究極のあざむく者イスカリオテのユダ。彼は十二弟子の一人に数えられ会計係まで任されていましたが、その実、献金泥棒でした。イメージではユダは単純な愚か者ですが、実に意外やキレモノだったようです。
まず、献金係の奉仕ですが、同じ弟子に元々会計の専門家である元、取税人マタイがいたのに、彼を差し置いての大抜てき。ある程度、数学的な計算が早い人でないとできない奉仕です。また、他の十一弟子たちはイエス様がローマからユダヤ人を解放してくれる国王になってくれることを最後まで期待していました(使徒一章六節)が、ユダだけは一人違います。
イエス様は天国を伝える宗教家、地上で王にはならず、王国も築かない、期待の革命家ではないと早くから悟って見切りをつけ、裏切りに向かっていたのです。
一方、イエス様は邪念に乱れたユダの心の状態を知られ、その内なる霊を見分けて「悪魔」(ヨハネ六章七十節)と言われていましたが、他の弟子たちは全くこれが分からず、裏切り者は一体誰なのかと互いにせん索しているほど鈍い人たちでした。そこで誰が裏切るのかという質問に答えた主は
「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」と言われ、皆の前でユダに与えたのですが、弟子たちはすでに全面的にだまされて、ユダを信頼しきって、誰一人悟るものはいませんでした。ユダは非常に狡猾な男です。
「ユダが金入れを持っていたので、イエスが彼に、「祭りのために入用の物を買え。」と言われたのだとか、または、貧しい人々に何か施しをするように言われたのだとか思った者も中にはいた。」(ヨハネ十三章二十九節)
さらに詳細に調べると、ユダはベタニヤ・マリヤが高価なナルドの香油を石膏のつぼを割ってイエス様に直接注いで捧げたとき、献金泥棒ができなかったため女をひどく迫害しましたが、その時、ユダは砕かれた香油の香りから瞬時に計算して、この香油なら「三百デナリ以上」(マルコ十四章五節)と価値を特定しています。今も香水は知る人が知るもので、私なら目の前でシャネルが砕かれようが、子供の安い香水がこぼれようが値段は分かりません。ユダはある程度、香油の価値相場を知る上流階級の人だったかもしれません。
さらに使徒の一章で自滅したユダにとって代わる使徒を決めるくじ引きをした記録では、詩篇でダビデ王がユダについて預言されていた御言葉から引用されていますが、これはよく読むとこのように続いています。(詩篇 百九編八節)「彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、その子らはみなしごとなり、彼の妻はやもめとなりますように。彼の子らは、さまよい歩いて、物ごいをしますように。その荒れ果てた家から離れて、物ごいをしますように。債権者が、彼のすべての持ち物を没収し、見知らぬ者が、その勤労の実をかすめますように。」
ユダには妻がいて、子供たちか複数人いて、持ち家があったようです。ある程度の上流ではないでしょうか。しかも名前の意味は「ユダ」、神様への「賛美」です。ユダヤ人といえども他の弟子たちの名前からも分かるように、すべての親が信仰的な名前を子供につけているわけはありません。このことから総合的に考えると、ユダの家系は今で言うところの信仰深いクリスチャンホームではありませんか!
しかし、人間的な意味でいろいろ持っていた。ユダも霊が悪ければ全く役立たずの悪魔です。
霊を見分ける力「イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。またほかの人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
するとイエスは、彼に答えて言われた。バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ十六章十三~十七節)
イエス様が誰であるかを知ることは重大で、ペテロのように「生ける神の御子キリスト」と信仰告白できれば天国に入れます。しかし単なる歴史上の聖人や宗教家、教師、預言者と考えるなら危険です。
ペテロはイエス様を正しく評価できましたが、誉められると未熟者なので有頂天になり、心にスキができました。そのためイエス様によって十字架の死と復活に関する重大なメッセージが語られた直後、心のスキに入り込んだサタンがペテロの口を使ってもっともらしく不正をしゃべりました。
「イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」(マタイ十六章二十二節)
事もあろうに十字架を「そんなこと!」呼ばわりして軽蔑したサタンですが、一見この発言はペテロらしい人情味あふれる親切な言葉にも聞こえます。だまされてはいけません。サタンは巧妙な偽りの父です。人情に訴えながらその実、全人類の唯一の救済策、十字架を否定する悪い敵です。
イエス様はこの時、サタンにだまされることなく完璧に背後の霊を見分けて仰せられました。
「イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ十六章二十三節)
人が霊の見分けなくサタンにだまされる時は、神様のことを思わないで、忘れている時です。