末期ガンだった父が残してくれた物。 | ジュレの日常 スピリチュアルな毎日。

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結婚出産→心の病に悩み→離婚リハビリをしながら、シングルマザーを経験
2022年再婚。どったんばったん生きていく



こんばんはにっこり飛び出すハート


お盆が近くなり、68才で亡くなった
おもしろい父親の事を思い出します。


小説家志望の料理人だった父。
祖母が元気な時、福井の民宿をしていました。

他にも事業をしている父の実家は現在も
健在。父の兄、叔父さんが現在、
代表取締役をしています。


叔父さんと違い、お父さんは
どこか変わっていて、


私が小学2年生のある日、
父親が消えた。

その日から、会えなかったのだが
私が、中学生の時に


突然、母親が父親と食事に連れていってくれた。
それをきっかけに

しばらく私は、父親の実家、福井県で
中学校生活を1年程、経験。


この1年間と、幼少時代の想い出が、
末期ガンの父親を看取ることになったのだ。


きっかけは、何故か地元の幼馴染みからの連絡で
『ジュレちゃんのお父さん末期ガンだよ。連絡してあげて』だった。

私が、そう頼まれて断れる訳がなく、
結局、喧嘩をしながらも最後まで
共に過ごすことに決めた。


母親、兄妹にも知らせたが
お葬式にも誰も来なかった。


お父さんと最期を楽しんだ想い出。

子供達も、『じぃじ』と呼び親しんだ。


お父さん、余命宣告をされて
間もなく、何故かフルタイムで働きだした。笑


その時、お父さんが言うたのは、
『さやか、仕事はこうやってするんや!
さやかも出来る』だった。


間もなく通勤途中で倒れた父。


私の現在の仕事に対する、原動力はここにある。


末期ガンは医者も止めない。
二人でタバコをすったり、

どうしても行きたいと言うたイオンモールも
車椅子で連れていった。



死に対する恐怖から、
お父さんは、私に当たり散らしたりもした。


だけど、お父さんは私にいつも
通帳の暗証番号を言うてきてた。


借金のイメージがあった父。


最後にラストスパート出して、貯めててくれた。




↑我が父のラストスパートショボーン


残してくれた想いは、今でも続いている。


我が家のふうてんの虎さん。

今年は帰るとこあるか?おとん。
お饅頭とお酒用意しとく。気が向いたら
うちにも、よってや!



昇天