[ まとめ ]
強迫性障害 (OCD: Obsessive Compulsive Disorder)とは、
自己の判断力に対する不安や懐疑によって生じる精神障害 である。
よって、症状を克服するためには、判断の主体性を取り戻す訓練が必要となる。
(※なお、この記事は投薬治療を否定するものではない)
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あることが正しいということは、どのようにして判断されるのだろうか。
まず、何かの基準を参考にして決めるとしよう。
では、その基準が正しいという判断は、いかにして判断されるのだろうか。
例えば、周囲の人々がその基準を承認していることを判断材料としよう。
では、「周囲の人々による承認が正しさを保証する」という判断は、
果たしていかにして判断されるだろうか…。
こういった思考実験は無限に続けることが出来る。
結局のところ、ある物事に対する正しさを決定する究極的な要因は、
自己の判断力に他ならない。
(※カール・ポパー が帰納的思考の妥当性を否定したことに似ている)
強迫性障害の患者は、自らに生じた不安感を払拭するために
何らかの「完全な確証」を求める。
手が不潔かどうか。鍵を閉めたかどうか。人を車で撥ねてしまっていないか。
しかし、そういった物事に対する完全な確証は存在し得ないし、
その「確からしさ」を強迫行動や、他者や医者といった自己の外部に求めても、
最終的には自己判断が迫られることには変わりない。
つまり、OCD 克服の本質は、物事に対する判断の主体性を取り戻すことにある。
この考え方は生理学的にも正しい。
実際、強迫性障害に罹患している状態の脳は、
物事の判断に関わる部位(※線条体 や帯状回 など)が異常興奮しやすく、
一度興奮し始めると容易には安静状態に移行しない。
つまり、脳は判断の確定を求めているにも関わらず、保留状態がループしてしまっている。
この状態を「脳に鍵がかかった状態(Brain Lock )」と呼ぶ専門医もいるほどだ。
この凝固状態を解きほぐすには、前頭葉 (※意識的な行動を司る部位)の補助を借りて
不毛な判断の堂々巡りを主体的に脱するしかない。
すなわち、「自らの意思で主体的に判断する」という行為を繰り返すのだ。
自動操縦機能が弱まった部位を手動で動かし続けることは、
凝り固まった歯車に潤滑油を注す行為に似ている。
意識的な主体的判断を繰り返していくうちに、本来備わっている機能が回復していくのだ。
これを観念的に表現すれば、判断の主体性を再確立することに等しい。