僕の生きる道 #3「ごめんね。いつも一緒にいてくれてありがとう」 | 幸せと豊かさに愛されている 伊藤直幸公式ブログ

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ありのままの生き方ナビゲーター 伊藤直幸です。

今日も、「世界一の幸せもの」を増やしていきますよ(^o^)


【僕の生きる道】と題して、

・自分を大切にして、
・自分本来の、ありのまま姿を取り戻して、
・素直な気持ちで「世界一の幸せもの」で生きるまでに、

悩んだり、迷ったり、喜んだり、笑ってきた僕の人生の真実を、赤裸々に語っています。

 

 

前回のお話はこちら

 >> #2「自分の幸せに気づくための原点」

 

 

 

幼い僕が、保育所の運動場から自転車で走り去っていくお母さんの姿を見ていた。

 

 

僕は、うわん、うわんと泣きながら「おかぁさ~ん」と叫んでいた、あの光景。

 

あのときのお母さんの顔は、ものすご〜く申し訳ないようにしていたのが、幼い僕に映った。

 

 

このときのことが、大人になった今になって、僕の名前「直幸」に込められた意味に気づくこと、自分の幸せに気づくための原点になった。

 

 

お母さんと離れてしまう寂しい気持ち、悲しい気持ちをお母さんは分かってくれないと、思い込むようになっていったんです。

 

子どもって勝手だから、誰しもそうだと思うけれど、そのときの場面で物事を見るから、思い通りにならないと悲しくなる。

 

幼い僕にとっては、大好きなお母さんから離れることが「心の傷」のようになったんです。

 

 

僕が「悲しい」と言っているのに分かってくれない。

 

僕が「寂しい」と言っているのに聞いてくれない。

 

そんなふうに、僕が言っても無駄だと思うようになって、次第に言わなくなった。

 

 

すると、どうなると思いますか?

 

 

自分の気持ちを、どんどん言わなくなるんです。

 

自分の心の中にしまい込むんです。

 

 

明るく生きていたように思うんですけど、次第に自分の気持ちを言わない、お母さんの顔色を伺うような生き方へと変わっていったのです。

 

 

なぜ、お母さんの顔色を伺うようにしていたのか?

 

 

お母さんの嫌な顔を見たくなかった。

 

お母さんを悲しませたくなかった。

 

僕がそんなことをしてしまったら、ますますお母さんの機嫌が悪くなって、僕を相手にしてもらえなくなる。

 

お母さんからの愛情を得られなくなるから、自分の気持ちなんて言えないよ!

 

 

僕はそうやって、自分の気持ちを抑え込むようになって、「いい子」、お母さんの言うことを素直に聞く「いい子」であろうとして生きていくことを決めていくようになりました。

 

無意識なんだけれど。

 

 

このとき(保育所のとき)の寂しい気持ちを、ようやく、僕自身が受け容れることができる、「僕自身が僕を許すことができた」と思うようになる前、今から、2~5、6年ぐらい前の間の気持ち。

 

自分の気持ち、感情が分からない理由は、幼いときの「悲しかった気持ちをお母さんに言えなかった」からということに気づいたけれど、「傷ついた」と僕が思い込んでいたことを、僕自身が受け入れるところまではなっていなかった。

 

 

何だろう?

 

”悲しかったのはお母さんのせい”ではないことは分かってきたんだけど、「自分が自分の気持ちをお母さんに分かってもらえないと、自分が勝手に決め込んでしまった」ということを認めたくなかったのだと思う。

 

要は、「勘違いだったよね」ということだけど、心屋仁之助さん的に言うと”コント(自作自演)”なんだけど。

 

気づいて、僕が受け入れてしまえば「な~んだ」で、おしまいなんだけれどね。

 

 

僕自身の人生の中では、4歳から46歳までだから、42年程、自分の中で”コント”をしてたんだね。

 

ということは、Mな人かも(笑)

 

人を責めるより、自分を責めることが多いからねぇ、、、

 

 

長い間、幼い自分(直ちゃん)をかばう、守ってあげる、大事にしてあげることができてなかった、存在自体を受け容れ難かったんだけど、「な~んだ」に行き着くまで、「気づかなくてゴメン」なの。

 

それは、人それぞれなので、「簡単に許せるの?」と思うかも知れないし、「お母さんのせいじゃないの?」と感じるかも知れないし、はたまた、「そうだよね~」と思うかも知れない。

 

 

ある意味、周りの人(親を含めて=自分以外の人全て)がどう思うか、感じるかは分からないけど、”僕自身がどう、受け容れるだけか”ってことだと僕は気づいた。

 

 

僕は、心に傷を負ったかもしれないけれど(実際にはなかったんだけど)、お母さんはお母さんなりに愛情表現をしてくれていた。

 

けれど、幼い僕は気づかなかった(気づけなかった)。

 

そのことで、大人になった僕が気づくまで、自分で自分を苦しめていた。

 

 

ようやく自分の悲しさを、寂しさを、僕自身が受け受け入れて、僕の気持ちが見えてきた。

 

「直ちゃん、今まで分かってあげられなくてごめんね。いつも一緒にいてくれてありがとう」

 

 

 

次回

 >> #4「僕は、お母さんの子。お母さんが大好きな子」

 

お会いできるのを楽しみしています!