ユダの手紙(概要)

  ユダからクリスチャンへの手紙(滅びのために留め置かれている者たちについて)

  パレスチナ AD65

内容

  淫行、および主たる者の地位を無視することに対する警告(1-16

  神の愛のうちにとどまることに関する助言(17-25

**********************

関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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知恵を求める人のためのブログです。

人は、

 自分の犯罪や悪事を「塗り消す」ことは出来ません。

 

良くあることは、

 悪事を働いてから、

 反省しますと言って信用を回復しようとすることです。

 

また、

 刑に服し、それを終わると、

 「罪は消された」と「世間では言います

 

本当にそうでしょうか

 

人々は「いつまでも、その人の罪を覚えている」のではありませんか?

 

ですから、

 一度失った信頼は取り戻すことは「不可能」なのです。

 その人の「罪が問われなくなった」だけのことで、

 その悪事は塗り消せないのです。

 

 人々の記憶には、

  いつまでも留まっているのです。

 

加えて、

 自分自身は罪を犯したことを「生涯忘れることはありません

 

したがって、

 犯罪や悪事を働くと、

 「高くつく」のです。

 

少しの物やお金のために「悪事」を働くことは「割に合わない」ものです。

また、

いじめやパワハラ、セクハラなども、

自他共に「いつまでも、悪い記憶として残る」のです。

 

一度信用を失った有名人

 政治家、スポーツ選手、芸能人など「広く世間に知られた人」の「悪事」は、

 多くの人記憶「いつまでも」残るのです。

 

**************

人の悪事が記憶に残るとどうなるのでしょうか

1 信頼、信用を失う

2 その人を常に疑ったり、警戒する

3 周囲の人は距離を置くようになる

4 仕事を失う

5 再就職が困難になる

6 生活が息苦しいものになるか困難になる

など、

 

つまり、

周囲の人々との人間関係がぎこちないものになり、

本人もそれを気にするようになるのです。

 

本人も、

以前とは異なる「異様な雰囲気」を敏感に感じ取るものです。

 

そして、

可能なら、

そうした環境から逃れたいと思い、

自分を知らない「ところ」に逃避しようとするものです。

 

**************

このように、

犯罪や悪事を働くと、

人生を「生きにくい」ものに、自らしてしまうのです。

 

場合によっては、

 就職すら困難になってしまいます。

 人目につく仕事をしたくないとさえ思うものです。

 

そうなると、

 誰かが世話をしてくれなければ「生きてはいけません

 

幸いなことに、

すべての人が「その人」を知っている訳ではありませんから、

何処かで生きて行くことは出来ます

 

しかし、

犯罪や悪事を働いた「記憶」は、

自分からは「決して離れない」ものです。

 

ですから、

極端な話、

人間として「社会性を失ってしまう」のです。

 

もはや、

心から満足の行く人生を送ることは出来なくなってしまうのです。

 

犯罪や悪事を行うことは「割に合わない」のです。

 

**************

例えば、

プーチンは、

大統領でなくなれば、

 一市民としては「生きて行けません」

 何処か「人に知られない場所で、隠遁生活」をしなければ「生きてはいけない」の

 です。

 

ロシア国民ですら、

一市民となったプーチンを「殺そうとする」かも知れないからです。

 

**************

犯罪、悪事は、

自他ともに「傷付ける」のです。

 

犯罪、悪事は「凶器」と同じなのです。

 

**************

聖書の中では、

 (悪事に関して、盗みをとして)

 「飢えているときに自分の魂を満たそうとして盗みを働いたというだけの理由で,

  人々は盗人をさげすみはしない。

  それでも,見つけられると,彼はそれを七倍にして償い,自分の家のすべての貴重

  なものを与えることになる」-箴言6:30

と記されています。

 

盗みを働く理由があったとしても、

割に合わない」ものであることを示しています。

 

聖書の中でイエスは、

盗み」は「人(自分)を汚すもの」と述べています。-マタイ15:19

 

ペテロの助言は次のようになっています。

「しかしながら,あなた方のうちのだれも,殺人者,盗人,悪行者,あるいは他人の事に干

 渉する者として苦しみに遭ってはなりません

 しかし,クリスチャンとして[苦しみに遭うの]であれば,その人は恥じることはあり

 ません。

 むしろその名によっての栄光をたたえてゆきなさい。

 [今]は,裁きがの家から始まる定めの時だからです。

 さて,それがまずわたしたちから始まるのであれば,の良いたよりに従順でない者

 たちの終わりはどうなるでしょうか。

 「そして義人がかろうじて救われてゆくのであれば,不敬虔な者や罪人はどこに出

 て来るだろうか」-ペテロ(一)4:15-18

 

パウロの助言は次のようになっています。

「そして,ちょうど彼らが正確な知識をもってを奉ずることをよしとはしなかった

 ように,も彼らを非とされた精神状態に渡して,不適当な事柄を行なうにまかされ

 ました

 

 彼らがあらゆる不義・邪悪・強欲・悪に満たされ,ねたみ・殺人・闘争・欺まん・悪念に満

 ち,ささやく者,

  陰口をきく者,を憎む者で,不遜,ごう慢,またうぬぼれが強く,有害な事柄を考え出

 す者,親に不従順な者であり,

 理解力がなく,合意したことに不誠実で,自然の情愛を持たず,憐れみのない者であっ

 たからです。

 

 こうした事を習わしにする者は死に価するという,の義なる定めを十分に知りな

 がら,彼らはそれを行ないつづけるだけでなく,それを習わしにする者たち同意

 与えてもいるのです。

 

「それゆえ,人よ,あなたがだれであるにしても,[ほかの者を]裁くなら,言い訳はでき

 ません。

 他の人を裁くその事柄において,あなたは自らを罪に定めているからです。

 それは,裁くあなたが同じことを行なっているからです

 それでもわたしたちは,の裁きは真実に即し,こうした事柄を習わしにする者たち

 を非とするものであることを知っています。

 

 しかし,人よ,あなたは,こうした事柄を習わしにする者たちを裁き,同時に自分がそ

 れを行なっていても,自分のほうはの裁きを免れられる,というような考えを抱い

 てでもいるのですか

 それとも,の温情があなたを悔い改めに導こうとしていることを知らないために,

 その親切と堪忍と辛抱強さとの富を侮るのですか

 

 しかしあなたは,自分のかたくなさと悔い改めのない心によって,憤りの日,また

 義の裁きが表わし示される[日]における憤りを,自らのために蓄えているのです」

ローマ1:28-2:5

(参考

 このパウロの助言は、

 ものみの塔の「長老たち」に当てはまります)

 

**************

参考

 

動物は、

 自分に悪さをした人

 自分を攻撃する動物を「決して忘れない」ものです。

 非常に「警戒心」が強くなってしまうものです。

 

 特に、

 猫や犬など「人間に飼われる動物」は、

 餌を与え優しくしてあげないと、

  近寄って来ることは殆どありません。

 

ただ、

 犬は「飼い主の性格、心の内」を良く反映するものです。

 

 飼い主が「怒りっぽい」人だと、

 その人に飼われている犬も、

  見知らぬ人には「良く吠えます

 

 猫は犬のようなことはありません。

 ただ、優しくし餌をあげれば良いのです。

 猫が悪いことをしても「叱ってはならない」のです。

 

 

ヨハネの第三の手紙(概要)

  ヨハネからガイオへの手紙(善を行う者は神から出ている)

  エフェソス AD98

内容

  使徒は人を暖かく迎えてもてなす精神と良い業を勧める(1-14

 

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

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知恵を求める人のためのブログです。

人は誰でも「善い点と悪い点」を持っています。

 

「善い点」が目立ち「悪い点」が隠されている人は、

 周囲の人から「良く思われる」もので、

善人」と言われるかも知れません。

 

一方、

「悪い点」が目立ち「善い点」が隠されている人は、

 周囲の人から「悪く思われる」ので、

悪人」を言われるかも知れません。

 

人間が誰でも

 こうした一面を持っているものです。

 

如何に「善人」ぶっても必ず何処かに欠点を持っているものです。

 

完璧な人間は存在しないことは誰でも知っていることです。

 

つまり、

その人の行い「周囲に良く見えるか否か」で善人悪人が決められてしまうということです。

 

例えば、

 野球のスーパースターが、

  たった一度犯罪」を犯すと、

 世間の人は皆そのスーパースターを「悪人」と見なします。

 

 有名な俳優が「覚醒剤」に手を染めると、

 どんなに有名でも「悪人」扱いをします。

 

世間では良く、

 信頼を築くことは「時間も掛かり」大変で、

 信用、信頼を失うことは「一瞬」だと言います。

 

正に、現実はこの通りです。

 

中には、一生かけて築き上げて来たものを「一瞬」で失うこともあります。

 

人が如何に「善悪」に関して「敏感」であるかを示しています

 

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誰でも、

 人は良いことを望み悪いことは望まないのです。

 

これは、

人間の本質です。

 

動物には「善悪」はありません

 

動物は誰かのものを取っても、誰かを殺しても「罪悪感」などを感じません。

当然という顔をしているものです。

 

ライオンが他の動物を殺して食べても何も感じないのです。

 

ところが、

人間は誰かを殺すと、

 殺した本人は「罪悪感」が生じ、

 周囲の人は、殺した人を「悪人」と見ます。

 

あるいは、

 誰かに親切にすると本人は「気分が良く」なり、

 周囲の人は、その人を「善い人」と見る傾向にあります。

 

つまり、

善悪に関する「良心と感情」は、

 人間に善いことをするように、

 悪いことをしないように促すものとなっているということです。

 

人間は善悪に関して「分別」が求められているのです。

 

**************

初めは

人間も動物のように善悪」を考えない、感じないものでした。

しかし、

神のおきてに逆らうことで「」を犯した時、

善悪を知る点で私たちのようになった」と神は言われました。

 

こうして、

人間は自分の行いに責任を持たされるようになったのです。

 

**************

人間が善いことを善いと、悪いことは悪いと「認識」することで、

人間は分別を働かせる「機会」を与えられているのです。

 

**************

勿論、善悪は、

 集団や環境などによって異なる場合もあります

 

現代はグローバル化されていますので、

 世界中の人々は「同じ(思考)環境」にあると言えます。

 

例えば、

 プーチンはウクライナに侵攻したことを「悪いこと」だとは思っていませんが、

 世界中の多くの人は「悪いこと、酷いことをした」として思っています。

 

 ハマスも自分たちのしたことを「悪いこと」だとは思っていませんが、

 世界中の多くの人は「悪いこと、酷いことをした」と思っています。

 

同じことが、

 習近平金正恩タリバンISなどについても言えます。

 

ある意味、

世界は「二分されている」と言っても過言ではありません。

 

**************

参考

この強権的な指導者たちを

 「北の王

欧米など自由と民主主義を重んじる指導者たちを

 「南の王

と見なし、

彼らの王国を

ダニエルの預言に登場する王国「北の王国と南の王国」と見なせるかも知れません

 

預言では、

 共に滅びることになっています

「南北の王国」の押し合いは最後まで続くことになっています

-ダニエル書11:3-45

 

ヨハネの第二の手紙(概要)

  ヨハネからクリスチャンである夫人とその子供たちへの手紙(反キリストに対する注意喚起)

  エフェソス AD98

内容

  互いに愛し合い、背教者を退けなさい(1-13

 

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

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そうすれば、

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知恵を求める人のためのブログです。

忌野 清志郎という歌手について、

 

初めから、

 名前も、歌も聴きたくない歌と歌い方で、好きではありませんでした。

今でも、好きではありません

 

しかし、

彼の友人たちの、評価を聴くと、

 皆彼を良く言っています。

 

そうした評価を元に、

彼について少し考えて見ました。

 

*************

彼は、

 家族に対しても、友人に対しても、ステージでも、

 自分を曝け出した人だと思いました。

 

子供っほさだったり、聴いている人に本音をぶつけたり、相手を理解し受け入れたりする点で、

 子供であり、

 人生の達観者だったりする、

 

 普通の人なら自制してしないこともやって、

 本音を、

 聴いている人や身近な人にぶっつける

 

そういう人だったように思います。

 

聴衆も彼のパフォーマンスに同調し、ノリノリにさせてしまうような破天荒な人のような人だったようです。

(実際、たまたまテレビで彼のことを扱った番組がやっていて、彼の評価を聞いた

 時、少し興味を持って、見ただけですが)

 

***************

を見て感じたことは、

 

人生は、

 プレイヤーとして生きている時

 バイプレイヤーとして生きている時がある

ということでした。

 

目標に向かって、自己中心的に突き進んでいる時

傍観者として過ごしているような時

二種類に分けられるように感じました。

 

***************

(ここからは、彼のこととは関係ありません)

 

芸能人やスポーツ選手のように、

 世の中のすべてが、

  自分中心に回っているように「感じ」たり考えている人は、

 プレイヤーであり、

 

プレイヤーは、

 何かを成し遂げることに集中しているため、

 今の自分の姿がどう見えているか分からなかったり、

 (考えもしないこともあります。

  気にしないこともあります)

 また、

 問題や困難に遭遇した時に

 どうしたら良いか客観的に考えられなかったり

 することあります。

 

例えれば、

 ゲームに熱中している人のようです。

 

本人はゲームに熱中しているため、

 ゲーム以外のことは「頭にありません

 

***************

バイプレイヤーは、

 ゲームに熱中している人を、

 傍で見ている人のような人のことです。

 

常に、

 家族、友人、職場の人、周囲の人、

 芸能人、スポーツ選手、

 などを、

  遠目に見て

 客観的に他人を評価しているのです。

 

***************

プレイヤーは、

 何かを「する人」であり、

 成功もあれば失敗もあります

バイプレイヤーは、

 ただ、人のすることを「見ている人」であり、

 成功も失敗もありません

 

****************

人は、何かを成し遂げる時には、

 プレイヤーにならなければなりません。

一方、

 穏やかで失敗しない人生を望むなら

 バイプレイヤーにならなければなりません。

 

おそらく、

 プレイヤーは何かを成し遂げるかも知れませんが、

 比較的「短命」で、

 バイプレイヤーは何かを成し遂げることが殆どないかも知れませんが、

 比較的「長寿」になる

 と考えられます。

 

プレイヤー的な人は、

 一生懸命生きている分、

 エネルギーを早く使い果たしてしまうからかも知れません。

 

****************

昔は、

 太く短く生きるか、細く長く生きるかと言ったものです。

 前者がプレイヤーとしての生き方であり、

 後者がバイプレイヤーとしての生き方になるかも知れません。

 

世の中を「良い面でも悪い面でも騒がしている人々は、

 プレイヤーで、

 あることが多い」ものです。

 

****************

また、

思考の世界でも同様で、

自己中心的(主観的)な考え方、

 常に自分のことのように考える人

 自分のことしか考えられない人

は、プレイヤー的な人で、

 

常に客観的に考える人

 常に他人目線で考える人

は、バイプレイヤー的な人です。

 

**************

人間は、

 初めは自己中心的(主観的)な考え方をします。

 理由は、

  知識も経験もないからです。

 いろんな経験をしたり、いろんなことが分かって来ると

  客観的な考え方をするようになります。

 

こうしたことは、

 人間の成長の表れです。

 

****************

兎角、

 自己中心的な人は「他人から批判」されやすいものです。

 当然です、周囲のことを殆ど考えないからです。

 考えも独善的なことが多いからです。

 

プレイヤー的な人バイプレイヤー的な人の違いを最も分かり易くしているのが、

 選手プレイヤー)と審判(レフリー)です。

 審判は「気持ちや考えに於いてもバイプレイヤーに徹する必要があります。

 そうでなければ、

  公平な判定が出来ないからです。

 

**************

批評家バイプレイヤーですから、

 何かを生産するということはありません

 

思想家プレイヤーですから、

 思想、哲学、観念などを生み出します

 

アナウンサーやキャスターなどはプレイヤーですが、

そのニュースソースを取材する記者などは、

 活動に於いてプレイヤー(自己中心的)ですが、

 活動中の思考バイプレイヤー(客観的)という「特殊な仕事」です。

 

宗教に於いては、

 指導者バイプレイヤーで、

 信者プレイヤーです。

 

**************

あなたは、

 今、どちらの状態で活動していますか?

 

私は、

 畑の作業では、プレイヤーとして、

 ブログを書く時には、バイプレイヤーとして、

活動しています。

 

ですから、

 プレイヤーとしは「畑を中心に考え」

  ただ、作業中にいろんなことを考えることもあります。

 バイプレイヤーとしては、

  多種多様な考えをします。

 

こうした二種類の考え方に於いて「偏りがない」ことで、

 柔軟性、幅広い思考が可能となっています。

 

また、

大変な畑の作業も「続けられています

 

殆どの人は、

 精神的な病気を抱えている人以外

 こうした二種類の考え方をしているものです

 

ヨハネの第一の手紙(概要)

  ヨハネによる(クリスチャン)への手紙(神の子供と悪魔の子について)

  エフェソス AD98

内容

  闇ではなく、光の中を歩む(1:1-2:29

  神の子供は罪を習わしにしない(3:1-3:24

  神と結ばれて互いに愛し合う(4:1-5:21

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

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知恵を求める人のためのブログです。

人の能力のあるなしは、

 同じ情報を与えて、あるいは、同じことをさせて、

 その反応を見ることで分かる時あります。

 

例えば、

 余り良い例えではありませんが、

 軍隊の指揮官に敵のある情報が報告された時、

 有能な指揮官は、

  その情報に基づき適切な対応を直ぐに取るものです。

 一方、

 普通の指揮官は、

  その同じ情報を報告された時、その情報の重要性を見定めることが出来ず、

  対応が遅れ、味方に大きな損害を与えることがあるかも知れません。

 

人の能力の差異とは、

 このようなものです。

 

もっと分かり易い例は、

職人の反応です。

職人は、

 五感が鋭く、それらが何を示しているかが「感覚的に分かっている」のです。

一方、

普通の人は、

 同じ刺激を受けても、

  職人のようには思わない、あるいは、感じないのです。

 

人の能力の差異はこのようなものです。

こうしたことは、

誰でも知っていることです。

 

****************

人は言葉の内容に反応する生き物です。

 例えば、

 ニュースは聴く人すべてに同じ情報を与えます。

 その情報に対する反応は、

  人によって大きく異なるものです。

 

良い反応もあれば、

悪い反応もあります。

 

また、

スポーツなどの世界では、

 すべきことは分かっています。

 それを実行し結果を出せるか否かで、

  その人の価値、能力が評価されるものです。

 

しかし、

 自分の能力だけではなく

 コーチのアドバイス(知識や技術などの指導)や

 プレー以外のことをサポートしてくれる存在に依っても、

 結果は異なるものです。

 

****************

野球の野村克也は、

 自身の経験から、

 野球とはどういうスポーツかということを良く考えた人で、

 勿論、

 野村自身も三原脩や水原茂といった先輩たちから学んだことを加え、

 独自の野球観というものを生み出し、

 自らが監督となった時に、

  南海では上手く行きませんでしたが、

  阪神やヤクルトでは、

  それなりの結果を残しました。

 特に、

 ヤクルトでは、

  古田敦也や他の選手の能力を引き出し日本一になりました。

 

野村克也は、

 野球に関しては、

 選手以上に「真面目で、熱心な研究者」だったのです。

 

これは、

 十分知識と技術を身に付けた人が、

 その仕事を楽しむようなものです。

 

一方で、

 教えられ、その通りにやる努力をし、結果を出した選手たちは、

 野村の真似は出来ても

  野村と同じ考え、同じ指導は出来ないものです。

 

昔から、

 弟子は師のようにはなれても、師は越えられないと言われています。

 

師を超えるには

 師から独立し、

 師の教えを基にして、

  自らの考えを生み出し、結果を残す必要があります。

 

こうした点で成功したのは、

 川上哲治ただ一人ではないかと思います。

(川上に師と呼べる人がいたかどうかは分かりません。

 牧野という人に大リーグ特にドジャースの戦い方を学ばせ、

 そこから独自の戦法を考え出したことは有名です。

 そうした戦い方は、今日の野球に浸透しています)

 

野村克也はある程度の結果は残しましたが成功したかどうかは、

 その評価は分かれるところです。

 

野村克也は「勝つ野球」を目指したのです。

 

一方で、

野球の理想を追求した点では、

 上記の三原、水原の他には広岡達郎、森祇晶(もり まさあき、本名:森 昌彦)な

 どがいます。

 

これらの人たちは、

将棋の達人のような思考、考え方」をしています。

 

勝つことが目的なのですが、

形にも拘る」のです。

 

特に、

 広岡、森は徹底した(選手)管理野球を実践し、

 選手に試合だけではなくプライベートでも「自由」を許しませんでした。

 

 あたかも、

 チームを軍隊のような組織に作り上げたのです。

 

 そして、

 結果を残しました。

 

広岡や森の「野球理論」は有名です。

 

****************

野球を例に、

 指導者と選手と結について述べましたが、

 

指導者と言われる人は、

 皆、先輩の教えと経験から、

 自らの考えを築き上げて来た人です。

 

一方の選手はというと、

 これらの指導者を超える存在になった人を知りません

 

スポーツの指導者と選手の関係程、

 密接な関係を持つ環境は他には余りありません。

 

歌舞伎や能などの

 師と弟子の関係も密接な関係ですが、

 こちらの場合は、

 どちらかというと、

  自分自身との闘い、修練であり、修行のようなもです。

 

野球のように、

 他の人と戦う訳ではないからです。

 

指導者の能力は、

 いずれの場合も共通しているのは、

 師の教えを理解し、鍛錬し実行し結果を残し

 更に、

 自分の師から独立し、

 独自の考えを確立出来るか否かということで示されるものです。

 

これが軍隊であれば、

 直接、兵士の生死に関わるのです。

 

****************

話しの焦点が少しずれましたが、

 要は、

 聞いた情報をどのように考え、どのように対処するかで、

 人の能力の差異「はっきり」と目に見えるということです。

 

こうしたことは、

 家庭、学校、会社、友達、サークル、集団、団体など、

 何処でも皆「目にしている」ことです。

 

ところが、

 殆どの人は、

 人の能力の差異を、

 単なる能力の違いとしか見ていないことが多いものです。

 

実は、この能力の殆どは、

 生まれつきの天才を除き、

 知識と経験から培われたものなのです。

 

有能な人は、

 知識と経験から知り得たこと(理解したこと)を、

  熟考し努力することで身に付けたものが殆どです。

 

箴言1:5には次のように記されています。

賢い者聴いて,さらに多くの教訓を取り入れ,理解のある者巧みな指導を得る

 である」

 

ですから、

 自分には能力がないと思っている人も、

 努力次第で、

  能力は「向上」するのです。

 

例えば、

 幼い時から、

 昆虫や魚や地図や植物などに関心を持ち、

 それをずっと続けることで、

 普通の人を超越した人を、

  皆さんも聞いたことが多いと思います。

 

 これは、

 幼い時から「一つのことを継続して行う」と、

 皆天才のようになるというです。

 

こうしたことは、

誰でも経験していることでもあります。

例えば、

 スポーツで、

  練習することで上手くなったり強くなったりしています。

 学習も同じです。

  繰り返し学習することで、

  記憶も理解も深まり、

   それによって、

   思考も拡大することを。

 

****************

ちなみに、

 信仰に於いて「巧みな人」も「同じ」だと考えています。

 

 信仰に「能力の違い」というものが「あるのか」と思う人は多いと思います。

 例えば、

  より多くの信者を獲得する人、

  教理の説明に巧みな人、

  強固な信仰を実践する人、

 などは「能力」の違いです。

 -コリント(一)12:27-31、エフェソス4:11

 

 ヘブライ5:12では、

 「実際あなた方は,時間の点から見れば教える者となっているべきなのに,の神聖な 

 宣言の基礎的な事柄を,もう一度だれかに初めから教えてもらうことが必要です」

 と述べられている一方で、

 ヤコブ3:1では、

「わたしの兄弟たち,あなた方の多くが教える者となるべきではありません

 と述べられています。

 

 この二つは「矛盾」するのでしょうか?

 

 前者は「知識に於いて成長」すべきことを示しており、

 後者は「人を躓かせる」点に於いて注意すべきことを示しています。

 

 信者はすべて「知識に於いて成長」しなければなりません。

 その一方で、

 教理を誰かに話す時には

 「人を躓かせないように細心の注意を払わなくてはならない」のです。

 

同じ教理を信仰する人、すべては「同じ」ではないことは明白です。

 

信じる程度も違えば、理解の程度も、実践の程度も、

人によって「異なる」のです。

 

****************

しかし、

自分の能力を向上させる上で、

最も重要なのは、

 その人の「人格、性格」です。

 

指導や助言を受け入れたり、

  教えられたことを素直に聞いて努力したり、

  分からなくても出来なくても忍耐強く続けられる人です。

 

************

指導やり易くする方法は、

 まず、目標を定め、道筋(体系、大局)を練る(計画)ことです。

 次いで、

  段階ごとの細かな点を定め、

  道筋にそれずにするべきことを明確にすることです。

 

 後は、

 計画に沿って努力することです。

 

このように、

 すべてを明確にすることで、

 努力もし易くなり忍耐強く続けられるのです。

 

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もちろん、

皆こうしたことは分かっていて実行している訳ですが、

「結果」は皆異なっています

 

それは、

実行する人の「能力」が異なるからです。

 

生れつき特別能力がある人以外、

 単なる思い付きだけでは、

 有能な人にはなれないのです。

 

ほんの一瞬「天才」的なことをしたり、アイデアを出したりする人は、

大勢います

 

ですが、

一つのことに「継続」して「天才性」を示すことが出来るのは、

本当に「能力のある人」です。

 

人の能力を、

 羨むのではなく

 自ら努力を続けることです。

 

そうすれば、

 あなたの人生は「より良いもの」になります。

 

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参考

 いわゆる「ギフテッド」は、

 生まれつきの「天才」です。

 

 普通の能力を超越した存在と言えます。

 

 しかし、

 日常生活では、

 困難な人であることの方が多いのです。

 

 人は「見かけに依らないもの」なのです。

 

ペテロの第二の手紙(概要)

  ペテロからクリスチャンへの手紙(エホバの約束と不敬虔な人々に対する裁きと滅び)

  バビロン? AD64

内容

  天の王国への召しを確実にする(1:1-1:21

  偽教師に関する強い警告(2:1-2:22

  エホバの日をしっかりと思いに留める(3:1-3:18

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関心のある人は、

 上記の内容ごとに、実際に聖書を読んでみて下さい。

 

一度に、すべてを読み切らず、

 いわば、テーマ毎に「じっくり考えて」から、

  先に読み進んで行く方が分かり易いです。

 

最初から理解しようとするのではなく、

 まずは内容を読んで下さい。

 

ヨハネへの啓示までの27冊の内容すべてを読んだら、

 再び読み、

 自分が考えるテーマごとに、

  関連ある事柄を纏めて見て下さい。

 

少なくとも、

 これを行うことで、

 聖書の「真理」が少しずつ分かって来るでしょう。

 

その後は、

 

 

この記事の内容にしたがって聖書を調べて見て下さい。

そうすれば、

 あなたは、

 歴史上最も読まれた本に精通することが出来ます

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知恵を求める人のためのブログです。

古くは民謡に始まり、

和歌俳句川柳などから、

西洋からの、いわゆるクラッシックが流行し、

童謡が学校で歌われ、それが国民に浸透し、

戦争中は軍歌によって気分が高揚させられ、

大正琴などによる演歌などや歌謡曲がヒットし、

戦後は、フォークソングロックそしてヘビーメタルなどという激しい曲まで誕生してきました。

高度成長期は特に演歌が流行し、日夜一生懸命働く人々の心をつかんできました。

その後、時代の変化と共に人々の心をつかむ曲がヒットして今日に至っています。

 

歌は、

 聴く人の「心の癒し」となっています。

 一方、

 歌う人は、

  感情を込めて歌うものです。

 

 その感情が、

  聴く人の心に響きます

 

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人の心をつかむ曲というのは、

 時代を超越したものがあります。

 

例えば、

 軍歌などは「人を元気にする」効果が今でもあります

 演歌などに共感する人も少なくないと思います。

 

クラッシック音楽は、

 曲だけで「情景が想像出来たり、雰囲気が醸し出される」ものです。

 正に、名曲と言えるでしょう。

 

演歌はメロディーと歌詞が相まって「人の心」をつかんでいます。

 

どんな歌にしても、

 メロディーと歌詞によって、

 「感情移入」したり、「情景が思い描ける」ことで、

 

 聴く人の「心に入り込む」ものです。

 

作詞家や作曲家はこれを目標にして作曲をしている訳です。

 

メロディーや歌詞は、

 聴く人々の、

  心と感情に大きな影響を与えます

 

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いわゆる讃美歌は、

 神を讃える歌、表現ですが、

  神の特質をメロディーと歌詞で表現するものです。

 

 神そのものに「実感」を持たない人間には、

 メロディーと歌の響きで、

  いわば情緒的(あるいは感情的に)に、

  神をイメージするものです。

 

讃美歌を聞いて、また、歌うことで、

もしかすると、

 神の特質

神の偉大な力」を

 思い浮かべることが出来るかも知れません。

 

アメイジング・グレース」(讃美歌ではありません)でさえ、

 人々のに「染みている」のです。

 

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日本の神社では、

 雅楽という、厳かな、あるいは、雅な音楽があります。

 雅楽は「儀式」の時に奏でるものです。

 

 讃美歌とは全く異なる音楽です。

 

仏教では、

 仏教賛歌というものがあるらしいです。

 

雅楽は聴いたことがありますが、

仏教賛歌というのは聴いたことがありません。

 

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どんな歌にしろ、

人の心をつかむ曲は、

 メロディーと歌詞により「共感」を与える曲です。

 

人の思いが千差万別のように、

 どの曲に「共感」を覚えるかは、

 その人の思いが「何処にあるかによって」異なります

 

歌の好みは、

 その人の心や思いを表しているのです。

 

ですから、

 好みの音楽は何かと聞かれた時に、

 迂闊に答えると、

 自分の心の内を明かすことになるかも知れません。

 

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には、

集団を団結させる「」もあります。

 

例えば、

 校歌、会社の歌、国家、応援歌などは、

 大勢の人を「同じ気持ち、思い」にさせるものです。

 

戦時中、

 兵士たちは軍歌を歌うことで、

 辛い行軍に耐え、

 国や家族を思い、

 国のために戦う気持ちを高めたのです。

 

 そして、死んで行ったのです。

 悲しいことです。

 

現代では、

いわゆる「ライブ」で、

 若い人たちが、

 歌手やグループに対して「熱狂」(フィーバー)している様子も聞きます。

(実際に、そういう場所に行ったことがないので

 

 これは単に「気分を発散」しているだけのように思えます。

 

 ですが、

 そこに集う人々の心を掴んでいることは確かです。

 

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には、

」があることは明白です。

 

それゆえ、

単に「好み」で音楽を聴くのではなく

どんな音楽を聴くべきかを「良く考える必要がある」と言えます。