いよいよ開幕!日本代表の「FIFAワールドカップ」歴史をおさらい② | 久保佑輔の Be Player!Try Challenge!

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みなさんこんにちは!

 

 

久保佑輔(くぼ ゆうすけ)です。

 

 

いよいよ開幕しました「FIFAワールドカップカタール2022」!

 

 

今回は前回に続きサッカー日本代表のワールドカップの歴史をご紹介します。

 

前回はワールドカップ初出場決定までをご紹介しましたのでいよいよワールドカップ初出場からをご紹介します

 

 

初出場!1998年ワールドカップフランス大会

出典元:istock

 

前回ご紹介した「ジョホールバルの歓喜」でワールドカップ初出場を決めたサッカー日本代表は1998年ワールドカップフランス大会へ出場します。

 

 

ワールドカップ開幕前には長らく主力選手として日本代表を牽引してきた三浦知良選手が出場メンバーから外れることが大きな話題にもなりました。

 

 

そんなワールドカップのルールは基本的に4ヶ国で1グループとし、各国総当たりの計3試合を行い勝ち点が多い上位2か国が決勝トーナメントに進出できます。

 

 

このフランス大会では日本と同じグループHに「アルゼンチン」「クロアチア」「ジャマイカ」の3ヶ国が入りました。

 

 

そして1998年6月14日に行われたアルゼンチン戦でついに日本代表はワールドカップの舞台に立ちます。

 

 

強豪相手に果敢に挑み健闘するものの試合は「0-1」で敗れました。

 

 

続くクロアチア戦でも日本のFW中山雅史選手と城 彰二選手にボールもつながり決定機もいくつかありましたがモノに出来ずに「0-1」で敗れました。

 

 

2試合を終えた時点で日本の決勝トーナメントへの進出はなくなりましたが最後のジャマイカ戦では意地を見せます。

 

 

先にジャマイカに2得点をされますが後半29分にクロスを呂比須ワグナー選手がヘディングで折り返したところを中山雅史選手が倒れこみながらも押し込んで日本代表のワールドカップ初得点をあげました。

 

 

得点後も追いつくためにと奮戦しますが試合はこのまま「1-2」で敗れました。

 

 

結果的にはワールドカップ初得点を挙げられたものの3戦全敗で終わるという世界との差を思い知らされるワールドカップとなりました。

 

 

日本を熱狂にした自国開催!2002年日韓ワールドカップ

出典元:

istock

 

続く2002年ワールドカップは史上初のアジアでの開催、21世紀初の開催、2か国の共同開催など初めてのことだらけの大会となりました。

 

 

前回の1998年大会終了以降、フランス人のフィリップ・トルシエ監督新体制となった日本では若い世代が大活躍して台頭してきます。

 

 

1999年に開催されたワールドユース選手権(現在のFIFA U-20ワールドカップ)では20歳以下の若い選手たちが世界大会で準優勝を果たすなどの結果を作り「黄金世代」と呼ばれています。

 

 

開催国はワールドカップの出場予選はないため免除となり2大会連続でワールドカップに出場することになった日本は「ベルギー」「ロシア」「チュニジア」と同じグループとなります。

 

 

初戦となったベルギー戦は相手に先制されたものの鈴木隆行選手と稲本潤一選手のゴールで「2-2」の引き分けでワールドカップ初の勝ち点1を得ます。

 

 

続くロシア戦では稲本潤一選手の決勝点で「1-0」で初の勝利を得て日本を熱狂させました。

 

 

3試合目のチュニジア戦でも大躍進をした日本は森島寛晃選手と中田英寿選手のゴールで「2-0」と勝利をして3戦合計で2勝1分けの成績でグループ1位となり初の決勝トーナメントに進出します。

 

 

決勝トーナメント1回戦の相手の「トルコ」との試合ではトルコに早くに先制点を取られて追いかける展開が続き、日本は数多くの決定機を作りますが決めきれずにそのまま試合は「0-1」で終了し決勝トーナメント1回戦(ベスト16)にて敗退しました。

 

 

それでも全大会の1998年大会では3戦全敗していた日本が決勝トーナメント進出する大躍進を遂げ世界でも戦えるということを証明して日本はサッカー一色になり私たちを魅了してくれましたた。

 

 

おわりに

 

今回は日本のワールドカップ初出場から自国開催での躍進をご紹介しました。

 

 

2002年の日韓ワールドカップから今年で20年となりますが私も当時小学生だった開催当時大人たちが熱狂していたのを覚えています。

 

 

やはりスポーツの人を熱狂する力はすごいなと感じます。

 

 

次回もサッカー日本代表のワールドカップの歴史を続編としてご紹介していきます。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

おわり。

 

 

久保 佑輔(くぼ ゆうすけ)

 

 

参考文献: