リブログ記事水道が語る古代ローマ繁栄史(序章・第一章)
水道が語る古代ローマ繁栄史中川良隆 著鹿島出版会 発行2009年8月20日 第1刷発行古代ローマ時代の水道について、江戸時代の水道との比較も含めながら、詳しく書かれています。自分は塩野七生先生の『ローマ人の物語』を全巻読破しましたが、その中で一番好きな巻はインフラに関するものでした。またローマに行った時、多くの名所の中で一番感動したのは、ローマ郊外の水道橋でした。古代エジプトのピラミッドなどもすごい建物だと思いますが、人類の役に立ったという点ではローマ人の水道関係のインフラはすば抜けていて感動します。当時の限られた技術の中で、よくぞこれだけのものを造ったものだと感心します。序章 古代のローマ水道の意義と評価476年のローマ帝国滅亡以降、ヨーロッパの水道技術は衰退し、次にローマ水道の水準に追いついたのは1765年のジェームズ・ワットの蒸気機関の改良を始めとした産業革命以来以降なのである。筆者は、瀬戸大橋や世界一の明石海峡大橋の建設に携わった土木技術者である。土木技術を英語に訳すと、シビル・エンジニアリング、すなわち市民のための技術である。そのシビル・エンジニアの立場でなぜ千数百年年も追い越すことはできないほど古代ローマ水道の技術水準が高かったのであろうか、という疑問の解明を目指したのが本書である。ローマ水道の水道幹線、市内給水及びその利用を、同じ100万人都市であった江戸と比較しながら説明する。 江戸は当時世界最大の都市であった。古代ローマ最盛期の2世紀から江戸最盛期の18世紀まで約1600年の間、世界中でも100万人都市は、7〜9世紀頃の長安、8〜9世紀頃のバグダッド等、数例しかないのである。第一章 古代ローマは、どのように下水の処理をしていたのか 古代ローマの下水道とトイレの話ロムルスは敗者同化政策、市民集会と元老院制度、100人隊組織と、約1200年続く古代ローマの根幹を形成する方式を作った偉大な創始者といえる。クロアカ・マクシマ「大排水路」という意味。紀元前2世紀頃に地中化が行われた。公共浴場、公共トイレ、その他の公共施設、個人住宅等の排水、雨水をデヴェレ川に放流した。現代の都市下水との大きな違いは、古代ローマでは無処理でテヴェレ川に放流していたが、現在では終末処理場で下水を処理して放流している。石鹸については、紀元前30世紀頃、メソポタミアのサポー丘の神殿で、生贄の羊を焼いた脂肪が熱で溶けて灰と混ざったものが流れ込んだ川で洗うと、汚れがよく落ちることが発見された。脂肪と灰が混ざったものは天然の石鹸である。このサポー丘が英語の「ソープ」の語源になったと言われている。ウェスパシアヌスは公正さと寛大さを持ち、その10年の治世の間、国内で不穏な出来事はほとんど起こらなかった。コロッセオを建設し、ローマに「パンとサーカス」という安定した時代をもたらした、優れた皇帝であった。