このブログも含め、大抵のブログは「自分語り」を主な内容としている。
そして、そういったブログに書き込まれるコメントは、
本文の一部を反復するだけのヤマビコ型コメントか、
本文とはまったく無関係な主張を書き捨てるオレオレ型コメントである。
例えば、こんな記事があったとする。
「今日はカレーを食べました。夏なので夏野菜を入れてヘルシーです☆(写真)」
こういった内容に付くコメントと言えば、
「夏野菜のカレーを食べたんですか。美味しそうですね(^ω^)」
「夏野菜ってヘルシーですよね(>///<)」
といったヤマビコ型コメントや
「夏になると無性にスイカが食べたくなるよ(゚∀゚)」
「昨日は雨がスゴかったですが、大丈夫でしたか?」
といったオレオレ型コメントだ。
ヤマビコ型もオレオレ型も無内容という点では同じで、
単に「ブログをみてますよ」という意思表示のためだけに書き捨てられる。
いわば、文字の廃棄物である。
そこにコミュニケーションはなく、
短文を通した自己存在の再確認だけが空虚に連なっている。
それは自己再帰的な会話であり、統合失調症患者の一人会話に似ている。
野球で喩えれば、キャッチボールではなく、壁当てだ。
すなわち、ブログを介したコミュニケーションに実体はない。
この考え方を敷衍すると、
ネットにおいて実体的なコミュニケーションは存在しない。
いや、私たちは確かにコミュニケーションしているように感じる。
しかし、それは相互にコミュニケーションしている
と誤解し合うことによって生じる幸福な錯覚に過ぎない。
あるいは、次のように言い換えることも出来る。
もしネットを介した人間同士の関わり合いをコミュニケーションと呼ぶのなら、
人工無脳 との空虚な会話もコミュニケーションと呼べる。
人工無脳との会話をコミュニケーションと呼ばないのならば、
ネット上にもまた、コミュニケーションは存在しない。