リブログ記事姉・米原万里 思い出は食欲と共に
姉・米原万里 思い出は食欲と共に井上ユリ 著文藝春秋 発行2016年6月5日 第2刷発行米原万里さんの妹で、井上ひさしさんの妻である井上ユリさんによる、米原万里さんのエピソード集です。ご家族というだけあって、ご両親の話とかも大変詳しいです。卵が大好き汲み取り式のお便所に三度落っこちた万里さん米原家の大食い伝説プラハの黒パンアメリカに亡命したロシア人2人が、故郷の食べ物へのノスタルジーを書いた『亡命ロシア料理』より“アメリカのパンほどまずいものはない。ロシアとアメリカという2つの超大国の間で一番大きく違っているのが、このパンという食品の扱いである。ロシアでパンは愛されていた。「パンは命と同じくらい大切」とは、ソ連共産党の政治局員たちの、アメリカの穀物を輸入しながらの賢明な発言。[…]アメリカ人が作る、あの綿のようにふわふわした代物。一体どうしたら、あんなものができるのだろうか。それはアメリカ人がパンを憎んでいるから、としか説明がつかない。本人たちはあれをパンと呼ぶが、まともな人間にはとてもそうとは思えない。”クネードリキロシアのスープというと、日本人はボルシチを思い浮かべるが、これは、元はウクライナ料理だ。ロシア人にとって最も大切なスープは、シチーというキャベツの漬物で作るものだ。ソビエト学校のキャンプ赤いエリートの避暑地大人になって料理を勉強するようになってから、ヨーロッパの高級レストランやホテルを随分見て回った。ホテルに泊まらなくても、ロビーやティールームには入れる。なるべく良いもの、良いサービスを知るようにした。しかし、子供の時、平等であるはずの社会主義で体験したほどの贅沢は、市民社会の歴史が長い西ヨーロッパには存在しなかった。しかもその贅沢は一般市民の目も届かないところにあった。やはりソ連は潰れるべくして潰れたのだと思う。高い理想を掲げて、皇帝や領主の圧政から人々を解放したはずだったが、新しい権力者の振る舞い方のお手本が、自分たちが倒したはずの君主たちだったということか。父の料理、母の料理大好きな写真米原万里が詩人だったころ職業は「踊り子」ゴルバチョフが登場し、ソ連でペレストロイカが始まってから、それまで暇を持て余していたり、干上がったりしていた人たちの多かったロシア語通訳業界はにわかに活気づいた。この時からソ連崩壊を挟んだ10年の間、万里は目まぐるしい忙しさで、荒稼ぎした。いつ倒れてもおかしくないほどで、例えば成田に帰国して、家に戻らないまま、数時間後またロシアに飛び立つ、なんてこともあった。そうして得た資金で、鎌倉に大きな家を建てることができた。通称「ペレストロイカ御殿」だ。きれいな一重まぶた飲まない万里のまっ茶な真実1度目のお茶会に同行した通訳者に再びお声がかかったのだが、万里さん以外全員が断った。普段はズボラでガサツこの上ない人種ということが分かり、逆に万里さんは茶道と華道に対する根強い劣等感から解放された。毛深い家族わたしは料理の道へ大阪に行って、真っ先に嬉しいと感じたのは、街で見る女の子たちの開けっぴろげな振る舞いだった。プラハから戻って、万里も私も、女の子はこうふるまうべしという、世間の了解事項のようなものに違和感を覚えていた。ユリさんが手打ち麺の店を出そうとした時、店舗用の物件について相談に応じた人は、万里さんの『魔女の1ダース』に出てくる、オペラ好きになった不動産屋のNさんだった。しかしその人が逮捕されたことにより開店計画は頓挫した。いつも本を読んでいたプラハのソビエト学校では、とにかくロシアの誇る詩人、文豪の文章をたくさん暗唱させるのだ。日本の学校のように読書感想文を書かされることはない。その代わりに何が書かれているのか、内容の大筋を話す。日本の学校も、あの読書感想文というのをやめればいい。子供が本をどう感じたかを問うだけで、本への理解が深まるとも、本が好きになるとも思えない。それに、人の心を覗き込むことで、読書嫌いをむしろ増やしていることに気がついてほしい。(小学校の時、教科書の詩はやらずに、高村光太郎の『智恵子抄』を暗唱させた先生がいたことを思い出しました。また自分は読書感想文が苦手だったことも思い出しました)1日30冊ぐらいのペースで本を読んでいた、井上ひさし曰く、“本で何かを調べる時には、まず目次を読んで、その本で著者が言いたいことを探ります。日本の学者は、大抵結論を最後に持ってきますから、まず最後の方を見るのです。そこに思ったほどのことが書かれていなければ、その本は前半もそれほどではないだろうと勝手に考えます。逆に、一部を読んで面白かったら全体を読んでいきます。”「旅行者の朝食」この缶詰は、ソ連時代にかなり大量に生産されていた旅行者用の携帯食なのだが、あまりのまずさゆえ、ロシア人は得意の小咄をたくさん作った。