三歳児の記憶 昭和南海地震 | 片岡信孝の気まぐれブログ

片岡信孝の気まぐれブログ

'23.03神戸から、高知佐川町に移住しました。
ソロハンドメイド小屋『HOUSE HOTTATE』が完成しました。
相棒三菱ジープと二人三脚、自由気ままなライフスタイル。
この地に入ればやることが盛りだくさんで、趣味、修行の場として汗にまみれます。

1946年12月21日は、昭和南海地震が起きた日である。

この地震で、津波や家屋倒壊、火災で1443人の死者、行方不明者が出たそうです。



私ごと3歳児の記憶


76年前の地震災害であり、私が満3歳をちょっと過ぎたところである。


今でもその記憶は脳裏に焼き付いており、死ぬまで忘れることは無いでしょう。


記憶に残っていること

☑️地震発生が午前4時過ぎということもあり、とにかく寒かったこと


☑️揺れが酷くて目が覚めた記憶は無く、まわりのざわめきで目が覚めた感じ


☑️2階で寝ており、暗闇の中階段を降りようとした時、余震揺れで怖かった記憶


☑️やっと1階に降り庭先で話し声と焚き火している状況の記憶


3歳で天災~地震はじめての経験です。

私が家族で一番の年下3歳児、焚き火をしている状況からすれば、本震から約30分ぐらいは経過していると推察出来ます

当時は3世代が同居9入家族で暮らしておりましたが、けが人が出た記憶は有りません。


私の2回目の天災~地震経験


阪神・淡路大震災

1995年1月17日


軽い怪我程度で生きのびました。


3回目の天災~地震


生涯3回目の経験はないと信じておりますが、これだけは『神のみぞ知る』と言うより神様でも知らないでしょうね!


高知は天災・台風のメッカ、これからも上手に付き合わざるを得ませんね!




🌲🌲🌲🌲🌲