最期のとき | キャトルセゾンのメモパッド

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数年前、私の父が亡くなりました

私は危篤の連絡を受け、すぐに、父が入院する病院に駆けつけ、死目に逢えました

早朝でしたが、娘は、ひとり残しても、どうにかなる年齢だったので、心置きなく病院へ駆けつけられました

意識の無い父にでしたが、手を握り感謝の思いを伝えられました



さて、義母の最期のときの話です


義母は、難病で他界しました

病発症の時点で、余命宣告を受けていました

 

息子が、幼稚園に通い出した頃

入院していた義母が危ないとの連絡があり、連合いと息子と3人で駆けつけました

 

ところが、義母は、すぐには亡くならなかったのです(不謹慎ですみません)

※ 連絡をもらってから5日後に亡くなりました

毎朝、幼稚園に欠席の連絡をし、(変な話)先生からは、まだですか?何が?みたいなニュアンスの会話になり、戸惑った覚えがあります

 

義母の入院する病院は義実家の近くです

そんなに広くない連合いの実家には、私達の他、義弟や、義妹一家(乳飲み子を連れて)が泊まりこみ、にわか大所帯となりました

みな、母の死に目に逢うために、帰省していました

うちの息子は何もすることが無くて、機嫌が悪く、連合いも仕事を休むのが長くなってきて、気にしていました

私もいろいろ気を遣い、勝手の違うところで、家事を切り盛りして、イライラしていました

その状況、環境から、最も、抜け出したいと思ったのは、私だったでしょう

それで、私達家族3人は、一旦、我が家へ戻る(車で2時間ほどのところ)ことにしたのです

自宅に戻り、翌朝、電話が、、、


姑が急変しました

神様は意地悪です


義母が息を引き取るのに、私達家族は間に合いませんでした

連合いの母です

連合いは、さぞ無念だったでしょう

今思えば、私たちの我慢が足りませんでした

いえ、私の我慢が足りなかったのだと思います

若かったのです

 

 


今の世の中、どこでどんなふうに死んでいくのか予測不能です

私の最後のときは、どうなるでしょうか