ありのままの生き方ナビゲーター 伊藤直幸です。
今日も、「世界一の幸せもの」を増やしていきますよ(^o^)
【僕の生きる道】と題して、
・自分を大切にして、
・自分本来の、ありのまま姿を取り戻して、
・素直な気持ちで「世界一の幸せもの」で生きるまでに、
悩んだり、迷ったり、喜んだり、笑ってきた僕の人生の真実を、赤裸々に語っています。
前回のお話はこちら
布団の気持ちよさに、思わず二度寝をしてしまいました。
7時15分に目覚めて、「あとちょっとだけ、、」って気づいたら、「もう、9時」になっていたので、気合を入れて起きましたよ(笑)
冬の時期の布団って、「気持ちいいですからねぇ」
この記事を書いている途中に、何かの拍子で消えてしまったんです(←言い訳)
でも、自分に腹が立つ~
ちなみに、記事の書き溜めはしてないです。
書いている、その時の気持ち、感情で書きたいからです。
ということで、最近撮った写真を載せようとしているのですが、アップが遅くなっています(画像データが重いので変換しながら、随時、追加しています)。※最近撮った写真を追加しました(2/10)
さて、今回は、僕が2~4歳ぐらいのときのお話です。
自分と向き合うために、生まれた場所、育った場所を訪ね歩いています。
その場所、その場所で写真をスマホで撮るんですけど、内心、「怪しい人に思われないか?」と思いながら撮っていました。
別に、悪いことをしているんじゃないけど、写真を撮ることに罪悪感(勝手な妄想、思い込み)があるのかも知れない。
今、気づいたのは「僕が僕自身を怪しい人」に思っているんだってこと。
自作自演ですね(笑)
僕が生まれた門真市舟田町は、京阪電車大和田駅から歩いて20分ぐらいの場所にあります。
その途中に、たこ焼き屋さんがあります。
お母さんからはぐれて泣いていたとき、店のご主人が僕にたこ焼きを食べさせてくれて、お母さんを待たせてくれた場所です。
50年近くこの場所にあって、家族代々で今も経営されていたことが嬉しかった。
今も変わらずに思い出の場所があることに、懐かしさと、嬉しい気持ちが蘇ってきた。
辺りの景色は随分と変わっていて、当時を何となく記憶していた道の形を頼りに歩いた。
写真を見ながら「この場所かな?」と家を探していると、家から御婦人が出てきたので聞いてみた。
すると、「私30年前に越してきたから分からへんわ」との答えが返ってきた。
僕はこの後(5歳の時)に引っ越しをするんだけど、僕が中学生の頃にはこの辺りが変わっていたことになる。
僕が住んでいた場所が無くなっていることに「仕方がないな」という気持ちと、寂しさがあった。
ここに住んでいたときの記憶。
思い出すのが、家の裏にれんこん畑(蓮の田んぼ)があって、僕が誤ってれんこん畑に全身突っ込んで泥まみれになったこと。
お母さんが「臭かったわ~」と言っていたのを思い出す。
近所の子どもたちとアパートの階段で遊んでいたとき、僕は階段から転げ落ちて頭を縫ったこと。
ガキンチョが何かの拍子か、ふざけてか分からないけど僕が落ちて怪我をして、後日、お母さんがガキンチョの首根っこをものすごい勢いで押さえて、怒ったそうだ。
そのときの真相は知らないけど、「我が子が怪我をさせられた」と思ったら、怒りたくなる気持ちも、今は分かる。
「息子を守りたい!」「何するんや!」ってね。
お母さんに痛めつけられたガキンチョが泣いて、その声を聞いたそのお母さんがやって来たとき、お母さんは何事もなかったかのように知らん顔をしていた、というからスゴイと思う。
でも、お母さんの愛情なんだろうね。
幼い僕を見ていると、やっぱり「かわいいなぁ」と自分でも思う。
いい顔してる。
よっぽど楽しくしていたんだろうね。
お気に入りの1枚。
1970年の大阪万博の跡地にできた万博記念公園で撮った写真だと思うけど、微笑ましい。
靴を履いていないのは、靴をどこかに脱いで無くしたらしい。
保育所の思い出。
これが、今の僕の原点。
自分の名前に込められた意味や、自分の幸せに気づくための大きな出来事があった場所。
その場所は、家から歩いて15分ぐらい、自転車で5、6分ぐらいの場所に今もあります。
高速道路が通って、大きな病院ができて、ホームセンターがあって、コンビニもあって、、、
鮮明に覚えていないけど、道は舗装されてなくて周りには何もなかったような場所。
でも、僕が通った保育所はほとんど変わらずにあった!
中には入れない(入る勇気がなかった)ので、その周りをぐるっと歩いて。
そのときの先生の顔なんて思い出せるはずもなく、、、
そういえば、滑り台の前でオシッコを漏らしたなぁ、、、
ある日の朝、いつものようにお母さんが自転車を漕いで、その後ろに僕が乗って保育所に行く。
今も鮮明に、この景色だけは忘れていないのが、僕が運動場から自転車で走り去っていくお母さんの姿を見ていたこと。
僕は、うわん、うわんと泣きながら「おかぁさ~ん」と叫んでいた、あの光景。
あのときのお母さんの顔は、ものすご〜く申し訳ないようにしていたのが、幼い僕に映った。
お母さんのことが大好きだから、お母さんと離れてしまうことが寂しかった。
置いてきぼりにされてしまうことが悲しかった。
でも、お母さんはパートに働きに行くために、僕を保育所に預けていただけなんだけど。
幼い僕にしてみれば、そんなことはつゆ知らず、、、
大人になって、この1年ぐらいの間(2018年頃=つまり、46歳になって)、このときの寂しい気持ちを、ようやく、僕自身が受け入れることができた。
「僕自身が僕を許すことができた」と思うようになった。
この話は長いので、次回に続きます。
このことで気づいたことはたくさんあるけど、ここで1つだけ挙げるとしたら、「子は親のこと(そのときの事情や気持ち)知らず」だけど、親は絶えず、子や家族のことを思って生きているってことに気づいたんです。
親って、”子どもが知らないとこで一所懸命に生きていている”んだってことに。
子を持つ親になって、「親は、こう思っていたんだろうな」って、まぁ、100%とはいかなくても10%、20%ぐらいは分かった気がする。
次回
>> #3「ごめんね。いつも一緒にいてくれてありがとう」
お会いできるのを楽しみしています!