岸壁の母、、、、 | ジュエリーノのブログ

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ジュエリーの工房ジュエリーノに日々持ち込まれる案件と主宰のプライベートのブログです。

しっかりとした雨の降る、この週末はもう梅雨入りなんだとか、仕事の調子も出て来るか、火曜日、大阪の朝です。
 
 
 

はぁ~~~はぁ~~~~~は来ました~~~~~~~音譜

 

 

 

 

今日も~~~~~~~来た~~~~~~~~~~音譜

 

 

 

 

 

しまった、しまった島倉千代子(笑)あせる爆  笑

 

 

 

 

みなさん、おはようございます。

 

 

 

 

でまぁ、小さかった頃の私の記憶にはっきり残っているのがね

 

 

 

 

当時の昼ドラで、岸壁の母のドラマを見て泣いている祖母の記憶なんだけれどね

 

 

 

 

うちの祖母は戦後女手一つでうちの父と養女だった叔母の二人を育て上げたんだけれども

 

 

 

 

強かったのか、強くならざるを得なかったのか、きっと私なんかは想像できないような苦労して生活してたんかと思うんですが、、、

 

 

 

 

 

配給券では到底足りないお米を求めて、闇市にお米買いにいっては帰り道警察に止められて尋問される

 

 

 

 

 

「親戚から貰ってきた」って言ったら、警察もヤミ米と解っていながら見逃してくれる話なんかも聞いたんですが、、、、、、

 

 

 

 

飼っていたにわとりをさばく喜々とした姿も怖ったけど笑い泣き覚えているんだけれど(笑)、そんな時代を過ごして生活していんです、間違いなくね、、、、、、

 

 

 

 

ドラマの中では拾ってきた氷を洗ってそれに砂糖をまぶして母がこどもにおやつにしてあげて、二人すごく喜ぶ姿が小さい私にすごく印象的だった、今だ覚えているんだけど、、、、、、

 

 

 

 

世界を相手に戦争をした日本のその後の姿か、、、、、、

 

 

 

 

母が思う子供への計り知れない思いか、、、、、、、

 

 

 
 
舞鶴の引揚桟橋、岸壁の母、、、、、、、、、
 
 
 
 
でまぁ私は引揚記念館は二回目だったんだけれども
 
 
 
 
まぁほぼ舞鶴に引き揚げてくるのはシベリア抑留された方々だったんですね、、、、、、
 
 
 
 
当時満州で生まれてのち引き揚げてきた近親の話も聞いたことがあるんだけれど
 
 
 
 
日本の敗戦が決まると、満州の日本人の住むところにロシア兵がトラックでやってきては、たくさんの若い女性をトラックに載せて連れて行く、そして誰も帰ってこないって話も聞いたんだけれども、、、、、
 
 
 
 
 
敗戦国の悲しい戦争の後ろ姿なのでしょうか、、、、、
 
 
 
 
 
昔も今もいるであろう岸壁の母が、、、、、これからの早い将来、岸壁の母が生まれない世界になればいいなぁ~~~~~~笑い泣き
 
 
 
 
舞鶴引揚記念館と知覧平和特攻記念館は日本人として私にして行って欲しい場所でしょうか
 
 
 
 
 
さぁ、今日も上を向いて、がんばっていきましょうね~~~~~~