その3

 

■2018年11月24日

 

特にスケジュールを決めていなかったこともあり

気の赴くまで寝ていたら朝10時。

 

本日はスロースタートで市内散策の日。

まずは散歩がてら山の上の市内を一望できる
展望台まで歩いていくことにした。

 

当然ホテルの朝食サービスは終了しており、

どうせパンとコーヒー程度の味気ない感じなので

朝食の調達も兼ねる。

 

ロシア国旗の翻る高いビルは地方政府

 


冷戦期の築と思われる古い建物が残っており、

街並みが異国情緒溢れてて美しい。

 

 

歩いてると都合よく、ピラジョチニッツァなる店名の

ピロシキの売店を通り面に発見。

 

ピロシキくださいと言おうと思ったら

陳列の10種類以上が全部ピロシキなので

「ピロシキ下さい」は用をなさない。

言葉が分からないので中に何が入っているかも分からない。

 

齧ってビックリ闇ピロシキ作戦で行くか?と思うと同時に、

店員のべっぴんがすかさず外国語メニューを出してくれた。

英語・日本語・中国語・朝鮮語の併記だったと思う。

さすが駅前一等地。気が利いてるね。

ホッと一息、地味ながらオーソドックス感ある

茹でキャベツのピロシキを注文。

 

椅子が無いので、店の前を少しかわした

路上で立ち食いすることに。

揚げたてではないものの保温されており、

生地はほどよいクリスプ感が残っていて大変美味。

(揚げパン自体がだいたい美味い)

具はただの茹でキャベツの味。

 

いい気分で頬張っていたら、

先ほど何気なく歩道を通り過ぎていった

ルンペンがUターンしてこちらに戻ってきた。

目を合わせないようにしていたのに。

 

そして目の前で立ち止まり、じっとこちらを見つめ、

パンを一かけら分けてくれとジェスチャーで訴えかけてくる。

 

こうして私は主キリストの肉の象徴たるパンを

隣人と分かち合ったのである(適当)

というかもう最後の一口だったので全部あげた。

 

見知らぬアジア人の食いかけのパンって食べたいか...?

感心したことに、丁重に例を言われた。

そして握手された。ややねっとりしていた。

なぜか善行を積んだのに水道を見つけて

手を洗わないといけないさだめを負った。

 

初の現地人との接触はもうちょっと

素敵な形のコミュニケーションがよかった。

 

せわしなかったのでピロシキやルンペンに関する写真無し。

手洗い場まで14万8000光年...。

(ていうか、どうやって凍死を免れてるんだ...)

 

 

後日カフェで食べたピロシキ。

 

 

気を取り直して展望台へ向け移動を再開。

道行く車はほとんど日本車。


左ハンドルの国なのに右ハンドルの日本の中古車が8割くらいで、
駐車場の発券機は左右両側に大抵備えられている。

燃費のステッカーなんかがそのまんま。
この国からは海産物程度しか日本に入ってこないけど、
日本から渡ってるものは結構あるようだ。

 

中国人相手?の店舗もちらほら。

 

 

線路を渡るあたりで突然若いお兄さんに英語で呼び止められた。

「すぐ近くに新しいカフェをオープンしたんだが、

良かったら来てくれないか」とのこと。

 

これはついていくとヤバい香りがプンプンするぜ。

 

…。

 

新しいカフェがオープンされていた。

 

コーヒーの良しあしは分からないが

クリームのようなものが入ったパンが大変美味しかった。

(非常に残念だがおそらく2024年現在この店は現存しない)

 

パン腹で再出発。

 

バスだけは韓国車が優勢のようだ。

おそらく日本車だと出入口の方向が合わないからだろう。

 

ロシアにも乗用車のメーカーはあるが、ほとんど見かけない。

これはロシア車(ラーダ)。

 

 

展望台が近づくにつれて坂道や階段が増えてくる。

 

この2本のレール、車いす用だと思うのだが

介助者アリにしてもなかなかキツクないだろうか?

 

下りなんて命がけだ。

手元が狂ったが最期、K点超え不可避。

 

鷹の巣展望台に到着。

 

 

天気はあいにくだが逆に曇天がロシア感ある(偏見)。

ロシア太平洋艦隊の母港とだけあって、

港には停泊中の軍艦も見える。

 

展望台では地元の一組のカップルが結婚式を挙げていた。

冷戦期は閉鎖都市とされた街を外国人の自分が散歩できる、

平和の有難みを実感。コングラッチュレーションズ。

 

 

すぐ近くにせっかくフニクリョール(ケーブルカー)の駅が

あったので、せっかくなので下りはそれを使う。

 

モノクロ映画に出てきそうな古い車両

 

何かの一団なのか、子連れが多く乗っていた

 

距離にして300m程度、乗車時間数分。

実用交通機関というより街の華なのだろう。

 

次は麓の駅から2,300mのところにある太平洋艦隊の博物館に向かう。

 

会社名そのままの日本の中古トラック

 

パトカーがいた。

日本みたいに白黒のパトカーって実は珍しかったりするんだろうか?

 

到着。

”N.G.クズネツォフ  ソ連邦海軍元帥”

どのレベルの有名人なのかが分からん。

 

その5