、論理的に説明出来るということです)

 

そうすれば、

ことば」によって「不安にさせられたり」「踊らされる」ことも無くなるのです。

 

もし、あなたが、

信仰を持っている」と言うなら、

 このようにすべきです。

 

前回は、

主に「救い」に関して述べましたが、

 

今回は、聖書全体の価値についてです。

 

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聖書は、

 単に道徳や救いの書物というだけではなく、

 

 神の目的と同様、

 悪魔の目的と悪魔の特質を明らかにする書物でもあります。

 

聖書全体は、

 神の目的と人類の救いに関して一貫しています。

同時に、

 地に悪をもたらした「悪魔」について、

 その存在とその目的とその特質を、

 聖書全体を通じて示しています

 

どちらも、

創世記から始まって、ヨハネへの啓示で終わっています。

 

つまり、

聖書全体は、

 神の「地に対する目的を明らかにする書物」であると同時に、

 「悪魔の正体とその目的を明らかにする書物」でもあるということです。

 

救いに関しては、

主にギリシャ語聖書(新約聖書)が中心ですが、

 

神の目的と神の特質、

および、

悪魔の存在と悪魔の目的と悪魔の特質、

については、

聖書全体を通して示されているのです。

 

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神も悪魔も「目には見えない存在」です。

しかし、

見えない事柄は「自然現象や感じる」ことで明らかになるように、

同じことが、

神と悪魔についても言えるのです。

 

世の中で起きている事柄や、

人間の感覚と良心明らかにしているのです。

 

すべての人間が、

各々、善悪の基準を持っていることも「証拠の一つ」なのですが、

なぜ、多くの人が、

真の神と悪魔の存在を「意識したり、自覚」出来ないのでしょうか

 

その原因の一つは、

すべての人間が「見える事柄」を中心に生活し活動しているからと言えます。

 

実際には、

すべての事柄は「見えない事柄」によって支えられているのですが、

こうしたことを自覚して生きている人間は「殆どいない」のです。

 

例えば、

 重力、空気(酸素)、命、エネルギーなどなどによって、

 生物の活動が支えられていることは誰でも知っています。

 これらは目には見えないものです。

 

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目に見えない事柄の内、

特に、神や悪魔の存在を証明することは難しいことですが、

それを文字で示しているのが「聖書」なのです。

 

神や悪魔に関しての、

 聖書に基く以外の、

 説明や、宗教の教えは、

 すべて「偽り」であり、

 悪魔の策略なのです。-エフェソス6:11

 

真理に敵対する者の存在について、

適切にもパウロは次のように言っています。

「さて,わたしは,自分が行なっていることをこれからも行なってゆきます

 それは,その誇る職務の点でわたしたちと同等に見られる口実を欲している人たちからその口実を断つ

 ためです。

 そのような人たちは偽使徒,欺まんに満ちた働き人で,自分をキリストの使徒に変様させているのです。

 それも不思議ではありません。

 サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです。

 したがって,彼の奉仕者たちが自分を義の奉仕者に変様させているとしても,別に大したことではありま

 せん

 しかし,彼らの終わりはその業に応じたものとなります

 -コリント(二)11:12-15

(参考:

 「職務の点でわたしたちと同等に見られる口実を欲している人たち」とは、

  キリスト教の僧職者や

  ものみの塔そのものであることは明白です。

  エホバの証人は彼らの手先として「利用」されているのです)

 

イエスが言われたように、

 悪魔は「世の支配者」であり、-ヨハネ12:31

 「人殺しであり、偽りの父」だからです。-ヨハネ8:44

 

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こうしたことは、

聖書を読まないと分からないことです。

 

神は人類のために「沢山の善いこと」をしてくれていますが、

イエス・キリストと聖書は、

神が人類のために与えてくれた「最高の贈り物」であると言えるのです。

 

(参考:地上の悪い事柄のすべての「根源」は悪魔です。)

 

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知恵を求める人のためのブログです。

誰もが経験していることですが、

 物事の視野は「その人の理解の程度」を表しています。

 

良い例が、職人です。

 職人と言われる人は、

 普通の人には分からない「微妙な感覚」を持っているものです。

例えば、

1 1000分の1レベルの指の感覚

2 赤く熱した鉄の温度

などなど。

 

実はこうした微妙な感覚は誰しもが持っているものです。

1 対人関係

2 物を見る「目利き」

3 全体を見渡す能力

4 ゲームのような「瞬時に判断」する能力

5 ホームランやヒットを打つ時の「微妙な身体感覚=能力」

6 文章を読んだ時や会話している時の「言葉に対するイメージ」

7 物を見た時に感じる「感覚」

8 出来事を見たり聞いたりした時の「感覚」

9 ブラインドタッチをしている時の「脳と指の感覚」

10 何かを食べている時の「口や舌の感覚」「喉ごし」

などなど。

 

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これらすべてに共通しているのは、

 各々に対する「理解」です。

その理解の「程度」が、

 感覚や能力に「差」が出るのです。

 

同じものを見ても、

同じことを聞いても、

同じものを触っても、

一人ひとり感じ方が異なるのはこのためです。

 

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こうしたことは「道徳」についても当てはまります。

若者の道徳の基準は、

 自分の感性であることが多いものです。

年寄りの道徳基準は、

 人生経験であることが多いものです。

 

若者にとっては、

 何でもないことが、

年寄りにとっては、

 問題であることが、

あるものです。

 

勿論、この逆もあります。

 

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こうした差異は、

 物事に対する「洞察力」「思考力」「思いやり」「自己満足」「欲求」などの違いから生じるものです。

 

「洞察力」と「理解」と「感覚」が入り混じった、

いわば「感性」であり「能力」なのです。

 

そして、これらが「その人の視野」を決めているのです。

 

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人間以外の動物は、

 こうした視野は「限定されたもの」となっています。

 特定の動物は特定の事柄しか「関心」を示さないものです。

 つまり、特定のものしか見ていないのです。

 

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ところが人間の場合は、

 視野は「限定されてはいません

 人によって異なるのです。

 

大抵の場合、

 その人の「」を見れば分かることもあります。

 

自信のある人の目付きは「鋭く」「輝いて」見えるものです。

自信のない人の目付きは「どこか不安」そうに見えるものです。

 

こうしたことは「態度」にも現れます。

 

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こうした観点で「人」を観察すれば、

 人の「優劣」が分かって来ます。

 

1 その人が有能か否か

2 その人が自分にとって良い人か悪い人か

 

物事を上手く運んだり、

平和で穏やかな生活をする

ためには、こうした「視野」が「重要」な要素となります。

それは、物事に対する「理解」「洞察力」「感覚」が決めるのです。

つまり、

その人自身が「決めている」のです。

 

こうした能力に欠けている人は、

 殆ど偶然か運だけで生きているようなものです。

 

こうした人の人生は、

 浮き沈みが激しく、自分ではコントロール出来ないものです。

 

しかし、上記の能力に長けている人は、

 常に自分の視野で生きています。

 つまり、

 人間として生きているということです。

 

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あなたは、

 本当に人間として生きていますか?

 

「どう生きても人間は人間だろう」と言うかも知れません。

 

確かに生き物としては「人間の範疇」に入ります。

 

しかし、

いわゆる動物的に生きる人もいるのです。

思考よりも「感性、感覚」だけで生きている人もいるのです。

 

勿論、思考のない人はいません。

 

しかし、その思考が「欲望を満たす」ことだったり、「悪を行う」ことだったり、

「快楽を求める」ことだったり、「自己満足を求める」ことだったり、

するなら、

その人は人間としての「価値は低い」ものです。

 

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本当に人間としての価値のある人は、

1 思慮深く

2 穏やか

3 視野が広く、物事の価値を見極め

4 目立たず

5 外見上、面白みがない(人を意図的に笑わせるような人ではない)

6 真面目

7 分別があり

8 派手ではないが「清楚」

9 生活においても精神においても自立

10 誰とも争わない

こうしたことを体現している人です。

 

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出世したりお金持ちだったり奇麗だったり派手だったり、

あるいは、

自己満足や快楽を求めたり、

他の人との競争に勝つために優れた能力を発揮する、

そうした人ではありません。

 

こうしたことは、

普通の多くの人々が「追い求めている」ものです。

多くの人は、こうしたことに「価値がある」と見なしているからです。

 

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思考や振る舞いに関する「人間の模範」は、

 人間イエス・キリストです。

 

彼の人生ではありません。

イエス・キリストの人生は「初めから、神によって定められた」ものであり、

人間は真似の出来ないことです。

 

ですが、

イエス・キリストの「発言、行動、振る舞い」は真似の出来ることです。

 

クリスチャンであれば、

イエス・キリストを「模範」とすべきなのです。

 

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エホバの証人は、

イエス・キリストを「模範」としているようには「見えません」

 

自分の欲望を遂げようとしている」ようにしか見えません。

 

あなたには、

 エホバの証人はどのように見えますか?

 

**************

もし、あなたがクリスチャンでなければ

 空海、つまり、弘法大師を模範とすることが出来るかも知れません。

 

 仏陀でも親鸞でもありません。

 

 空海の人となりは、

 上記に述べた「本当に人間としての価値」のある事柄に合致します。

 

これは、

 空海の行った「宗教」を追随するということではありません。

 

生き方の真面目さのことを言っています。

 

誤解をしないようにして頂きたいと思います。

 

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知恵を求める人のためのブログです。

初めに、

 女性差別ではありません

 事実、現実を、

 客観的考察しただけです。

 

もし、この記事を読んで不快に思われる女性もいるかも知れません。

 

が、それでも、

現実を直視し、

女性だからといって自己憐憫に陥らないようにして頂きたいと思います。

 

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現実を直視し、

 男性と女性の身体的違い、精神的違いを考慮した上で、

 賃金交渉をすべきだと思うことが、

 

 客観的な思考ではないでしょうか

 

こうした点を考慮に入れた上で、

仕事を評価することが、

 社会における男女平等なのです。

 

例えば、

男性は子供を産むことは出来ません。

女性は精子を提供出来ません。

 

このように違いを考慮した上で、

 対等、平等を話し合うべきです。

 

**************

聖書では、

女性は男性を補う助け手として「創造」されたとあります。

 

つまり、

男性と女性は「造りが違う」のです。

 

その異なる二つのことを、

身体的違い、精神的違いを考慮しないで、

同等、平等、対等と考えること自体「間違っている」のです。

 

**************

それでも、

男性、女性としての、

人間としての「価値」という面では、

 対等なものです。

 

例えば、

夫婦に於いては、

 夫は家から出て仕事をし「家族に必要なものを手に入れます」

 妻は「家事をします」

 

これら異なることを、

 対等、同等と見なすことが、

 平等もしくは公平なのです。

 

ですから、

男性が働いてお金を稼いで来てくれるから生活出来ると考え、

 男性が主である考えをし、

 生活費だけを妻に渡すということが一般的になされていますが、

これは間違いなのです。

 

夫が働いて得た収入は、

 夫婦二人の「共同作業」なのです。

 いわば、

 分担して成し遂げたことなのです。

 

夫婦は対等なのです。

 

ですから、

夫が得た収入は二人のものなのです。

 

世の中には、

逆の夫婦もいます。

 

妻が外で働き、夫が家事をする場合です。

 

これでも、

夫婦は対等です。

 

**************

ところが、

女性の社会進出に伴って、

 独身女性だけではなく、

 夫が働いているにも拘わらず、

 女性も働き賃金を得るようになりました。

 

生活費が不足している場合が殆どですが。

 

そのため、

夫と妻が、

 共に仕事をすることになると、

 大抵は、

 妻が家事もしなければなりませんので、

 こうなると、

 その妻は、

 負担が過重となってしまい、対等ではなくなってしまいます

 

**************

大抵の仕事には

基本的に男女の区別はありません。

 

が、中には、男性だけ、女性だけの仕事もあります

 

男女どちらでも出来る仕事に対する賃金は、

 能力に応じて支払われるべきものです。

 男性だから女性だからという「考えはない」のです。

 

勿論、職業として、

男性に適した仕事

女性に適した仕事があるのは「当然」のことです。

 

どちらにしても、

仕事ですから、

 能力に応じた賃金を支払うべきです。

 

男性に適した仕事を女性がしたからと言って、

 優遇したり差別したりしてはならないのです。

 

その逆も同じです。

 

**************

賃金は、

基本的に「能力」に基いて支払われるべきもので、

男性だから女性だからということで支払われるべきものではありません。

 

それを、

どの職業でも、一律男女の格差をなくすべきだと主張しています。

 

企業にその格差をなくすか小さくするよう「政府が圧力」を掛けています。

 

女性活躍推進法の改正によって、2022年から条件に該当する企業は「男女の賃金の差異」情報の公表が義務付けられています。

 

しかし、

このための計算方法などを見てみますと、

 単に一律男性と女性の賃金の総額を人数で割ったものに過ぎません

 

これでは、

「本当の格差」とは言えません

 

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例えば、

病院で、

男性医師女性看護師が「同じ賃金」として計算されることは、

 明らかに間違っています

 

助産師と産婦人科の男性医師との賃金を比べた時、

 助産師の働きの方が圧倒的に負担が大きいです。

 ところが、

 助産師より男性医師の方が賃金は高いのです。

 勿論「資格」もありますが、

 これも間違っています

 

こうした「同じ職場での賃金の格差」は当然のことのように行われています。

 

賃金は、

能力、つまり、働きの結果として、

 ふさわしいだけ支払われるべきものなのです。

 

立場のみで支払われるものではありません。

 

**************

学校の場合、

 教師の給料は男女の区別がありません

 ですから、

 男女とも対等、同等と考えても良いでしょう。

 

 勤務年数による定期昇給分の違いがあるだけです。

 諸手当も全く同じです。

 

なぜなら、

男性教諭も女性教諭も「全く同じ仕事」をしているからです。

違いはないのです。

 

**************

しかし、

すべての職業を、

 学校のように出来る訳ではありません

 

企業などは、

 「働き方の違い」をいわゆる手当で差異を示しています。

  基本給は、勤続年数によって「男女一律」な場合が多いです。

 

 

病院や建設現場や料理店やホテルや

様々な部門がある企業などの場合は、

 

手当ではなく、

 

各々の能力(身体的、精神的能力を考慮した)を数値化し、

 労働を総合的に合算した結果(数値)を、

 賃金と相関したものにすべきなのです。

 

こうして、初めて男女の賃金を公平なものに出来るのです。

 

ただ、給料を上げろというのは、

余りにも「脳のない」ことです。

 

**************

また、

惣菜を作る工場で働く男女の作業員に格差はありません

しかし、

会社の従業員と作業員の格差は当然あります

 

経営側の立場と

労働力を提供する側の違いは当然あるべきです。

 

**************

世界中で「時給などの賃金」を上げるよう「経営者と交渉」が行われていますが、

それは、

企業の経費(従業員などの給与)をどの程度にするかという「会社の方針」との交渉なのです。

上げるか否かは「企業の純利益」によります。

設備投資を考えている企業では、賃金を上げるのを「渋る」でしょう。

 

労働における男女の格差ではないのです。

 

これと、

男女間の賃金格差とは、

 基本的には「全く異なること」です。

 

それでも、

企業の中には、

 同じ労働に対して男女の格差を設けているところもあります

 この企業は「間違った賃金を支払っている」のです。

 

**************

能力と労働を数値化するに当たり、

細かい点を上げれば「微妙に難しい点」もあります。

 

例えば、

同じ事務、同じ内容の仕事でも、

 男性と女性では、

 能力は異なります

 

 女性が優れている場合もあれば、

 その逆もあります。

 

+++++++++++++

例えば、

保険の外交員は男女とも「同等の立場」です。

ですが、

その成果は男女とも大きく異なります。

 

保険の外交員の報酬は、

 成果により異なりますから、

 男女に拘わらず、

 その格差は「非常に大きい」ものです。

 

つまり、

その人の能力が、

そのまま報酬に現れるのです。

 

+++++++++++++

個人住宅の建設に携わる大工についても、

最近は女性も出て来ましたが、

 力、経験、能力に於いて男性の方が勝っていることの方が圧倒的です。

 

ビルなどの建設現場でも同じです。

 

同じ大工だからと言って、

 同じ賃金にしたら、

 男性大工はいなくなってしまいます

 

もっとも、

小さな個人住宅の建設は、

不動産会社などが、

 建築士に設計を依頼し作業は個人工務店などに依頼することが殆どです。

 大工、左官、電気工事、設備やインテリア、など様々な人が建設に関わります。

 

この場合の、

 下請け工務店で働く大工などの賃金は、

 工務店の社長などが、

  決められた金額で請け負うか、

  労働に対する費用と実際に掛かった費用を請求するか、

  などにより、

  賃金が決まり、

  その中から大工などの賃金を支払うことになります。

  

  大工などが複数いる場合は、

  請け負った棟梁などが仕事の対価としての賃金を決めます。

 

このように、

賃金というのは「複雑な構造」をしているのです。

 

**************

大企業で何千人から何万人もの従業員がいる会社の「賃金交渉」とは、

全く「性質」が異なるのです。

 

特に、

中小企業やコンビニやスーパーなのどのパートやアルバイトなどの賃金は、

経営者にとっては「切実」な問題です。

 

+++++++++++++

さらには、

 育児に関しては男女平等ですが、

 

 女性には生理があり、

  体調不良に陥り仕事に支障を来すことがあります。

 

 男性も体調不良(病気など)で「休む」こともありますが、

  女性のように生理や出産で休むことはありません

 (生理や出産は病気ではありません)

 

 女性は結婚を機に仕事を止める場合もあります。

 会社としては有能は働き手を失うこともあります。

 これは、会社にとっては損失なので、

  初めから優遇しない方針である場合もあります

 

+++++++++++++

男性は力、体力があり、

 時間や作業量などで女性より勝っています

 

 このような身体的な違い賃金にどのように反映させるかどうかで、

 賃金は異なるべきです。

 

こうした考えは差別ではありません

 当然、または、必然のことです。

 

**************

気遣い、力を必要とする作業、能力を必要とする作業、

などを、

男女が平等になるように数値化し、

それを賃金に反映させるべきなのです。

 

+++++++++++++

別の例えでは、

兵士の場合

 圧倒的に男性が適しています

 体力、判断、勇気、力、極度の厳しい状況などに於いて、

  男性の方が優位です。

 

 戦闘状態にある最前線における指揮に関しても男性が適しています。

 

+++++++++++++

女性が適しているのは、

主に精神的な事柄です。

 メンタルヘルスケア、看護師、保育園、幼稚園、小学校の教師、

 子供や家族の世話、

 

あるいは企業内では、

 力を余り使わない事務仕事や

 社員の世話、子供を持つ社員の子供の世話、受付、

 社員の福祉、

 男性の精神的サポート、医療のサポート、

 などが適しているでしょう。

 

+++++++++++++

これらの男女の身体的、能力的な格差

どのように評価し、

 それを賃金にどのように反映していくべきかが「議論」されるべきで、

 

現在、

 国や連合などが主張する、

 「同一労働、同一賃金」という、

  同じ仕事なら賃金は同じでなければならないというのは、

 偏った見方、あるいは、歪な考えです。

 

勿論、

 中には男性より能力を発揮する女性もいると思います。

 そういう女性には男性と同等かそれ以上の賃金を支払えば良いのです。

 

今の

男女の賃金格差の「議論」は間違っています

 

あなたはどう思いますか?

知恵を求める人のためのブログです。

野菜は、

 植える時期、成長時期、実を付け大きくする時期、収穫時期、食べる時期

などがあります。

 

畑を実際にやってみて分かったことです。

 

今までは、

頭だけで何となく分かっていたつもりだったのです。

 

例えば、

大豆を植える時を考えて見ますと、

5月に植えた場合、

7月に植えた場合、

8月に植えた場合、

同じ豆でも植える時期により成長が異なるのです。

 

これは、

気温、日差しの強さ、雨の量、などの違いだけではないのです。

 

植物も、

もっとも適切な時期というものがあり、

それがずれると、

 茎が成長しなかったり実を余り付けなかったり、

 実を付けても小さかったり、

など違いが生じるのです。

 

農家の人は、

殆どは、季節で植えるので、

 毎年、大差ない収穫を得ることが出来ているのです。

 

****************

人間には、植える時期というものがありませんが、

 

親の年齢に、

 子供を産み育てるのに、

 適正な年齢というものがあるように思います。

 

出産は25歳までが最も良いとされています。

 

男性でも適正な年齢というものがあると思います。

女性と同じ位が良いのではないかと思います。

(男性の場合、女性のような閉経というものがありませんので、

 70歳でも子供が出来た例があります)

 

しかし、

この年代の男女の生活力はまだ低い上に、

 経験も少なく、

 子供を育てることには「困難」が伴うものです。

 

肉体的には適していても

生活環境適していないことが多いということです。

 

**************

では、どうするのが良いかと言いますと、

子供は祖父母に育てて貰うのがベストなのです。

 

祖父母は経験もあり、

孫(子供)を育てるのに適しているのです。

大抵、生活に余力があるものです。

 

こうした家庭で育った子供の多くは、

 順調に良く育つ場合が多いのです。

 

精神的なことも、

 祖父母に育てられた方が素直で良い子に育つことが多いものです。

 

勿論、ニュースにあったように、

 そうでない子もいます。 

 

こうした年齢、時期、環境が「ずれる」と、

植物のように、

 正常に、十分成長出来ないということが「有り得ます

 

****************

ですが、

こういうことが分かっても、

この通りにやれるかどうかは「難しい」かも知れません。

 

特に、現代は、生活や自分のやりたいことのために、

晩婚が多いからです。

 

田舎ですと、

仕事がなく結婚出来ないということも多いようです。

 

また、農家には中々来てくれる人がいないこともあります。

 

**************

このように、

 肉体と精神と環境のバランスを取ることは「必須」であっても、

 その実現は、

 少なくとも3世代が一致協力しないと不可能」なのです。

 

子供のため、子孫のために

今から、上記のような環境作りに「努力」してみるのはどうですか?

 

**************

追記

1 子供の情緒不安定は、

  親が情緒不安定であることと、

  社会環境、特に、テレビ、スマホなどの影響が大きいのです。

2 障害がある子供が産まれたり、

  ガンや心臓疾患や脳疾患などの病気に罹るのは、

  安全とされ、様々な食品や特に洗剤などに入っている、

 「化学物質」が原因だと「昔から」言われています。

  親自身が長年に渉って摂取して来たからです。

 

  これらの化学物質は、

  ○○%以下なら安全だとされてはいますが、

  安全ではなかったのです。

  残念なことに、

  日本医師会などがこれを「認めて来なかった」のです。

  現在も。

 (厚労省の安全基準は「間違っていたのです)

 

  もしかすると、

  福島の「処理水」の海洋放出も、

  基準値を下回り無害とされていますが、何らかの影響があるかも知れません

 

この2点も、十分考慮に入れないと、

 心身ともに健康な子供を産み育てることは出来ません

 

**************

便利で豊かな社会を追い求めて来た結果です。

 

人間の「愚かさ」が露呈しているのです。

 

特に、政治の責任が「もっとも重い」のです。

知恵を求める人のためのブログです。

能力に於いて人間は2種類に分類されると考えられます。

 

例えば、

 パソコンが世に出る前、

 簡単な処理が出来る「チップ(IC)」が登場しました。

 そのチップを用いて、

  単純なことをさせる回路(キット)が世の中に出始めました。

 

 そのチップ(IC)自体、当時としては「すごい」ことだったのですが、

 出来ることは、

  単純で「あまり人の関心」を引くものではありませんでした。

 

 しかし、

 ある人は、

 そのチップに「可能性」を見出し「研究し、新しいものを開発」し、

 ランプを点滅させたり、数字で表したりすること以上のことが出来るように工夫し

 ました。

 

 そうしたものが世に出る度に「多くの人は、すごい」と感心したものです。

 

 こうしたことが、

 次から次へと開発され進歩し、

 今のパソコンやスマホやタブレット、更にはスーパーコンピュータが出来、

 また、

 様々な分野での活用が可能となり、

 いわゆるAIによる学習効果で「人間の能力を超えること」が出来るまでになりまし

 た。

 

初めのころのチップとその回路を見て、

なんだ、こんなものか。使い物にならないな」と考えた人と、

これで○○が出来る」と考えた人がいたことは事実です。

 

最初に述べた知能における2種類の人間とはこのことです。

 

発展した社会の「良し悪し」は別として、

世の中は後者の人間によって発展して来たのです。

 

いわゆる平凡な人間と非凡な人間の違いと言えます。

 

こうして考えて見ると、

人類の発展は、

 こうした非凡な人たちの「アイデアの結晶」とも言えます。

 

聖書を読むことの価値。

****************

ギリシャ語聖書27(いわゆる、新約聖書)についての「概要」の掲載は完了しました。

 

この中で示した「要約」に関しては、

 後日、修正を加えるかも知れません

 

皆さんも、考えて見て下さい

(ただし、コメントの必要はありません)

 

いずれにしろ、

この概要に沿って、

 日々読むなら、

 無理なく「通読」出来ます

 

およそ、半年で一通り読むことが出来ます

 

ネットから「無料で聖書」が手に入りますから、

是非、一度は読んで見て下さい

 

基本的には「どの聖書」でも問題はありません。

ただし、

特定の概念を加味した翻訳聖書もありますので、

それは「お勧めしません

 

それでも、

大筋は「皆、同じ内容」です。

 

ものみの塔による、

1985年版の「参照資料付き聖書」(大判)もしくは「聖書 新世界訳」を勧めます。

こちらは「無償」で手に入ります。

ネット上か、もしくは、エホバの証人に「欲しい」と言えば、

大抵は貰えます

ただし、

その後「再訪問」を何度も受けることになるかも知れません。

その時は、

まず自分で読みたいと申し出れば問題はありません。

 

日本聖書協会による1980年版の「舊(きゅう)新訳聖書」でも良いです。

ですが、この聖書は文語訳なので少し読みずらいです。

こちらは「無料」ではありません

 

ヘブライ語聖書39冊(旧約聖書)に関しましては、

 内容が多岐にわたり、

 通読も理解も「かなりの時間」が掛かるため、

 今の所、概要の公表予定はしていません

 

後日、時間が出来たら

今回と同様に公表したいと思います。

 

今生きている私たちに必要なのは

主にギリシャ語聖書による

キリストに付いての音信」と

イエス・キリストに任命されたパウロ、ペテロ、ヨハネおよびヤコブ、ユダによる助言」と

ルカによる使徒たちの活動の記録」と

ヨハネへの啓示」です。

 

ヘブライ語聖書の内容は、

主にギリシャ語聖書の「裏付け」として「参照」する程度にすることを「勧めます

 

そうしないと、

聖書全体を覚えることも理解することも「困難」になってしまうからです。 

 

****************

知恵を求める人のためのブログです。

今が一番「良い」と思える瞬間は、

 年金暮らしで生活苦がない状況にある時です。

 

つまり、

働かなくても生活が出来る状態です。

殆ど自由に生きられるからです。

 

ただし、健康であればの話ですが。

 

すべての人

こうした、

 生活苦のない自由な生活、生き方を求めていると思います。

 

中には、

 宗教のように、

 将来に、あるいは、死んでからの「実現」に期待をかけている人もいます。

 

**************

もしベーシックインカムが実現したとすれば

どういう国、社会になるのでしょうか?

 

本当に人間らしい生活が出来るのでしょうか

 

どの国でも、

 ベーシックインカムは可能です。

 

以下は、もしベーシックインカムが実現したとすれば

社会がどのように変わるかを考えて見ました。

 

あくまでも、考えです。

*************

ベーシックインカムが実現したとしても

当然のこととして、

 働く人も必要であることは明白です。

 

生活に必要な殆どのものは、

誰かによって「提供」されたものだからです。

 

 食物、

 電気、

 ガス、

 水道、

 衣類、

 ガソリン、軽油、灯油、

 様々な道具、資材、

 更には、

 道路や橋の建設や整備、

 ビルや住宅などの建設、

 病院、医療機器、薬(製薬を含む)、

 などなど。

 

全員ベーシックインカムだけで生活したら

 物を作ったり運んだり犯罪を取り締まったり政治を行ったり役所の業務をしたり飲

 食店を開いたり、

 など、

 生活に必要なことが「出来ない」、ものが「全く手に入らない」ことになってしま

 います。

 

 電気が来なかったりガソリンがなかったり電車やバスが運行しなかったり、

 自動車やバイクや自転車などがなければ、

 すれば、

 歩く以外、

 何処にも行けなくなってしまいます。

 

 娯楽施設もなくなり人々の楽しみも無くなってしまいます。

 

ですから、

 ベーシックインカムで生活が出来るようになったとしても、

 誰かが何らか仕事をしなければならないということは明白です。

 

*************

これは可能でしょうか?

 

中には働きたくないという人もいるかも知れません。

 

ですが、そういう人がいると

 社会が成り立たなくなり「思うような生活」は出来なくなるのです。

 

ですから、

 働かないということは「出来ない」ということです。

 

健康であれば、

 皆働く必要があるということです。

 

自給自足でも良いですが、

 自分の土地や畑を持っていない人は出来ません。

 

政府は、

 ベーシックインカムを実現としたとしても、

 国民が、安定した生活が出来るように、

  労働、生産、流通、消費、などの仕組みと、

  あらゆる設備を整備する

 必要があります。

 

 当然、

 自治体などの役所や

 司法や警察や軍隊(外国からの侵略に備えて)も必要となります。

 

国民のすべては

 健康である限り、

 これらのどれかの仕事に従事することになるのです。

 

**************

国民の一人ひとりが、

 どのように適した仕事に従事するか、

 各人の希望や資格に付いても考慮する必要があります。

 

ベーシックインカムで「既に生活するために必要なお金」は与えられている訳ですから、

仕事」は、

 生活のためではなくなります

 

企業も生産と流通を維持出来るサイクルが可能であれば良いのです。

設備等は「国の計画」で実施するので、

 国の計画に基づいた計画すれば良いだけです。

 従業員に給与を支払う必要もないです。

 

病院も学校も、すべて「無料」です。

 

公共交通機関も「無料」です。

 

いわば、

完全な「共産主義国家」あるいは「社会主義国家のような仕組みとなるということです。

 

こうした仕組みに近い国は、

 スウェーデンかも知れません。

 

**************

お金は

 食費、光熱費、衣料費、外食、旅費(ただし、電車やバスは無料)、

 自家用自動車とガソリン代など、

 その他趣味など、

だけにしか遣いません。

 

ベーシックインカムと言っても、

家族構成によって、

世帯の全収入は異なります

 

例えば、

夫婦二人だと20万円、

夫婦と子供一人だと25万円、

というようにするということです。

 

家賃は、

基本的には「アパート」の場合、「無料」とします。

アパート」は

 国の公共施設とするからです。

 

**************

仕事は、

基本的に、

能力に応じて

 国もしくは自治体が決めることにします。

 

その他、希望や資格取得に応じて決めます。

 

残業なし、土日は休み。

 

子供の養育は、

保育園から皆同じカリキュラムとし、

学校の給食も無料とします。

 

ですから、

夫婦の子供の世話は3歳までとし、

その後は健康であれば「仕事」に復帰することになります。

 

**************

お金を貯めて、

 個人の家を持つことも可能とします。

 

休日を利用し、

 何らかの方法で「収入」を得ることも可能とします。

 

例えば、

 個人の畑で収穫した作物を「売る」ことを可能にするということです。

 本を出版して「収入」を得ることも可能とします。

 

 出版事業も国の事業の一つとしますが、

 いわゆる「印税」(1%程度とします)は著者自身のものとするということです。

 

 参考:

  現在の印税は定価の5-10%と言われています

 

休日には、

家族で旅行したり、

レクレーションをしたり、

家でゆっくりくつろいだり、

などなど、

自由に活動出来ます。

 

団体やサークル活動も、

 届け出れば「可能」とします。

 

**************

物事を決定する、

国や自治体の機関は、

 話し合いと決定の場、市民の意見の公聴の場とします。

 

憲法と施行令と他の法律に基いて、

 司法と行政を実施します。

が、

 法律を加えたり訂正したり削除することも「可能」とします。

 

原則として、

 個人だけによる「決定」を「不可」とします。

 

これらの機関で働く人も、

 国が適材適所、能力や資格などで決定します。

 

 選挙では決めません

 勿論、

  報酬もありません

 

これらの機関で働く人も、

畑で農作物を作る人も、

 同じ基準でお金が付与されます(ベーシックインカム)

 

つまり、

仕事の内容や立場によって、付与されるお金が異なるということはないのです。

 

労働基準となる法律は、

 誠心誠意、自分の能力を最大限発揮するように努めることとします。

 

仕事上の「意見の対立」は、

 話し合いで決定します。

 全会一致を原則とします。

もし、

 それでも決定出来ない時は、

 そのことを中止」にするか、

 上位の決定機関に委ねることにします。 

 

**************

もし、こうなれば

社会も人生も「全く変わります」

 

おそらく、

 競争というものが「殆どなくなる」ということです。

 

仕事以外は「自由」です。

 

生活の心配をしなくても良いのです。

 

人間らしい生き方が出来ると思いませんか

 

ヨハネへの啓示(概要)

  イエスが幻によりヨハネに示したもの(ほどなくして必ず起こる事柄)

  (ほどなくして起こることについて、既にいくつかは現実になっている。

   しかし、その期間については人間の感覚ではかなり長いと考えられる。

   実際、その多くはまだ途上にある)

    

  パトモス島 AD96

内容 

  序文(1:1-1:9

  七つの会衆に対する音信(1:10-3:22

  エホバの神聖さと栄光に関する幻(4:1-5:14

  子羊が巻き物の六つの封印を開く(6:1-7:17

  第七の封印が開かれる(8:1-12:17

  海から上る野獣(13:1-13:18

  永遠の福音、とこれに関連した音信(14:1-14:20

  最後の七つの災厄を携えたみ使いたち(15:1-16:21

  大いなるバビロンに対する神の裁き:子羊の結婚(17:1-19:10)

  子羊は義の戦いを行なう(19:11-20:10

  裁きの日と新しいエルサレムの栄光(20:11-22:5

  結びの言葉(22:6-22:21

**********************

これが、聖書の最後の書です。

 

関心のある人は、

 「マタイによる書」から初めて、

 この書までの「各書」毎に、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

**********************

知恵を求める人のためのブログです。

人間は、

 言葉によりいろんなことを「想像」出来ますが、

 映像は、

  その場にいなくてもリアルを見ることが出来ます。

 

諺に「百聞は一見に如かず」というのがありますが、

正に、的を射た言葉です。

 

テレビやネットの普及により、

 いつでもどこでも映像を見ることが出来ます。

 しかも

 動画で。

 これ程リアルなことがあるでしょうか。

 

映像技術の進歩(通信技術の進歩)により、

 ヒマラヤ山脈のエベレストの山頂からの景色、

 自然豊かな渓谷や渓流、

 深海の映像、

 あるいは、

 ある地点の現在の映像、

 更には、

 宇宙からの地球を見た映像、

 月の表面の映像、

 太陽のコロナや表面の映像、

 水星、金星、火星、土星などの外観と地表の映像、

などをリアルに見ることが可能となっています。

 

今や、太陽系で知られていないものがない位、

人類は多くのことを見聞き出来ています。

 

更に遠く離れた銀河さえ「映像」で見ることが出来ています。

 

人間の探究心には限界がないようにさえ思えます。

 

**************

グーグル地図を利用しますと、

行ったことがない場所でも、

 映像で確認出来、

実際に、行った時迷わずに済んでいます。

 

更には、

ドライブレコーダーでは、

車上荒らしや事故の瞬間の映像を記録出来ます。

 

警察による事故調査での、

加害者と被害者の責任割合についての証拠となっています。

 

あるいは、

高速道路の「スピード違反」も無人での取り締まりを可能としています。

 

医療の分野では、

レントゲン、内視鏡、MRI CT、エコーなどで、

最新のものでは「カプセル」状の撮影機器を飲み消化器官の内側を直接観察し、

腫瘍やがんなどの早期発見に用いられています。

 

学校の校内や教室にさえ防犯カメラが設置しているところもあるようです。

パソコンには「撮影機能」が付いていますから、いつでも、撮影することが可能です。

 

*************

良い点だけではなく悪いことも見ることが出来ます。

 

今や、

町中に監視カメラが設置されており、

車載カメラは今や当然で、

会社内でも受付や事務室などに設置されているところがあります。

コンビニ、銀行、ATM、スーパー、デパートなどにも設置されています。

最近では電車内にも設置されています。

 

しかも、

事件の時の証拠にもなるのです。

 

それ程、今の時代、

 誰が何をするか分からないので、

 特に悪事に関して「警戒」「監視」しているのです。

 

以前から、

トイレや更衣室などでの「盗撮」が「横行」していると聞いています。

 

盗聴」に至っては、

今やどこでもやっていると思われます。

 

個人の住宅、会議室、車内、などなど。

 

************

何でも知りたがること、

何でも見たがること、

などは

科学技術の発達に伴って、

ある程度「可能」となって来ました。

 

そこに、

 人間の傲慢さが生まれないでしょうか。

 

そして、

 それらの情報に基づいて、

 誹謗中傷をしたり、

 批判したり、

 することが実際に行われている現実があります。

 

中には「盗撮映像」をネットで販売して「荒稼ぎ」をして逮捕されたというニュースは良く聞くことです。

 

こうしたことは、

 非常に「怖い」ことです。

 

自分の気が付かないところで

いわば、撮影され監視されているからです。

 

*************

科学技術の発展は、

 人間には「不可能はない」と思わせてはいないでしょうか。

 

勿論、

人間には「何が不可能」かは分かっています。

 

しかし、

知りたがることは、

時には、

 個人のプライバシーの侵害になっていることも少なくありません。

 

この点、

戦後遠慮がないというか品がないというか気遣いがないという状態が、

常態化し、

 多くの人を傷つけています

 

そして、無分別な人は「些細なこと」を取り上げ「批判」「中傷」するのです。

 

*************

現代の技術は。

 便利で効果的な面だけではなく、

 それを犯罪に利用する人も少なくありません。

 

現代技術何て「いらない」と思う人さえいると思います。

 

私も現代技術の多くを利用していますが、

「無くても」良いと考えています。

 

不便ですが、その方が犯罪に利用されないからです。

 

皆さんは便利で近代的な生活の方が良いですか?

それとも、

不便ですが、

 自然豊かな田舎暮らしが良いですか?

 

前者は、

 自分を社会に合わせた生き方をする人で、

後者は、

 自分中心の生き方をする人です。

 

あなたはどちらですか?