知恵を求める人のためのブログです。
人は、
自分の犯罪や悪事を「塗り消す」ことは出来ません。
良くあることは、
悪事を働いてから、
反省しますと言って信用を回復しようとすることです。
また、
刑に服し、それを終わると、
「罪は消された」と「世間では言います」
本当にそうでしょうか?
人々は「いつまでも、その人の罪を覚えている」のではありませんか?
ですから、
一度失った信頼は取り戻すことは「不可能」なのです。
その人の「罪が問われなくなった」だけのことで、
その悪事は塗り消せないのです。
人々の記憶には、
いつまでも留まっているのです。
加えて、
自分自身は罪を犯したことを「生涯忘れることはありません」
したがって、
犯罪や悪事を働くと、
「高くつく」のです。
少しの物やお金のために「悪事」を働くことは「割に合わない」ものです。
また、
いじめやパワハラ、セクハラなども、
自他共に「いつまでも、悪い記憶として残る」のです。
一度信用を失った有名人、
政治家、スポーツ選手、芸能人など「広く世間に知られた人」の「悪事」は、
多くの人の記憶に「いつまでも」残るのです。
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人の悪事が記憶に残るとどうなるのでしょうか。
1 信頼、信用を失う
2 その人を常に疑ったり、警戒する
3 周囲の人は距離を置くようになる
4 仕事を失う
5 再就職が困難になる
6 生活が息苦しいものになるか困難になる
など、
つまり、
周囲の人々との人間関係がぎこちないものになり、
本人もそれを気にするようになるのです。
本人も、
以前とは異なる「異様な雰囲気」を敏感に感じ取るものです。
そして、
可能なら、
そうした環境から逃れたいと思い、
自分を知らない「ところ」に逃避しようとするものです。
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このように、
犯罪や悪事を働くと、
人生を「生きにくい」ものに、自らしてしまうのです。
場合によっては、
就職すら困難になってしまいます。
人目につく仕事をしたくないとさえ思うものです。
そうなると、
誰かが世話をしてくれなければ「生きてはいけません」
幸いなことに、
すべての人が「その人」を知っている訳ではありませんから、
「何処かで生きて行くことは出来ます」
しかし、
犯罪や悪事を働いた「記憶」は、
自分からは「決して離れない」ものです。
ですから、
極端な話、
人間として「社会性を失ってしまう」のです。
もはや、
心から満足の行く人生を送ることは出来なくなってしまうのです。
犯罪や悪事を行うことは「割に合わない」のです。
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例えば、
プーチンは、
大統領でなくなれば、
一市民としては「生きて行けません」
何処か「人に知られない場所で、隠遁生活」をしなければ「生きてはいけない」の
です。
ロシア国民ですら、
一市民となったプーチンを「殺そうとする」かも知れないからです。
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犯罪、悪事は、
自他ともに「傷付ける」のです。
犯罪、悪事は「凶器」と同じなのです。
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聖書の中では、
(悪事に関して、盗みを例として)
「飢えているときに自分の魂を満たそうとして盗みを働いたというだけの理由で,
人々は盗人をさげすみはしない。
それでも,見つけられると,彼はそれを七倍にして償い,自分の家のすべての貴重
なものを与えることになる」-箴言6:30
と記されています。
盗みを働く理由があったとしても、
「割に合わない」ものであることを示しています。
聖書の中でイエスは、
「盗み」は「人(自分)を汚すもの」と述べています。-マタイ15:19
ペテロの助言は次のようになっています。
「しかしながら,あなた方のうちのだれも,殺人者,盗人,悪行者,あるいは他人の事に干
渉する者として苦しみに遭ってはなりません。
しかし,クリスチャンとして[苦しみに遭うの]であれば,その人は恥じることはあり
ません。
むしろその名によって神の栄光をたたえてゆきなさい。
[今]は,裁きが神の家から始まる定めの時だからです。
さて,それがまずわたしたちから始まるのであれば,神の良いたよりに従順でない者
たちの終わりはどうなるでしょうか。
「そして義人がかろうじて救われてゆくのであれば,不敬虔な者や罪人はどこに出
て来るだろうか」-ペテロ(一)4:15-18
パウロの助言は次のようになっています。
「そして,ちょうど彼らが正確な知識をもって神を奉ずることをよしとはしなかった
ように,神も彼らを非とされた精神状態に渡して,不適当な事柄を行なうにまかされ
ました。
彼らがあらゆる不義・邪悪・強欲・悪に満たされ,ねたみ・殺人・闘争・欺まん・悪念に満
ち,ささやく者,
陰口をきく者,神を憎む者で,不遜,ごう慢,またうぬぼれが強く,有害な事柄を考え出
す者,親に不従順な者であり,
理解力がなく,合意したことに不誠実で,自然の情愛を持たず,憐れみのない者であっ
たからです。
こうした事を習わしにする者は死に価するという,神の義なる定めを十分に知りな
がら,彼らはそれを行ないつづけるだけでなく,それを習わしにする者たちに同意を
与えてもいるのです。
「それゆえ,人よ,あなたがだれであるにしても,[ほかの者を]裁くなら,言い訳はでき
ません。
他の人を裁くその事柄において,あなたは自らを罪に定めているからです。
それは,裁くあなたが同じことを行なっているからです。
それでもわたしたちは,神の裁きは真実に即し,こうした事柄を習わしにする者たち
を非とするものであることを知っています。
しかし,人よ,あなたは,こうした事柄を習わしにする者たちを裁き,同時に自分がそ
れを行なっていても,自分のほうは神の裁きを免れられる,というような考えを抱い
てでもいるのですか。
それとも,神の温情があなたを悔い改めに導こうとしていることを知らないために,
その親切と堪忍と辛抱強さとの富を侮るのですか。
しかしあなたは,自分のかたくなさと悔い改めのない心によって,憤りの日,また神の
義の裁きが表わし示される[日]における憤りを,自らのために蓄えているのです」
ローマ1:28-2:5
(参考
このパウロの助言は、
ものみの塔の「長老たち」に当てはまります)
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参考
動物は、
自分に悪さをした人や
自分を攻撃する動物を「決して忘れない」ものです。
非常に「警戒心」が強くなってしまうものです。
特に、
猫や犬など「人間に飼われる動物」は、
餌を与え優しくしてあげないと、
近寄って来ることは殆どありません。
ただ、
犬は「飼い主の性格、心の内」を良く反映するものです。
飼い主が「怒りっぽい」人だと、
その人に飼われている犬も、
見知らぬ人には「良く吠えます」
猫は犬のようなことはありません。
ただ、優しくし餌をあげれば良いのです。
猫が悪いことをしても「叱ってはならない」のです。