2026.09.22 快晴
佐川町
【回想録】
今から丁度半世紀、50年前の出来事を回想してみたいと思います。
出発当時の心構え、
『旅の恥はかき捨て』、
気は常にアクティブにして後ずさりしない、ゴーゴーです。
🚩ボルネオ島
🚩30日間滞在
🚩初、海外出張1976年6月・33歳→→→現83歳
三菱ジープ乗りになった動機
『40年近くもジープ乗りをやっているがなんでや』、その動機や経緯を回想してみました。
入社後はじめての海外出張がボルネオ島、東マレーシアサバ州Ranau界隈の銅鉱山開発ジャングル地帯でした。
空便
往路:東京羽田➡フィリピンマニラ➡ボルネオ(マレーシア)、コタキナバル
復路:コタキナバル➡香港➡東京
当時ボルネオ島に入って目についた四駆は、ランドローバー、ランクル、三菱ジープでした。
以下写真は現地取材のものではなく参考です。
ランドローバー、三菱ジープ、ランドクルーザー
🟩目的地
イーストマレーシア
ボルネオ島マレーシアサバ州コタキナバル→ラナウ(Ranau)
1976年:50年前
マレーシア政府と日本企業7社による共同出資で、銅鉱山(マムート鉱山)開発プロジェクトに一員として参加したものである。ボルネオ島は半分マレーシア、もう片方がインドネシアに属している。

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現地キャンプ地からの風景は見晴らしが良く、雲海は見おろす方向に発生し、ほぼ毎日のようにスコールが下方からやってきてタライをひっくり返したような凄まじさである。
スコールの言葉は知っていても初めての経験です。
滞在地は標高約1000m、近くにキナバル山(4095m)がそびえています。
キナバル山
富士山よりも高い東南アジア最高峰

標高4095m(グーグルマップより)
🟩一般民家訪問
天然ヤシの実ジュースの美味しさは最高で、今でも記憶に焼き付いています。
お礼の気持ち渡そうとするも受け取ってくれませんでした。
質素な暮らしの中でもとても良いファミリーでありいい感じでした。
家屋は高床式で涼しそうな外観が記憶にあります。
🟩三菱ジープに惚れた
私が三菱ジープを相棒に選んだのはここから始まりました。
会社の命を受けてはじめての海外出張(1976年)が、単身紀行このボルネオ島(イーストマレーシア)でした。
降り立った空港がコタキナバルであり、不安満載の現地旅がスタートします。出迎えてくれたのは現地チャーター手配の三菱ジープ+現地人で言葉は全く通じない。
到着時見つけ易いように大きめのスーツケースには、15cm径丸ワッペン[BANDO]マークが貼り付けていました。
通関後待合いでは、手をあげてヘイミスターKATAOKAと声掛けてくれたので直ぐに仲間内とわかりました。
荷物は車まで運んでくれて、ドキッとしたのがオンボロ三菱ジープ(J58)でした。🚙💨
オーナーはよれよれの半袖Tシャツ姿で色黒、清潔とは言いがたく汗臭くて仕方ない。
細かい事に気をとられるヒマは無く、もうどんなことにも動じないと気は安定している。😆😂
ボルネオ島

🚩夕方5時に到着後、当日はコタキナバル市街地のホテルが予約済みであり翌日9時出発の予定でした。
しかし、チャーター車三菱ジープ個人所有の現地ドライバーは事前の意志疎通ミスから、ジャングル道6時間工程の鉱山現場サイトに向かったのである。
今晩は俺ホテルでねんねするんだよとゼスチャー、いくら説明しても理解が得られませんでした。
到着するのは真夜中になるハズ、今晩寝る場所や夕食も抜きであり不安がよぎる。
携帯電話が無い時代で、ホテルキャンセル含め連絡の取りようがありません。
もう運転手に任せた頼むぜゴーゴー、分からん事グチルよりこれでいいかも知れない。
道路は未舗装のダートで凸凹の砂塵が舞う悪路ジャングル道がはじまる。山のテッペンを切り開いた尾根街道である。
これはスコールによって斜面からの土砂崩れを避ける為のもので、生活の知恵が生かされている。
ジャングル暗闇道中に、スコールで泥濘んだ悪路で故障車発見、手を挙げて助けを求めている、22時頃である。
困った時の仲間意識で、早速けん引ロープで約1時間近く民家の有る場所まで移動してあげました。
ジープならではのなせる牽引得意技である。
またまた暗闇で2台目故障車発見、今度はダンプカーがスタックしている。手におえない事で断りスルーしました。
もうこの時点で夜10時過ぎ、腹へってヘトヘト、凸凹道をジープに揺すられて胃が痛いので手でさすりながら、初日からいったいどうなってるんだ。
本来ならホテルで明日出発にそなえ、くつろいでいるハズである。
真夜中やっと到着しました。
建物が見えて窓から明かりが漏れているところでおろしてもらい、ジープの運転手にお礼と手みやげを渡してバイバイしました。
窓から中をのぞくと日本人らしき方がテレビ鑑賞中、早速挨拶を済ませ理由説明しました。
丁寧な対応いただき軽食とビール、そして今晩の寝床ゲット出来た事に感謝です。
東京出発して当日中にこのジャンル現場に着いたのは、私ただ一人の記録に残るだろうとの笑い話であった。😰😂😓
当時コタキナバル市街は信号機が1カ所、ホテルが2軒有るのみで全くのローカルと言った感じでした。
🚩30日間現地ワーカーの教育指導、自社納入製品の使用調査が主な目的でした。
現場での移動手段は三菱ジープとランクルがその威力を発揮しており、毎日のスコールによる泥濘地走行には、なくてはならない頼りがいのある存在でした。
こんな車が欲しいとウイルス感染したのはこの瞬間でした。
🚩通勤にあてがわれたランクル40は好調であり、敷地内運転で国際免許は不要で、通勤時は何時も現地ワーカー達が車にしがみつき鈴なりで乗ってくる。勿論 超スロー走行での通勤となりましたが、顔見知りが出来楽しみの一つになりました。
🚩現場に滞在中の事故
いつもの鉱山仕事場からジープで約5時間離れた別の現場(製品積み出し港)に移動。
鉱山現場から車ジープ2台で出発、我々はおとなしい運転手さんで評判の良いジープに計3人乗り込みました。こちらの車は総務課所属J30系の鉄板ロングタイプ。
もう1台は外部チャータージープ、J50系幌タイプに計4人乗り込みました。後続車この車は砂塵をかぶりたまったものではありません。直線コース(当然砂利道)で我が車を猛スピードで砂塵を巻き上げ追い越し、前方カーブ曲がり切れずバランス崩してノリ面に乗り上げて横転事故。我ら後続車が数分後に到着、全員怪我頭部から血が吹いている人もいました。
自分のタオルで怪我の応急手当て、町までまだ1時間ぐらいかかる、だけど当日は休日で医者が開いているか疑問などなどのてんやわんや。命に関わるトラブルをこの地で経験しました。
鉱山現場から車ジープ2台で出発、我々はおとなしい運転手さんで評判の良いジープに計3人乗り込みました。こちらの車は総務課所属J30系の鉄板ロングタイプ。
もう1台は外部チャータージープ、J50系幌タイプに計4人乗り込みました。後続車この車は砂塵をかぶりたまったものではありません。直線コース(当然砂利道)で我が車を猛スピードで砂塵を巻き上げ追い越し、前方カーブ曲がり切れずバランス崩してノリ面に乗り上げて横転事故。我ら後続車が数分後に到着、全員怪我頭部から血が吹いている人もいました。
自分のタオルで怪我の応急手当て、町までまだ1時間ぐらいかかる、だけど当日は休日で医者が開いているか疑問などなどのてんやわんや。命に関わるトラブルをこの地で経験しました。
その他、ダンプカーが谷底にこける事故が2件、何れも運転手が死亡しました。
🚩日曜日は休みですが、誘われて会社所有のホームコースが近くに有るとのことで行ってみた。
ハーフコース、手入れは行き届いていませんしラフに打ち込めば見付けるのは困難です。
そうしているうちにチビッコが草むらからロストボールを拾って売りに来るが、買ったかどうかは記憶に無い。
日中の温度は40℃を超えとても過酷、ハーフ回ってギブアップでした。
のどはカラカラ水筒は持参していなかったので死ぬ思いがしました。
あと気がついてびっくりしたことは、ズボンの裾をみると『ひっつき虫』が隙間無くびっしりとくっつき、払い落とすのが大変でした。
タダとは言えこの場所でゴルフするのは、よほど好きか特別な理由が無い限り出来るものでは有りませんね。
話の種本が出来良い経験になりました。
🚩滞在中の一大イベント
1976年6月
異種格闘技、プロレスVSボクシング
テレビ観戦
アントニオ猪木とモハメド・アリの試合がありました。
引分で終了したこと記憶に残っています。
現在二人とも他界しました。
🚩帰国準備
現地活動の目的もほぼ終わり、報告も完了しました。
明日土曜日は総務課のジープで、山から5時間かけてコタキナバルまで移動します。
当日はホテルに泊まり、ご苦労さん会を開いて頂き、美味しい和食とタイガービールで大いに盛り上がりました。
🚩大チョンボ
翌日はいよいよ帰国、午後1時の便で香港経由乗り継ぎです。
翌日当日は朝から暑い、前日飲んだ勢いも残っており、朝からビールとなりました。
疲れからか寝込んでしまい、目が覚めたら飛行機は出た後、これがほんとのあとのマツリとなってしまいました。
便の予約が取れたのは2日後となってしまいました。
2日後に出発しましたが、この便が2時間遅れで出発です。
香港到着、案の定乗り継ぎ便は出発した後でした➡余分な一泊😰
自業自得さんざんな目にあって、無事帰国しましたが、終わり良ければ全てよしと言う訳にはいきませんでした。
国際便に乗り遅れたのは、今回含めて2回となりました。
その1)帰国の際、飲み過ぎと疲れで寝てしまった。
その2)出国手続の際、チケットを家に忘れて来た。
宅に電話確認したところ、テーブルの上にあった紙きれはゴミと思って捨てた、、、と、嫁さん、が全て我が悪しです。
😱😅
こんな大チョンボも、今思えば回想笑い話になりますね‼️
🚩帰国後ジャングルでの全ての強烈な印象が離れず、毎日悩まされました。結論は最初のマイカー、走り屋トヨタマークⅡGSLを未練残さず手放すことになりました。そして四駆中毒症となり、不治の病となって現在も進行中であります。
○x病院に相談しましたが、
『バカは死ななきゃ治らない』
と相手にしてもらえませんでした。
十分自覚しているからまだいいか。
🚩当時は変人+偏見視されることひしひしと感じましたが、今はこの趣味で大変おもしろく楽しい人生を過ごしております。
むしろ、ジープ乗り変人として見られのは嬉しい限りです。
ボルネオ島で感染した『朱に交われば赤くなる』、→朱身(趣味)、会社には感謝しなければなりません。
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余談
2026年9月、何時ものスーパーに買物に出かけました。
私のとなりに停めてたクルマのおばちゃんに声かけられました。
以前にもこの駐車場で見かけましたが、、、と
とってもカッコいいねと‼️
ジープのプロフを簡単に説明させて頂きました、彼女と同様、惚れて40年近く乗っていますよと👍
ちょっとしたこんなプチトーク、ジープ乗りにとっては大変嬉しいものですね。
♦️三菱ジープ(新車購入)
♦️1989年式
♦️型式:J53
♦️走行距離:≒50万km
♦️エンジン:四気筒ディーゼルターボ→→好調です👍
♦️燃費:11km/㍑
♦️事故歴:無し
🌲🌲🌲🏕️🏕️🏕️🌲🌲🌲
掘立小屋の自由人です。



