ジャーマン・スープレックス・ホールドが「プロレス最高の芸術品」だった時代
<日本人の第1号はヒロ・マツダ>
1966年(昭和41年)6月18日、川崎球場
日本プロレス アジアタッグ初防衛戦
吉村道明&マツダvsエディ・グラハム&サム・スティムボート
1本目 マツダがスティムボートにジャーマン 日本人で初公開
<2人目は猪木>
1969年(昭和44年)6月12日、秋田県立体育館(大きな会場)
インタータッグ選手権
馬場&猪木vsスカル・マーフィ&クルト・フォン・ストロハイム
3本目、2分55秒、猪木がクルトにジャーマン
7月3日、蔵前国技館
アジアタッグ選手権
猪木&大木金太郎vsマーフィ&クルト
3本目、6分30秒、猪木がクルトにジャーマン
7月12日、海外遠征、タイ・バンコク
猪木(2ー1)クルト
3本目、6分12秒、猪木がジャーマン
7月13日、シンガポール
猪木(2-0)クルト・フォン・スタイガー
2本目、4分21秒、猪木がクルトにジャーマン
9月28日、大阪府立
馬場&猪木(2ー1)ザ・デストロイヤー&ブラック・ゴールドマン
3本目、4分20秒、猪木がゴールドマンにジャーマン
1970年(昭和45年)3月2日、広島県立
アジアタッグ
猪木&吉村(2-1)フリッツ・フォン・エリック&ジム・オズボーン
2本目、10分32秒、猪木がオズボーンにジャーマン
5月13日、兵庫・姫路
馬場&猪木(2ー0)クリス・マルコフ&ターザン・タイラー
2本目、3分20秒、猪木がタイラーにジャーマン
8月2日、福岡スポーツセンター
NWA世界ヘビー級選手権
ドリー・ファンク・ジュニア(1-1)猪木
2本目、7分4秒、猪木がジャーマン
10月9日、鹿児島
9分53秒、猪木がジョニー・クインにジャーマン
1971年8月5日、名古屋・愛知県体育館
UNヘビー級選手権
猪木(2-1)ジャック・ブリスコ
2本目、7分6秒、猪木がジャーマン
ほかにもあるかも? ターザン・タイラーが受けているとは…驚き。
なぜ、こんな面倒なものを作ったかというと、どうしてもブリスコを入れたかったから。名古屋のファン、お待たせ。
少年の私は、ここ一番で決めるのは、さすが猪木だ!と思っていた。
よくよく見ると、会場もみな、違う。たまたまかも知れないが。
いざ書いてみると、意外と「乱発」している。
朝6時22分、訃報。1970年8月2日、猪木と2度目の60分。8月5日、ドリー・ファンクJr死去
昭和45年7月、ドリー、2度目の来日。テリーは初来日。このころはまだザ・ファンクスとは言わない。
7月30日、馬場、大阪府立でNWA世界に2度目の挑戦。馬場史上、いちばん過酷な試合。
8月2日、福岡スポーツセンター、猪木、NWA世界に2度目の挑戦。前年12月はノーフォールの60分だったが、今回は1本目、ドリーがバックドロップ、ダブルアーム・スープレックスから、2本目、猪木が「秘密兵器」ジャーマンで取り、見ごたえ、抜群。60分。この時点ではドリーは猪木の宿命のライバルになるかと思いきや、全日本プロレスの常連となる。
みんなが大阪を書くと思ったので、私、福岡を独占させていただきます。
8月21日、後楽園。アブドーラ・ザ・ブッチャー、衝撃の初来日。残るはブッチャー、ハンセンか。
このころの夏は楽しかったなあ。
ファンクス、フォーエバー。85歳。あっ、テリーも命日は8月だった。23日。3年前の2023年、享年79歳。
合掌。
西村選手、そっちにドリーさん、行きましたよ。


