「昨日悲別で」ってドラマ | 昭和41年生まれの17歳。

昭和41年生まれの17歳。

普段は大人のふりしてますが、頭の中身は十代からあまり進歩ないかもです

 

ごめんなさい、こういうブログとか初めてみたら一回だけアップしてみたい

記事ネタがありました。知らない人や不快な方はスルーして下さいね。

 

・・・知っている人、覚えている人って居るんだろうか。

少なくともおいらの周りには居ないか「あった気がする」って人しか居ない、

そんな程度のドラマ。

 

 

倉本聰さん脚本のドラマなんだけど、代表的な「北の国から」は有名ですよね。

あと、古いのは「前略おふくろ様」ってのがあったが、おいら見た記憶がないw

 

なんでこんな話を持ち上げてきたかって言うと、

こんな懐かしいアルバムが出てきたんですw

 

タイトルからして青い!ですwwwww

「by」じゃなくて「with」と言いたかったんだろ、当時の俺w

 

高校3年生の夏休みの旅だったかと。

 

親父が事業をしていたので、それまで結構ボンボン育ちをしていた記憶があるんだけど、

その後の家庭の事情で進路の変更を余儀なくされた年だったと思う。

揺れ動く17歳のおいらは取り敢えず出来るだけ親に迷惑を掛けたくなかったので、

自身でバイトして貯めた金で、この夏にバイクで「鈴鹿8耐」を観戦に。

一旦帰って来て、そのまま北海道一周ツーリングに出たのでした。

自分なりに将来を考えたかったのかな。

 

取り敢えず、最北端の宗谷岬を目指した17歳の夏。 何もない岬でしたwww

 

このドラマの主人公が高校卒業後、田舎を後にして東京で夢に向かって頑張る姿が

当時のおいらの心を充分過ぎるほどに揺さぶりましたね、ええ。笑

当時の新潟の高校生にありがち過ぎて笑えます!爆

 

だけど、当時は切ないまでに真剣だったんだよなぁ。当時から馬鹿だったんすねwww

で、当日ロケ地の駅前商店街でこれらの写真を撮っていたら、24時間テレビのロケで

このドラマの主演俳優だった「雨宮良が夕方、上砂川駅にやって来ます!」って

ポップが駅に貼ってありまして。

 

「マジか!!」

当然、駅前で半日待ちました。何もない所でしたので、ラジオを付けたら

高校野球で「新潟商業」が甲子園で頑張っている試合中継が流れていて・・・

それまで野球なんて興味がなかったのに、上砂川駅前でラジオを聴きながら

「新商野球部」を応援した84年夏・・・www

 

で、そん時に粘りに粘って会えた結果に貰ったサインがこれw 天宮良さん、良い方でした!

 

↓のニンジャでの写真は、10年後の28歳の時に娘が出来た夏に「最後の我儘」で行った

北海道一周ツーリングで再び訪ねた時の写真です。

 

「悲別駅」こと「上砂川駅」です。今はもう廃線になってます・・・

 

あれから20年経ってるのか・・・

 

去年から28年ぶりに鈴鹿8耐を観戦しに行くようになった。

あの頃とは物凄い勢いで世の中は変わっていっている。

だけど、根本は変わってないなぁ。変わったら終わりだよ。

人間、そう簡単に変われるもんじゃねーってばよ。

 

 

このドラマのエンディング、本当に好きでした。

ヒロインの石田えりがロングスカートのセーラー服で、潰したカバンを

小脇に抱えて黄色い長靴で雪道を歩くというw

まんま、初恋の◯◯子ちゃんと過ごした80年代の「画」なんす。今見ても泣けるわwww

 

だけど、結局ぜんぜん夢なんて叶えてないな、俺。

同窓生でそこそこ有名人になっているやつがそこそこ居る。

俺もそうなるつもりだったんだけど、なれてないのはなんでかなぁ。

って悔しく思う時がある。でも今更30年って時の差は埋められないよね。

まぁ、「俺は俺」なんだろうね。僻んでも妬んでもしかたないよ、それが自分なんだからw

 

明日からまた頑張って行こっと!まぁ妥協はあるけど諦めだけはないわwww

そういうジジイに、俺はなりたひw