地球の細道
安西水丸 著
エーディーエー・エディタ・トーキョー 制作・発行
2014年8月25日 発行
以前、安西さんの文・イラストによる日本の城下町巡り『ちいさな城下町』を読みましたが、こちらの『地球の細道』は、日本国内だけではなく、ヨーロッパやアメリカなど世界各地の訪問記を、92編載せています。
元々は、GA JAPANという雑誌に1999年1月から2014年3月にかけて連載されたもののようです。
安西さんは2014年3月に亡くなられました。
3 永遠のローマはベルニーニが創った
ぼくのローマでの旅は、このベルニーニにはじまり、ベルニーニに終わったといってよかった。
6 スノードーム。そして暗黒街の帝王と天才ライト
スノードームが生まれたのは1889年のパリ万博だという。新しいもの好きなパリの職人たちが、パリ万博のシンボル、エッフェル塔を掌サイズのガラスのドームに閉じ込めたのがはじまりらしい。
(昔、職場の英語サークルでプレゼント交換会を行った時、自分はスノードームを買ったことを思い出しました。自分が何をもらったかは忘れました(笑))
7 来日したフランス人技師 F・レオンス・ウェルニーは28歳だった
ウェルニー(ヴェルニー)は明治政府の要請で灯台建設に携わることになる。
ぼくが野島崎灯台をおもう時、胸の奥に常に設計者であるフランス人技師、フランソワ・レオンス・ウェルニーの笑顔がある。
9 チェコ人の建築家は20世紀を代表する歴史の承認を設計した
プラハを歩いていて気づいたのだが、あちこちに広島の原爆ドームに似た屋根が多いことだった。それで帰国していろいろ調べていたところ、原爆ドームを設計した建築家がヤン・レツルというチェコ人であることが解り納得した。
21 ポルトガルのふしぎ
シントラ山系のペーナ城は何ともおかしな城だった。
イスラムはあるは、ゴシックはあるは、マヌエリーノ、ルネサンスと様々な様式がごちゃ混ぜになっていて何ともふしぎな城だが、ものは言いようで、幻想的といえばいえなくもない。
23 トルコとタウトと達磨寺の洗心亭
建築家のブルーノ・タウトはケーニヒスベルグ(現カリーニングラード)で生まれトルコで亡くなった。
ケーニヒスベルグは、哲学者カントが一生過ごした土地で、タウトは生涯この偉大な哲学者を尊敬していたという。
30 侠客と建設の関係
山岡鉄舟と清水の次郎長の出会いは、明治元年、鉄舟が勝海舟の江戸城の無血開城を願う手紙を持って、駿府へ西郷隆盛に会いに行く途中のことで、この任務の途中を次郎長が色々手助けをしたことがきっかけだという。
32 左甚五郎の謎、左甚五郎から学ぶもの
クリエイターの人気というものは、上手い下手ではなく、その人物の名前とか、謎めいた部分が造り出す得もしれないムードにあるのではないかというおもいに至るのだ。
39 紀州に水利土木の鬼才有り。井沢弥惣兵衛のこと
見沼代用水と荒川をつなぐ時の問題は 水位の違い(3mほどあったらしい)で、弥惣兵衛は、通船堀の途中に2つの関を造り、関内の板を積んだり外したりして水位を調整したという。この方法は「閘門式」といい、中国やヨーロッパでは昔から応用されていたらしいが、日本ではこの見沼通船堀が初めての閘門式運河になった。
42 エッフェルは鉄のスペシャリストだった
東京タワーはせいぜい紋取りの梯子だが、エッフェル塔は美女の網タイツのように美しい。
43 突然現れて消えた用水工事の天才
「伏せ越しの理」、つまり「逆サイホン」は、水路が障害物である塀や川、道路などに当たるため、その下をくぐらせるパイプのことを言うらしい。一旦パイプの中を下った水は、逃げ場を失って上昇することになる。これは当時の人々にとって実に神秘的なことであって、この方法の発案者が板屋兵四郎なのである。
逆サイホン原理の象徴は、今も兼六園の霞ヶ池にある噴水で、これが日本最古の噴水だという。辰巳用水工事は、当時としては最高の技術だったのだ。
ちなみに水管(はじめは木製だったらしいが、故障が多く石に変えた)は、富山の金屋産の凝灰岩をくり抜いて作ったという。
57 「神秘の仔羊」を求めて
ブリュッセルのグラン・プラスは世界的に知られた広場だ。あのヴィクトル・ユーゴはここを「世界で最も美しい広場」と言い、ジャン・コクトー「豊穣なる劇場」と賞賛したという。しかし、間もなく20代が終わろうとしている異邦人、つまりぼくには、「巨大な位牌を並べた重苦しい広場」であった。
81 パリからアンリ・ルソー生誕の地ラヴァルへ
マイエンヌ川の対岸は丘になっていて、その斜面にラヴァルの旧市街の家々が積み重なっている。家々には中世の面影がある。
(川沿いを歩いて、橋を渡って、石畳の坂を上って旧市街にも行きましたが、アンリ・ルソーの生誕地とは知らなかったです)
85 マルセイユのシェパード事件
1994年の5月にマルセイユを訪問
旧港から船が出るというので乗り込んだ。10分ほどで着くはずの船はイフ城を左手に見て少し離れるように旋回した。
あれこれはイフ城を一周して見せる船かな。失敗したな。
はじめはそんな風に思ったが、船はどんどんイフ城から離れていった。船客を見てみると、あまり観光客らしい人たちはいない。何とも心細い気分になった。
20分ほどして船は全く知らない島の港に入った。ぼくはみんなと一緒に船を降りた。降ろされたと言っていい。
ぼくはぼんやり降りた場所に立っていた。前方に丘があり、丘の上には廃墟のような城が見えた。丘への細い道を上がると遠くにイフ城、そして マルセイユの旧港やノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院が眺められた。絶景だった。
そんな時だった。廃墟の陰から1匹の巨大なシェパードが現れぼくの周りをぐるぐると廻り出した。僕は世界的な犬恐怖症である。一瞬 これで人生が終わると感じた。震えることすら忘れて立ちすくんだ。
そんな時、ヒューという口笛が鳴ってシェパードの動きが止まった。二人の若者を従えた紺色の作業服を着た男が現れた。
「ここはフランス海軍の要塞の島なのでビデオ撮影は困る」
このフランス海軍の要塞の島は何というのだろう。島名はいまだにわからない。マルセイユの謎になっている。
(Google マップを見てもよくわからなかったのですが、おそらくイフ島の裏にある、ラトノー島かポメーグ島ではないかと思われます)
